放射線の風評被害を払拭せよ!(その2)
東京都文京区 松井 孝司
非科学的な「放射能」という言葉
東日本大震災に伴う東京電力の福島第一原発の事故の終息を難しくしているのは政治家を含め多くの国民が放射線の正しい知識を持たず、日本国内にまん延する放射線に対する恐怖心を払拭できないからである。科学リテラシーを欠くメディアも国民に正しい知識を与えず放射線の風評被害を拡大している。
放射線の風評被害を払拭するには放射線のリスクとメリットを科学的に正しく理解しなければならないが、正しい知識の普及に障害になるのが「放射能」という言葉である。メデイアがエネルギーの本質を理解せず、放射線を「放射能」と書き換えていることが正しい理解を妨げる元凶になっているように思う。放射線のリスクを回避するために規制すべき対象は「放射能」ではなくエネルギー励起状態になって放射線を放出する化学物質と機器類である。
「放射能」という言葉が悪いイメージで登場する契機になったのは原子力船「むつ」の「中性子」漏れ事故であった。1974年9月1日、我が国初の原子力船が完成し原子炉の出力を上げた時、高速中性子が遮蔽体の隙間から洩れるストリーミングと呼ばれる現象が起こり警報ブザーを鳴らした。事故の原因は設計ミスであり中性子の遮蔽は容易で大騒ぎをするような事故ではなかったのに一部のメデイアが「中性子」を「放射能」と書き換え「放射能漏れ」と大きく報道し、科学リテラシーの乏しい記者が思いついた言葉が今日まで生き残ることになってしまった。
原子力船は「放射能」事故を起こすとする悪いイメージの影響は大きく造船大国の期待を担ったプロジェクトも開発費1200億円の税金の無駄遣いで終わったのだ。
高速増殖炉「もんじゅ」の事例でも見られる原子力事業体と行政の事故対応の拙さはこの時始まったといっても過言ではない。今日、再び不正確なメデイアの報道が黙認され、税金の無駄遣いに終わった原子力事業の失敗の歴史が繰り返されることになりそうだ。福島第一原発が大事故となった原因も電源喪失による水素爆発を防止できなかった水の循環系と原発建屋の設計ミスである。「放射能」という非科学的な言葉が事故対応を難しくして税金の無駄遣いを促進するのだ。
メデイアが使用する「放射能汚染」という言葉は多くの場合「放射線を放出する化学物質(以後「放射性物質」と略す)」による「汚染」を意味することが多いが、放射性物質は核種により半減期や人体での体内動態が異なり、そのリスクも大きく異なる。
「放射性物質」は環境を汚染し、人体に取り込まれるとさまざまの疾患や臓器障害の原因になる。リスク回避のためには除染しなければならないが、福島第一原発の事故は原子炉の爆発ではないので、放射性物質はメルトダウンした核燃料とともに固まって原子炉内に残留し、破損した原子炉の隙間から水とともに漏れ出る放射性物質も大部分が原発構内に留まっている。遠くまで飛散したのはベント管から放出されたヨウ素131やセシウム134、137である。ヨウ素は半減期が短いため除染の必要はなくなっており、除染の対象になるのは広範囲に拡散した放射性セシウムである。原発事故が核燃料のメルトダウンだけで終息し、水素爆発が無ければ放射性セシウムを拡散させる大事故にはならなかっただろう。
「放射線」は宇宙の誕生とともに存在し、陽子、中性子、電子または電磁波のかたちで空間を移動するエネルギーの塊である。宇宙線や太陽光も放射線であり、そのリスクは一過性で環境を汚染せず、人体に蓄積されることはない。リスク回避のために強い放射線は遮蔽する必要はあるが時間の経過とともにかたちを変え消滅する。電磁波には波長が長い赤外線や波長が短いガンマー線が含まれ、波長により人体に対する影響が異なり、同一波長でも線量率によりその影響は大きく異なる。
広島の原爆で亡くなった人の殆どは赤外線による焼死である。赤外線は人体に吸収されやすく短時間に大量の赤外線を浴びれば即死するが低線量率の赤外線は健康の維持に不可欠である。放射線のリスクとメリットは表裏一体なのだ。原爆を否定するために放射線を恐怖の対象にするのは間違いである。近年、極微量のバイオマーカーの変動を簡単に測定できるようになったので波長が異なる放射線の人体に対する影響を分子レベルの変動から科学的に論証することが可能になるだろう。
