忘却のかなたから -8

東京都渋谷区 塚崎 義人

 

「かたよらないこころ、こだわらないこころ、とらわれないこころ、

ひろく、ひろく、もっとひろく〜〜〜」

薬師寺元管長・故高田好胤師

 

“見きわめる”眼力(世界)

「世界とは、さまざまな現象の背後にある実在の世界」と辞書に、世界という言葉には世の移りかわりを表す「時間」と境界域までの広さを表す「空間」が含まれます。

この時間と空間をイメージしながら仮説的推論(仮謬主義=不確定で不規則現象の中に何らかを見いだす)から世界を見てみます。

だれもが知る実在の世界は「宇宙」、宇宙は超高密度のエネルギーのゆらぎから生まれ150億年後に現在の世界(宇宙)になったといわれます。

宇宙は物質(無機物)の世界、その世界の中で物質の化学変化から自己複製し自己増殖する生命(有機物)が生まれました。生命は「変化」を繰りかえし多種多様な生物へと成長し、今では最も複雑で繊細な人間にまで生物は「進歩」しています。

おかげで人間の私たちは物質世界・生物世界が実在の世界だと知ることができました。

ただ、二つの世界(物質と生物)は連続し断絶するという矛盾の関係にあります。

生物世界(有機物の生命)は物質世界(無機物の宇宙)の中で生まれ同じ時間と空間の中で連続する存在なのですが、生物世界と物質世界は絶対に相容れない断絶した「別の世界」同士でもあります。

*連 続 :生物世界は、物質世界の中でしか存在できない

*断 絶 :生物世界は、物質世界とはまったく相容れない

 

なぜ物質(無機物)世界に生物(有機物)世界が生まれたのかはわかりませんが、世界は統一のとれた一つの体系でこそ安定し存続することができます。

万に一、世界にこのような矛盾する現象が発生したら?世界が取るべき道は二つ、一つは矛盾する世界を切り捨て消滅させる。もう一つは異なる別の世界として中に包み込んでしまう。そうしておけば別の世界が何かの原因で崩壊したとしても、別の世界の範囲内で止まり古い世界は何ら影響されず安定し統一性は保たれます。ただし矛盾のまったくない世界は時間と空間が密閉する無味乾燥で単に変化を繰りかえすだけの平たい世界ということだけです。

世界の発展性ということからすると自己矛盾(連続と断絶)の発生は、そこを基点にまったく新しい公理系が生まれる可能性(ある・ない)があるということです。

この可能性に積極的な意義を見いだし、実在世界とは自己矛盾(連続と断絶)のある世界だとするならば、さらに新たな別の世界が開かれることも予想されます。

この自己矛盾の発生こそが「進化」と言っていいのかもしれません。

変化 :減りもせず増えもしない

進歩 :確実性ある重層的変化

進化 :まったく別な世界

公理系:ある体系的考えの出発点

 

1.社会現象を見きわめる-2(不真面目)

 そもそも、道徳(精神風土)? 道徳の意味? 道徳的行い? などと問いかける人はすでに自律することを始めています。このような考えが自身に生じるのは、外からの強制でも反抗心からでもなく自身の自然(本性)なものからで、ひとつひとつの行いは積み重ねられ自律する自分をかたちづくります。それは社会の規範をただ受け入れるのでなく、正しいきまり?善い行い?自分の道徳観?などを認識できるようになり、いつでも自分を変えることのできる「自由」を手にすることになります。

自由というのは心の内面のはたらきすべて自由でないのは心のうち以外すべて、心の内は自由、心の外は不自由、社会はさまざまな人の生活の場なので行動には制限と限界があり好き勝手にはできません。お互いが可能なかぎり自由に行動ができその自由を保障できるのが善いきまりです。自由か自由でないかは本人次第、人の行いは道徳が何であるかを知ろうとしてするのではなく道徳ある人になるためです。

本来、道徳ある振る舞いは社会の「規範」の上にあるべきですが、まだまだ人が行う振る舞いは道徳的とは言いがたいものがあります。人は規範を受け入れ行うことは行いますが、理性的で善いことと理解してではなく社会が理性的だと言うから行うという程度のものです。残念ながら人はこのような未熟な行いのままに止どまりたがります。それは未熟でいることの気楽さからで、本人の代わりに道徳観あふれる書物、良心を持っていてくれる宗教家、食養生を説いていてくれる医者などがいれば自分で骨を折ることなく考える必要もないからです。

このような未熟な気楽さは自らが責められるべき、自らに責めがあるというのは自分に自律した自由を持たないからでなく、その自由を自ら使う意識に欠けているからです。

実際のところ自らが自由であるには“勇気”が必要、未熟な子供ならわかりますが、気楽さを言いわけに未熟さに安住し勇気を出さないでいる大人は極めて不真面目といえます。 

 

自 由 :心とこころ

不真面目:本気でないこと