忘却への回帰 -4

東京都渋谷区 塚崎 義人

 

「かたよらないこころ、こだわらないこころ、とらわれないこころ、

ひろく、ひろく、もっとひろく〜〜〜」

薬師寺元管長・故高田好胤師

 

源流-4(心の世界)

 

心の器のはじまりは記憶でした。記憶には本能記憶(生命生成の行動プログラムDNA)と知覚記憶(保持と抹消が可能)の大きく分けて二つがあります。

本能記憶は自らの生存と種の存続へ「なにがなんでも生きぬく」生命力そのもので、外界に対する反応は紋切型の決まった反射行動だけ、その行動こそが生命力を保証させるものでたとえ外界が危険になろうと躊躇せず実行します。

知覚記憶は外界(外の世界)の環境に合わせながら自由自在な行動をとることができる柔軟さがあります。もともと本能記憶を補完する生物学的属性から生まれたものです。

生物は本能記憶と知覚記憶を最大限活用しながら進歩してきました。

長い長い時を経て、生きぬく力は飛躍的に高まり、今では“賢さと知的さ”のある心の器をもつ生物にまで成長しています。

 

心の器(脳内中枢神経細胞の網目)には外界からのさまざまな情報が複雑な厚い層となって記憶されています。ただ記憶は保存されているだけでは意味をなしません。

記憶は照合されなければ無意味(死蔵に過ぎない)です。照合も記憶に裏づけされなければ無意味(対象を特定できない)となります。記憶は自己回帰(照合)され初めて躍動あふれる可能性(ある・ない)がそこに生まれます。

自己回帰は照合と対ではたらき記憶を振りかえり見つめなおす作業のことです。

同じような情報に関連する記憶はかならず照合されます。記憶は照合されるとそれぞれ相手を引き出す原因であり相手の記憶によってもたらされる結果にもなります。

記憶が照合されそこから生まれた結果は新しい記憶として保存され、再度、それらの記憶を照合するときには過去からの一連の記憶を芋ずる式に引きだします。

記憶を振りかえり見つめなおす作業をし続けることで記憶同士は相互循環する関係になり、心の器に自己回帰循環の仕組みが定着しました。

 

心の器での自己回帰循環(振りかえり見つめなおす)は記憶の領域を拡げます。

以前、忘却のかなたから-3.4で時間はパラメータ(時間の中に現象を並べる、)と述べたように、心の器の拡がりは時の流れ(時間、過去と現在の記憶)を生み、時の流れは四方八方へ広がる彼方へという空間を生みだし時間と空間のイメージを発生させます。

人間と他の生きものの大きな違いは時間と空間のイメージがあるかないかです。

時間と空間のイメージを持たない生物の記憶は現在という瞬間のみ、“瞬間”はたえず消え去りそこに流れる時間はなく、時間を持たないと今という瞬間の範囲に限定されます。私たちのいう時空間(記憶→時間へ時間→空間へ)は記憶が起源です。

 

心の器には時空間(時間と空間)が形成されています。

心の器が時間と空間(時空間)の場となると新旧の情報の対比が可能となります。

一つの判断(原因と結果)ごとに一つの基準が生まれ、かっての判断は特定の結果と結びつき「判断と結果」として一対で記憶されます。必然的に対となった判断と結果の記憶は因果の関係となって新しい基準として記憶されます。新しい基準は記憶に堆積し話の道筋やものの考え方として論理というかたちをとります。論理には推論と因果律の二つがあり、推論は事実から推論で導かれる法則(絶対論理)となり、因果律は経験による変更可能な法則(相対論理)となります。ここに心の器として自己回帰循環の基礎的機能(照合→判断→結果→記憶)ができあがりました。

 

“判断”という機能の出現は生物の行動に混乱をもたらす原因となりました。

生物の行動は「なにがなんでも生きぬく」生命力のためですから、それが一瞬でも行動を顧みて中断されることになると、自らの生存と種の存続に由々しき事態となり、致命的なダメージを与え命取りになることにもなりかねません。

そこで本能記憶と知覚記憶をさらに補完するものとして組み込まれたのが感情(喜怒哀楽)です。強烈な感情は神経回路から「判断」の回路を遮断させます。さらに本能のままに行動させるため快感(快・不快)の感覚を与え実現への魅力をもたせたことです。快感(快・不快)は心の器に記憶され堆積し感情(喜怒哀楽)というかたちになりました。感情(喜怒哀楽)の奥深い源には快感(快・不快)があります。

心の器の中ではたらく自己回帰循環(照合→判断→結果→記憶)は、情報の堆積を記憶に、記憶の堆積を時間に、時間の堆積を空間へと成長させ、判断と結果の堆積は論理となり、快感(快・不快)の感覚の堆積は感情(喜怒哀楽)となりました。

 

ここに疑問があります。ほかの生物にみられるような記憶だけの循環は、所詮、離散的記憶の堆積にすぎません。

生物世界での遺伝的属性の機能現象でしかない記憶の堆積から、

人間の心の器に、なぜ時間や空間や因果律や論理などが生まれ得たのでしょうか?