日本の政党政治(2)−日本の政党に期待すること

東京都文京区 松井 孝司

 

失敗した政権交代

平成4年(1992年)11月に旗上げをした「平成維新の会」は日本を「国家主権」から「生活者主権」の国に改めるべく、「新・国富論」「平成維新」「平成維新PartII」「ボーダレス・ワールド」など大前研一氏の一連の著作を通じて具体策を提示し、平成5年7月の総選挙では政策に賛同する自民党、社会党、新党さきがけ、日本新党所属の議員と無所属の議員など82人の平成維新の会推薦候補が当選し、自民党が過半数を割ったため非自民、非共産の8党派連立の細川政権が誕生した。

しかし、細川政権は一年も持たない短命政権に終わり、政権を引き継いだ「自社さ」政権は自民党を復活させ、万年野党であった社会党は政権参加で衰退を促進させる結果になった。

唯一の成果は金のかからない選挙、政策本位の選挙といわれた小選挙区制の導入と政党交付金の創設であったが、いざスタートしてみれば中選挙区制以上に金がかかり政策本位にはならず、自説を曲げて党首と選挙民に迎合しなければ議員になれない議員にとっては地獄の選挙制度になり日本の政党政治を劣化させる原因になった。

 

鳩山由紀夫氏が新党さきがけを離党して民主党を設立し、文芸春秋平成8年11月号に発表した政権構想と「小さな中央政府と大きな権限をもつ効率的な地方政府による地域主権国家」の基本理念は「平成維新の会」の構想と重なるところが多かった。

鳩山氏は細川連立政権について「改革の旗印を掲げて登場したが国民の目には政治ゲームとしか映らず、改革への期待感は消滅し、むしろ一層深刻な政治不信と先行き不明の閉塞感が深まった」と述べている。「政党というものは志と政治理念、そして未来への責任を共有する集団であるべきはずである」として、民主党の「公認調整は厳選したい」と発言したため参加を予定していた社民党は紛糾したが、昨今の希望の党結成時の排除の論理による民進党の分裂、紛糾とそっくりだ。

 

平成7年(1995年)6月末で平成維新の会は会員活動を停止することになったが、会員の中から全国規模の電子ネットワークを構築し会員100万人の獲得をめざす組織の消滅を惜しむ声が上がり、地域エリア単位で組織をつくり活動を継続することになった。東京では平成維新の会・東京エリアの会員を中心に「平成維新を実現する都民の会」が設立され会員活動を継続した。平成11年1月には「生活者主権の会」に名称を変更して議員推薦活動も継続することにした。そして平成17年9月から「政権交代の実現に貢献する」を目標とし推薦候補者を民主党所属で企業献金を受け取らず自治労など官公労の支援を受けない人物に絞ったため東京25選挙区で該当する議員は長妻昭氏他数名になってしまったが、平成21年8月の総選挙で念願の民主党政権による政権交代を実現することができた。

しかし、民主党政権は結果として我々の期待を裏切ることになった。

 鳩山内閣で厚労大臣を務めたミスター年金の長妻議員が初登庁で胸のポケットからマニフェストを取り出した姿は新しい時代を感じさせるものであったが、鳩山内閣は次第に国家官僚に取り込まれていき、最後まで立ち向かったのは長妻氏一人であった。

そして菅内閣に変わり長妻氏が退任すると民主党政権は面従腹背の官僚の虜になった。野田内閣になってマニフェストに無かった財務省主導の消費税の増税を決めたとき民主党に黄信号が点灯し国民の支持を激減させることになった。

 

 

立憲民主党は期待できるか?

