忘却への回帰 -6

東京都渋谷区 塚崎 義人

 

「かたよらないこころ、こだわらないこころ、とらわれないこころ、

ひろく、ひろく、もっとひろく〜〜〜」

薬師寺元管長・故高田好胤師

 

源流-6(心の世界)

 

 特異点“こころ”を起点に、心の世界ははじまりました。

“こころ”とは統覚(意識の統一)のことです。

離散する記憶を時間軸パラメーターに連続整理し、抽象的な論理概念や、時刻から時間へ、位置から空間へ、事象から因果律へ、快苦から好悪へ、離散記憶を統合し連続性ある思考(概念)を生み、かの有名なパラドックス「アキレスは亀に追いつかない」のように有限と無限の違いを理解し有限から無限へ飛躍できることです。

統覚(意識の統一)

・連 続 :離散から連続へ

・抽 出 :実体験しえないものを

・統 合 :一つのまとめを創る

 

 心の世界の中は“表象”という立体像で満ち溢れます。

表象というのは、こころ(統覚)の自己回帰(振りかえり見つめなおす)によりありとあらゆる思い浮かべる記憶が複合する立体像といえます。

生物世界に個性ある生物がいるように、心の世界もさまざまな個性ある表象があります。

個性ある表象は過去からの表象と繋がり過去の表象根をひきずり、すべての表象の総和は心の世界を個性化していきます。個性化された心の世界は浮かんでは消える表象を抽象・捨象しながらそれぞれの表象を変貌させ、変貌する“表象”はすこしずつ平らたくなめらかでレベル高い“普遍性ある表象”へと進歩していくようです。

 

 こころ(統覚)は“自己回帰”することで外界の現象(情報)から数多くのさまざまな経験をします。これらの経験は心の器に記憶する表象を心の世界の場へ引っ張り出しその表象に立ち入り干渉します。その干渉に対し心の世界は複雑に反応しながら思いもつかない予測不可能な立体的表象の姿を現わし、自己回帰をすればするほど干渉と反応は心の世界の表象を複雑に加速させ変貌させていきます。

 

生物世界の自己展開は「なにがなんでも生きぬく」生命力の支配則“自然淘汰”という遺伝子記憶(生命生成DNA)を個性化させる原理がはたらいています。

心の世界の自己展開も「たどるべき普遍性」へ向けて“普遍淘汰”という表象自身の位置を争い個性化する選択原理がはたらきます。

現在の人間の心の世界の“普遍淘汰”は生物世界から連続する初期的な選択原理です。

その初期的選択は三つぐらいの軸から選択され、まず一つ目は論理的に「何がなんでも生きぬく」という目的に合うかどうか? 次に感情的に外の現象が「快・不快」の好悪なのかどうか? 最後に自己回帰する軸に「新たな表象像」を創造できたか? という大別する三つぐらいの基準値で選択していると考えています。

*論理軸・・・・生きる (何がなんでも生きぬくに合致するか)

*感情軸・・・・快・不快(好悪かどうか)

*自己回帰・・・創 造 (自己言及の座標点)

 

 心の世界の“普遍淘汰”へ向かう表象のはたらきに対し選択を制約するもの、生物世界から連続している初期的選択の“論理と感情と自己回帰”の基準値を変える個人的選択があるはずです。その制約するもの自身も自己回帰し成長し新たな制約原理として姿をあらわします。これは人間が持つとされる“意思”のことです。意思とは思い浮かべ何かをしようとする考えで一種の自立性と自律性をもちます。

意思の自由は表象のはたらきを制約する自由です。心の世界の自己展開は“意思”の自由則原理に従って動きます。この自由則は自律性の原理なのですが、いまのところその人間の意志の自律性の内容がどうなのかはよくわかっていません。

 

心の世界は“こころ(統覚)という特異点から始まり、心の世界で”表象“という立体像が浮かび消え飛び回り、心の世界を常に自己回帰(振りかえり見つめなおす)し、人間が持つ“意思”による「たどるべき普遍性」に向け展開しているところです。

*特異点・・・・こころ (統覚:有限→無限)

*要 素・・・・表 象 (立体:表象の姿)

*体 系・・・・自己回帰(経験:表象相互の変貌)

*展 開・・・・意 思 (自由:たどるべき普遍性へ)

 

宇宙(物質世界)> 生命(生物世界)> こころ(心の世界)!

・変化 : 減りもせず増えもせず(ただただ変わるのみ)

・進歩 : 確実性ある重層的変化(進化へ向け)

・進化 : まったく別の世界(連続と断絶)

   人間の心の器(中枢神経細胞系)の中に生まれた、

心の世界の“たどるべき普遍性”とは何でしょう?