福島第一原発の事故対策について
費用対効果の観点からみて愚策と思われる典型的な事例が原発事故による避難指定地域の除染事業と原子炉から出る放射性汚染水の処理である。
科学者を代弁する中西準子氏は著書「原発事故と放射線のリスク学」(日本評論社刊)の中でリスクのトレードオフを受け入れ除染目標を出すことは「清水の舞台から飛び降りるような気持ち」と述べているが、汚染地域の人口密度にもとづき除染の費用を試算すると一人当たり1000万円から7000万円になり、被害総額以上の巨額の除染費用が投入されても満足な除染ができる保障はないという。
愚策がまかり通るのは多くの人が放射線に無知でリスクをゼロにすることを求めるからである。放射線はどんなに少なくても危険と考えるLNT(直線しきい値なし)仮説が今なお健在で原子力関係者もこの仮説を容認している。生物、医学関係者なら生物現象は非線形であり、生体は恒常性を保とうとするため状態の変化に抵抗する閾値をもつことを容易に理解できるが、物理、工学関係者には直線的思考がなじみやすいのかも知れない。
福島の放射線汚染地で甲状腺がんの大規模な調査が行われ多くの悪性がん患者が発見されたためメデイアは大きく報道した。甲状腺がんの患者数が予想外に多いことは驚きであったが、甲状腺がんの症状から健診を行った医学関係者は放射線のリスクとは考えていない。放射線汚染地の被ばく線量はゼロではないが危険閾にないことを知っているからである。
福島第一原発構内の当面の難題は放射性汚染水の処理だろう。トリチウムを含む汚染水を海に放出できず1000個の巨大なタンクに貯めつづけているのはトリチウムの安全性を説明できないからである。しかし、科学的知見からリスクの推定は可能だ。
自然界には膨大な量のトリチウムがすでに存在する。トリチウムは原子炉だけではなく宇宙線に含まれる中性子によっても生成し、地球上の総量は127.5京ベクレルになるという。トリチウムから放出されるβ線のエネルギーは小さく人体に含まれる放射性カリウム40が放出するエネルギー量の1/100程度である。トリチウムの半減期は12.32年であり、体内動態は水と等しく体外に排出されやすいのでリスクの少ない放射性物質に属する。イギリスの核燃料処理施設を有するセラフィールドなどで年間2500兆ベクレルのトリチウムを海に放出しているが近隣住民の健康被害は立証されていない。
1963年に大気圏での核実験が停止されるまで核保有国による陸上、洋上の核実験でトリチウムを含む大量の放射性物質が大気圏に放出された。雨水にも100ベクレル/リットルのトリチウムを含んでいたので当時の人類は日常的に放射性汚染水を浴びていたと推定されるが、1950〜1965年に日本人の平均寿命は大きく伸びているので放射性物質の環境汚染によるリスクは許容範囲であったと考えられる。
1966〜2003年の調査では原爆被爆生存者の免疫機能と発病リスクの線量依存性が明らかになった(Int.J.Radiat.Biol.84:1-14参照)とされるが、癌やリウマチ疾患を有する患者の個人差、生活環境に配慮した疾患別臨床プロトコールを用意してボランテイア(私は率先して応募する)を募り、トリチウム水を投与してCRP、IL-6などの炎症マーカーやp38MAPキナーゼなどのストレス応答たんぱく質の変動を調べれば、動物実験の結果から推定して癌の転移抑制やリウマチ症状の軽減など人体の免疫機能に対する放射線の有益な効用が立証される可能性もある。
除染などの事故対策費用の一部をトリチウムの臨床試験にも充当し、放射性物質の人体に対するリスクとメリットの上限と下限の閾値の存在を証明できたら素晴らしいことである。低線量放射線の有益な臨床データを収集できれば原子炉が放出する赤外線(=熱)と処理に困るトリチウム汚染水は疾患治療用の放射性人工温泉の貴重な医療資源に変わる。トリチウムにリスクを凌駕するメリットがあることを科学的に証明できれば放射性物質に対する国民の恐怖心を払拭できるのではないか?
参照:放射線の風評被害を払拭せよ!(生活者通信メルマガ版119号)http://www.seikatsusha.org/merumaga/101-120/vol-119.htm