 長妻議員が立党に係わった立憲民主党に期待できるのは、その「党名」である。無知な人でも数を集めれば政権を奪取できる民主制は君主制以上に欠点が多く衆愚政治になりやすい。無知な人は洗脳されやすく暴徒に化けることもあり、悪名が高いドイツのヒトラー政権も民主制が生んだものである。

民主制の最大の敵は無知、偏見であり、権力を奪取した者が無知な人を洗脳しないように教育権(=国民の知る権利)を国家権力から分離する規定を憲法に明記すべきだ。その観点から立憲民主党が真っ先に取り組むべき課題は衆愚政治を阻止し、日本の政党政治のレベルを向上させるための憲法改正である。

憲法学者が憲法違反とする第9条だけが問題ではない。戦後GHQが許可した現行憲法は君主制と共和制が混在する条文になっており明治憲法による中央集権の機構を残したまま米国の地方自治の法体系を許す内容になっており異なる理念で書かれた憲法が形骸化するのは必然である。

 小室直樹氏はヒトラー政権が「全権委任法」(可決した翌日公布・施行)で立法権を掌中にしたとき模範的とされたドイツのワイマール憲法は死んだという。小室氏の見解によれば権分立は名ばかりの日本国憲法も「すでに死んでいる」ことになる。

名ばかりで玉虫色の憲法はいかようにも解釈できるため為政者には好都合であったが、その欠点は政府の肥大化、制度疲労となって露見している。無責任な官僚支配により国家で最も重要な安全保障と経済成長に支障をきたし、円高デフレによる経済の長期低迷を放置してきたため消費税を増税しても政府の債務は増大するばかりだ。

 政府が賢明であれば円高を阻止し、経済成長を促進する手段はいくつもあった。プラザ合意後の超円高を放置せず金融緩和で円安に誘導していたら日本企業の海外への流出を阻止し、日本経済を長期に低迷させることも無かっただろう。民主党内にも金子洋一氏のような金融緩和論者が存在したが外交音痴、経済音痴の民主党の首脳部は聞く耳を持たなかった。民主党政権時にマクロ経済理論による大規模の金融緩和、マイナス金利政策(=金融資産課税)を実施しておれば、いち早く日本のデフレ経済は解消されアベノミクスに出番は無かったのだ。

 

 民主党が消滅し1強多弱となった野党は国会で殆ど政策提言をせず、「森友・加計問題」などで低レベルの議論を延々と展開し、貴重な時間を浪費するばかりで立法府の機能マヒを起こしている。

 小泉元総理や細川元総理らが唱える「原発ゼロ」政策に飛びつく立憲民主党の枝野代表は経済音痴だけではなく科学音痴であることを実証した。原発ゼロを叫ぶ人たちは放射線が怖いからだろう。放射線を怖がるのは放射線がエネルギーであることを知らない無知、不勉強の人たちである。

 日本のメデイアと政治家は殆どが科学に疎く、専門家が原発の安全性を保障しても再稼働を許さないため日本での化石燃料による発電量は8割を超え炭酸ガスの排出を増やして環境破壊を促進させているだけでなく、化石燃料資源の輸入で国富の海外流出を加速し燃料価格高騰のリスクを高めている。

 古くから知られるラジウム温泉の効能は低線量放射線がもたらす効果である。放射線は使い方により人体に有益な効能を有するにも拘わらず放射線はどんなに少なくても危険と考えるLNT(直線しきい値なし)仮説が定着してしまったことが放射線恐怖症を全世界に拡散させ根拠のない風評被害が拡大した原因である。この仮説を提起したのは遺伝学者ハ−マン・マラーで1946年にノーベル賞が授与されたが、自説を通すために事実の歪曲をいとわない人物であった。このマラーを利用したのが原子力産業を拡大させては困る石油資本である。マラーとロックフェラー財団は米国科学アカデミーを取り込んでLNT仮説を普及させたという。(須藤鎮世著「放射線を恐れないで!福島へのメッセージ」幻冬舎ルネサンス新書参照)。

 環境保護団体グリーンピースの共同創設者であったパトリック・ムーアはロックフェラーからの巨額の活動資金を知って団体から離脱し原発推進論者に転向している。原子力エネルギーに対する考えを変えたのは1990年以降であり、原子力はコスト・安全性・クリーン度に優れ、水素生産、海水の淡水化、ビル、温室の暖房エネルギーとして化石燃料が徐々に衰退するなかで持続可能性のあるエネルギー源としてその役割はますます大きくなると予測している。

 

 

日本の政党に期待すること

 鳩山政権がめざす「自立と共生」の理念は悪くなかったが、失速したのは道州制への移行、行政改革による「小さな政府」の実現や沖縄米軍基地の国内外への移転など短期間では実施が困難な難題を政策として掲げていたからであり、「大きな政府」が生む巨大な既得権益を死守する政治家と官僚の「抵抗力」に負けたのである。政権交代をめざす日本の政党は失敗の歴史に学び官僚集団に勝る「知力」と「実行力」を身につけなければならない。

