自己回帰 -1

東京都渋谷区 塚崎 義人

 

「かたよらないこころ、こだわらないこころ、とらわれないこころ、

ひろく、ひろく、もっとひろく〜〜〜」

薬師寺元管長・故高田好胤師

 

こころ(統覚)-1

 

世の中は、眼に見えるもの(身近なまわりのもの)、眼に見えないもの(光・電波など)、すべてのものが「素粒子」という最小単位の同じ物質で構成されます。

動植物から私たち自身の体や心もやはり同じ素粒子の物質から成り立ち、素粒子はさまざまな粒子で組み合わされ、それらの粒子の特性が基本的に四つ、強い力の粒子、弱い力の粒子、電磁気力の粒子、そして重力の粒子、があります。

私たちの脳内にある心の器(中枢神経細胞の網目)の中にあるこころ(心の世界)も粒子で組み合わされ、特に電磁気力の粒子の影響が大きく関わっているかもしれません。

 

 心の世界を自己回帰(ふりかえり見つめなおす)する方法は、さまざまにあります(抽象的・具体的)が、ここでは帰納法と演繹法という方法を使います。

・帰納法:個々の事実から共通の法則を導く (〜以上の事実から次の結論が・・・・)

・演繹法:共通の法則から必然の結論を導く (真実から推論すると次の結論が・・) 

遠い昔、歴史的な人々の中には心の世界へ完全に超越され、あらゆる社会的現象を心の世界から観察し述べている智慧(賢さと知的さ)の記録が現代に伝わっています。

そこで今回、日本の人々に広く浸透し誰にでも馴染みのあるものを選びました。

 

「般若心経」という短編の経典です。

約2世紀(1800年前)、インド仏教僧、ナーガールジュナ(日本名、龍樹)が、ブッダ(釈迦)の散文的説法を「空」の無自性を基礎にして論じたものです。最古のサンスクリット本「般若心経」は法隆寺に伝承され、日本の名だたる諸宗派で龍樹を八宗の祖と呼び尊崇しています。

その般若心経の一節に「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」があります。

現代語訳は、

「物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得るので)ある。実体がないといっても、それは物質的現象から離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。(このようにして)およそ物質的現象というものは、すべて実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである」信じられませんが、最初に書き出した「素粒子」の物質的現象をまったく同じように説明し解説されていることです。

 

般若心経の全文と現代語訳です。

 

「摩訶般若波羅蜜多心経」

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 乃至無意識界 無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶 般若心経

 

全知者であるさとった人に礼したてまつる。

求道者にして聖なる観音は、深遠な知恵の完成を実践していたときに、存在するものには五つの構成要素があると見きわめた。しかも、かれは、これらの構成要素が、その本性からいうと、実体のないものであると見抜いたのであった。

シャーリプトラよ、この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得るので)ある。実体がないといっても、それは物質的現象から離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。(このようにして)およそ物質的現象というものは、すべて実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。これと同じように、感覚も、表象も、意思も、知識も、すべて実体がないのである。

シャーリプトラよ、この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、

汚れを離れたものでもなく、減るということもなく、増すということもない。

それゆえに、シャーリプトラよ、実体がないという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意思もなく、知識もない。眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から意識の領域にいたるまでことごとくないのである。

(さとりもなければ)迷いもなく、(さとりがなくなることもなければ)迷いがなくなることもない。こうして、ついに、老いも死もなく、老いと死がなくなることもないというにいたるのである。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。知ることもなく、得るところもない。それゆえに、得るということがないから、諸々の求道者の知恵の完成に安んじて、人は、心を覆われることなく住している。心を覆うものがないから、恐れがなく、転倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っているのである。過去・現在・未来の三世にいます目ざめた人々は、すべて、知恵の完成に安んじて、この上ない正しい目ざめをさとり得られた。

それゆえに人は知るべきである。知恵の完成の大いなる真言、大いなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言は、すべての苦しみを鎮めるものであり、偽りがないから真実であると。その真言は、知恵の完成において次のように説かれた。

往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸いあれ。ここに、知恵の完成の心を終わる。

(岩波文庫・中村元・訳注「般若心経・金剛般若経」より引用)

 

もうおわかりのように物質世界・生物世界・心の世界の現象を帰納法と演繹法を使って看破し、特に心の世界の「構造と現象」を具体的に説明してあり、とても平坦でわかりやすい経典です。

 

この「般若心経」経典を援用させていただきながら、

心の世界の「構造」と、現代社会の「現象」を探求していきます。