マイナス金利と破壊的イノベーション
東京都文京区 松井 孝司
流動性の罠に陥った日本経済が長期停滞から脱出するには金融緩和や財政出動によるケインズ流政策だけでは不十分であり、孤高の経済学者シュンペーターが主張する創造的破壊によるイノベーションが重要になる。生活者通信第214号で「道州制は破壊的イノベーションの手段になる!」と期待を表明したが、日本の中央集権システムに破壊的な影響を及ぼす真の道州制の実現には地方自治を規定する日本国憲法第8章の抜本的改正が必要であり実現は容易なことではない。
過去20年間、我々は道州制を実現すべく国会議員、特に道州制に理解の深かった民主党の永井英慈、松沢成文氏らの国会議員に働きかけをつづけてきたが、念願の政権交代が実現しても永井、松沢両氏が去った民主党は期待に応えず、我々の努力はすべて無駄骨に終わっているのが現状である。(生活者通信バックナンバー2002年5〜9月号参照)
政権が再度交代しても肥大化した政府と経済の弱体化により低成長で財政破綻が危惧される日本の実状には何の変わりもない。低欲望化した国民の意識を改め、肥大化し効率が悪くなった日本の経済システムに破壊的イノベーションをもたらすには国民の価値観を激変させる他の手段が求められる。
最近になって俄かに注目を集めているのがECB(欧州中央銀行)やデンマーク、スイスの国立銀行に倣い日本銀行が実施を試みる「マイナス金利」である。金貸しを業とする金融資本家にとってマイナス金利は有ってはならないことである。有ってはならないことが現実となったことは金融システムに郵政民営化の比ではない破壊的イノベーションをもたらす可能性が出てきたことを意味する。金利ゼロまたはマイナス金利が長期間続けば金利を稼ぐだけの銀行は存続が難しくなり淘汰されるからだ。
マイナス金利で銀行が生き延びるためには金融システムの抜本的改革が不可欠であり、消費や投資に向かわず日本国内に滞留する約1700兆円の個人金融資産を個人に代わって国内、国外で有効活用できる金融機関のみが存続を許されることになる。
フィンテック(Finance Technology)の利用に加え、マイナンバーの個人番号カードの民間利用を許せば本人確認のための個人認証が安全且つ容易になり金融取引は激変する。信用さえあれば誰でも貨幣機能をもつ仮想通貨を発行できるようになり、フィンテックと融合するビットコインが登場し普及が促進されるだろう。
マイナス金利が実現したのは実体経済と乖離する過度の金融緩和で資本主義が変質し、各国の金融システムが政府主導になっているからである。日本銀行は金融緩和だけでは円高を阻止できないためマイナス金利を導入したが、以前から円安誘導による日本経済の復活を力説していた参議院議員の藤巻健史氏は金融緩和とマイナス金利の導入は順序が逆であったことを指摘する。「デフレが始まった20年前からマイナス金利を採用すべきだった」と述べ、早期にマイナス金利を導入しておれば利率を変更するだけで円安となり量的金融緩和は必要ではなかったという。マイナス金利を実施できるのはデフレに苦しむ国家のみに許される特権なのだ。
マイナス金利が定着すると借金を返済せず、放漫財政、放漫経営になり易く、淘汰されるべきゾンビ企業を延命させ、長期に亘り経済社会を衰弱させるので「ハイパーインフレよりも怖い」との指摘もあるが、巨額の公的債務を抱える政府や給与、年金が少なく借金返済に苦しむ貧困層にとっては歓迎すべきことである。
注目される中国経済の動向
政府主導の金融システムは中国が目指す経済モデル(社会主義市場経済=国家資本主義)でもある。中国では土地と通貨が公共財であり、政府が通貨の投機的取引を規制するのは当然のことであるが、ジョージ・ソロス氏のような投機資本家にとって政府による金融規制は許すべからざることである。親中派であったソロス氏が最近になって「中国経済のハードランディングは不可避、世界的なデフレ圧力の一因になる」と反中国に転じたのも当然の成り行きである。ソロス氏はかって英ポンド売りで巨額の収益を得た実績があり、中国の元売りを仕掛けているのではないか。国家の弱みに付け込んで襲いかかるのはハゲ鷹ファンドの特徴なのだ。一方中国の周小川人民銀行総裁は「投機筋には市場を支配させない」ことを公言しており成り行きが注目される。
世界経済はジョージ・ソロス氏などの投機資本(=国際金融資本)と金融緩和をつづける各国政府との知恵比べの闘いになりつつあり、金融市場における通貨と株価の乱高下は投機資本家にとって労せずに巨額の収益を上げる絶好のチャンスになる。ハゲ鷹ファンドは昨今の日本市場の乱高下で運用額の30%の利益を得たと聞く。日本政府は海外の投機資本が不当なさや稼ぎをして日本の富を持ち出さないよう短期の投機的収益には累進課税をするなどの対策を講じないとアベノミクスで金融緩和をしても国民を利することにはならない。
肥大化した金融市場が実体経済と乖離し、米国の金利上昇で新興国から急激な資金流出が起り、マネーゲームが世界経済を減速させようとしている。世界各国の民間、公的部門の債務が重荷となり投資と消費が抑制され、BRICS(ブラジル、ロシア、中国など)の低迷が世界経済の下振れリスクとなることが危惧される。米国は金融緩和の出口戦略を模索してきたが、返済不能の債務を抱える日本政府に金融緩和の出口は無く、緩やかなインフレでハイパーインフレを阻止することを長期的な戦略とし、インフレ率2%の実現を当面の目標にしてマイナス金利を続行し、量的金融緩和は現状に止めることが望ましいと思う。
金利ゼロでも成り立つ経済として学ぶべきはイスラム金融である。イスラム金融の歴史は浅く、世界で最初のイスラム金融機関は1975年設立のドバイ・イスラム銀行とされる。イスラムの経典コーランが利子の受取を禁じており、イスラム法が禁じている豚肉、アルコールなどの商品の売買、賭博などへの投資はできないが、商品や投資を介在させることによって実体経済と乖離しない金融システムを提供する。
イスラム金融の普及は世界で70カ国以上になり、マレーシア、インドネシアなどアジアの新興国の多くがイスラム経済である。米国のハーバード大学ではイスラム金融の授業を提供しているという。投機を規制する中国経済と実体経済に依存するイスラム金融は相性が良い。中国がインドネシアなどのイスラム国家のインフラ投資に利益を度外視して参加するのは理念が合致するからだろう。
石油価格の高騰でイスラム金融は急成長してきたが、石油で蓄えた基金が世界の株価乱高下の一因になってしまった。世界各国の年金基金や石油基金の運用額が巨額になり金融市場が投機筋の思惑で乱高下を繰り返すからである。
世界人口の過半をインド、中国とアジアの新興国が占める。これらの新興国は膨大な貧困層を抱えているので超低利の融資で収益をあげ貧困を克服できれば巨大な経済圏が誕生することは疑問の余地がない。中国経済の崩壊を予測し、期待する人が多いが、中国が試行錯誤しながら政府主導による積極投資で新興国の経済成長をけん引しようとしていることは注目すべき動向である。