古今東西の思想、哲学と最新の科学の成果に学び外交音痴、経済音痴、科学音痴を克服し、正義を求めて混迷する21世紀の世界に通用する具体的政策を提案することができれば再度の政権交代も夢ではない。

 鳩山由紀夫氏は「未来から大胆に今を捉え直すというのが我々の政策的発想である」と述べているが宇宙人にふさわしい発言である。

 「自立」と「共生」を実現するのは「友愛」の精神であり、友愛の精神は人間同士の関係だけでなく人間と自然の関係にも及ぶもので「人体における免疫システムにも似た有機的な自立と共助の組織でなければならない」とも述べている。

 人類の進化の歴史を過去に遡って振り返ることも重要な示唆を与えてくれる。人体内で役割分担をするミトコンドリアは他の生物との共生の成果であり、生物の動物と植物への分化、雄と雌への分化にも両者の共生関係が存在する。共生を可能にするには特定の条件が必要であり、対立する両者に相互依存の補完関係(相補性)が成立する場合に限られる。進化をつづけ持続可能となる生物集団には相補性の存在が不可欠なのだ。

虚言、偸盗、殺人を戒める倫理・道徳も人類が進化の過程で無意識に獲得したもので宗教、価値観の相違を超えた普遍性を持っているが、相補性が満たされない集団では倫理・道徳も消滅する。この普遍的な生物の原理を具体的な政策に反映させることが重要である。

 

 自立は「自由」に共生は「平等」の理念に対応する。自由、平等、友愛は米国の建国の理念にもなったフリーメイソンの理念であり、社会学者の橋爪大三郎氏によればフリーメイソンとプロテスタントの一派であるユニテリアンは別の組織であるが、その理念、思想は酷似するという。科学と親和性が高く普遍性を持つフリーメイソン、ユニテリアンの思想は西周、津田真道、ジョン万次郎らによって日本に持ち込まれ四民平等の明治初期の啓蒙思想となって日本の近代化、民主化に貢献した。

 

 明治政府内では当初、尊王攘夷を看板に掲げる復古神道派と欧米の文明を受け入れる啓蒙思想の二つの相反する思想が拮抗していた。明治10年の西南戦争で西郷隆盛が死去すると欧米流の啓蒙思想に対する批判と言論統制が厳しくなり、東京大学初代総理となった加藤弘之は人権を説く啓蒙思想家であったが自著を絶版にして国家主権論者に転向してしまった。明治22年に憲法が発布されても文部大臣で啓蒙思想家の森有礼が暗殺され、明治23年に教育勅語が発布されると国民は儒教思想により洗脳され、日本は天皇主権の専制国家となり、政党は存在しても自由と平等を尊重する民主制の国家ではなくなった。明治以降150年の成功と失敗の歴史に思想、哲学が甚大な影響を及ぼした事実を日本の政党は学ばなければならない。

 

ピーター・F・ドラッカーは日本の明治維新を世界の歴史の中でも稀有な成功例と高く評価しているが、その成功例は民間人となった渋沢栄一と岩崎弥太郎らが産業社会で築いた成果であり政府がもたらした成果ではない。平成の今日政府に残された未解決の課題は山積みで日本はいまや課題先進国である。

21世紀の日本は少子高齢化と政府の1100兆円を超える巨額債務の解消という難題を克服しなければならない。この難題を克服するには中央省庁の縦割り行政が生む巨大な既得権を解体し「小さな政府」を実現して政府、自治体の効率を飛躍的に高める必要がある。中央省庁の縮小、解体という難題に挑戦する日本の政党に求められるのは難敵をも服従させる「知力」と破壊的イノベーションを断行する「実行力」を兼ね備えた人材である。

世界のすべての政府にとって「小さな政府」は実現が難しい永遠の課題であり、少子高齢化が進行する社会の中で政府の巨額債務の解消という難題を解決できたら政府による稀有な成功例として世界の歴史に記録されるだろう。