アジアは1つ!
新宿生活研究所 浦 上 登
◆中国の急激な台頭、トランプ大統領のアメリカ第1が貿易摩擦で「新しい冷戦」が芽生えている。
中国はアヘン戦争(1840〜42)でイギリスと戦って敗北、自分等の領土で在り乍ら 公園の入口に、犬と中国人は入る可からず、の立て札は民族の屈辱として再び味わう事は出来ない。インドは200年に及ぶ植民地支配を味わい、日本は世界で最初の原爆を味わっている。味わっていながら日中の片方は米国の味方になってアジアの領土でアジア人同士が戦っている。この様な愚かな事を繰り返してはならない。
「アジアは1つ」、"72日中国交正常化に当たって中国側の賠償請求権の放棄は信頼の未来志向にある。
◆結論・・グローバル競争下には「アジアは1つ」に団結する、(例 EU・欧州28ヵ国の団結)。
・理由・・アメリカとの2国間交渉は基本的条件が違い過ぎて公平・公正さが欠け鶏群の一鶴になる。
・提案・・RCEP(東アジア包括的経済連携協定)でまとまる、(将来の国家安全保障になる)。
目覚めた獅子は周辺を荒らさず 戦わずして勝って欲しい、欧米列強は言う事とヤル事は違い戦争上手。寿司の様に米国は大トロ、中国はシャリ、日本はワサビ、少量で見えないが無かったら寿司にならない活かし合いのウイン
ウインになって軍事力を背景にした「圧力協定」では歴史から学んでいない。
◆対中摩擦にアメリカの言い分には日本も共有している。根本的な解決には3点、@自国企業の補助金、A知的財産権の保護、B進出企業への強制技術移転、などで具体的な処置を講じることが重要です。
政治体制で日米は、自由、民主主義、法の支配 が確立しているが中国は1党独裁の国家資本主義である。
ネット時代各国は密接な関係です、米国は中国製品に高関税を掛けようとしている、問題のフアーウエイのスマホの排除に全てでは無いが日本企業のサプライチェーンにも打撃が及ぶ、日本は政治面や安全保障では米国側に立つが、経済面では中国依存度を高めている。だが'60年に制定された「日米地位協定」は改正が必要です、新日米安保条約の第6条に基づいて在日米軍の取り扱いなどを定めているが当時は止むを得なかったのだろうが日本の法律を超えた治外法権的な特権が認められ、例えば日本の航空法でさえ適用されない住宅密集地でも自由に平然と訓練を行い自立した主権国家では有り得ない。
日米安保は日本よりアメリカの方が遥かに必要となっている。日本は戦争を放棄し大国間で平和的な政策でキャスティング・ボートを握る「バランス力」を保有しているが最も恐れているのは米国です。
日本の弱点は無資源にあるのではなく政治家の勇気欠落にある。
◆21世紀は「アジアの世紀」の流れにあるが団結力に掛かっている。団結だけで1国であるより国家間で助け合っており潜在力を増すがバラバラだと国力以下になる。アジアには大小22ヵ国(外務省)あるが先進国から発展途上国、大陸から島国、民族、歴史、文化、宗教、芸術、価値観など多種多様な国から成っており強みであり弱みでもある。パール博士は 西洋の「分割して統治せよ」と言う政策を警戒して下さいと日本に忠告している。日本、中国、インド、が三位一体「大同小異」(小異を残して大同に就く)RCEP(東アジア包括的経済連携)の団結は巨大人口即経済規模で大きな可能性を秘めている。
◆中国がシルクロード経済圏構想(一帯一路)を発表すれば・・日本は海底トンネルで薩摩半島から種屋久・・奄美・・沖縄・・台湾・・を通って大陸フーチョウ(福州)へ目指す・・と呼応する位あっていいのだが・・・やれない。日米安保条約はこの様なことまで規制しているとは思わないが 南シナ海や、AIIB(アジアインフラ投資銀行)を使った一帯一路の進出は多くの国が警戒視するようになり、そこへ、トランプ大統領のアメリカ第1と中国の改革開放策の摩擦は、覇権を控えた世紀の潮流に変わってきた。
◆東京裁判 正式には「極東国際軍事裁判」が余りにも不公正で報復的で原爆投下も必要でなかったのに「原爆投下は最大の戦争犯罪である」パール判事の判決文があった為 発表が長い間連合国司令部の禁止令で世に出なかったが1952(昭和27)年4月28日 太平洋出版社から「日本無罪論」で世に出る。この日は講和条約の効力を発し日本が晴れて独立した日で主権が、GHQの手から離れたからである。
その頃既に欧米の法曹界や言論界においてパール博士の少数意見が非常な波紋を呼んでいた。
1950年英国政界の元老で国際法の権威であるハンキー卿(大臣級)が「戦犯裁判の錯誤」をあらわし「裁判官パール氏の主張が、絶対に正しい事を私は全然疑わない」とハッキリと言明する。裁判の原告キーナン主席検事は、僅か5年後に「東京裁判は失敗であった」と発表する。ロンドンの世界事情研究所監修「世界情勢年鑑」(1950年版)には54〜104ページにかけて東京裁判を解説し、パール判定が正論であることを裏付け又 真珠湾攻撃は日本に最初の1発を放させる為のオトリであった事も分かる。
◆ラダ・ビノード・パール判事はインド代表として ネール首相の懇請による任命で来日する。
博士の判決文は英文にして1,275ページで他の10ヵ国の全文より多く、2年半にチエックした資料は45,000部、参考書籍は3,000冊に及んだ。11ヵ国中たった1人の国際法学者として反対しその為 身の危険もあったと言われる。文中 日本軍は国民に隠し酷い事や残忍な事をした記録もあるが米国やソ連の行為から見るとその規模が余りにも違うのだが 判決では多数決で却下されて行く、この理不尽な事について博士は判決文の中で次の様に書いている・・
「時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また理性が虚偽からその仮面を剝ぎ取ったあかつきには、正義の女神はその秤の平衡を保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するであろう」と表明している。また占領政策においては日本民族の弱体化も進められた事も残されている。
連合国最高責任者として君臨したマッカーサーは帰国しアメリカ上院において査問された時の答弁に
「日本が第2次大戦に赴いたのは安全保障の為であった」と証言、トルーマン大統領との会談においてハッキリと「東京裁判は誤りであった」と報告した。日本を戦争へ追い込んで行った事がハッキリする。
"平和と人道のため"と銘うった大がかりな国際軍人裁判は、完全なる失敗に終わった・・が7人の死刑囚は還らず、名誉も回復せず、東京裁判は訂正・無効・取り消しもならないまま後世に残って行く。誤った判決文なのにアメリカ人の子孫には輝かしい勝利の歴史となって行くが、日本には正しい歴史のため当時の軍国主義者が国民に隠して行った事も含めて訂正する責任がある。
◆その後 パール判事(博士)は日本の招きに応じて来日されたのを機に 日本の有力者が、日本の為に心から謝意を述べると博士の返事は「日本の為ではなく 正しい事をしただけです」。【パール博士の日本無罪論】(著者・田中正明―慧文社)より。
◆過去500年欧米列強は相手国より優れた理論と武器で世界を侵略し気がつけばアジアの一部を残して白人が支配した歴史である。戦の度に勝利し領土を拡大し今も「力の政策」が行われている。歴史が教えている「新しい冷戦」をアジアで芽生えさせず、アジア人同士戦わず、アジアの地で戦ってはならない、築城の土台
大小の石積みが協力し合って団結している様に「アジアは1つ」であって安定する。