21世紀の資本主義(2)−「反」ではなく「非」の哲学を!

 

東京都文京区 松井 孝司

 

21世紀の新しい資本主義

 21世紀の人類にとって「持続可能性」は最重要課題であり、2015年の国連サミットでは2030年までに達成する持続可能な開発目標SDGsSustainable Development Goals)の17の目標が採択され、環境に配慮し社会性と企業統治を重視するESG企業への投資が推奨されるようになった。

 

日本では日経平均株価が198912月に過去最高の38915円をつけて以来30年間低迷がつづきアベノミクスによる金融緩和政策と日本銀行(日銀)の「株の爆買い」で辛うじて20000円台が維持されているのが現状である。

日銀により株価が維持される日本は株主が主導する米国とは大きく異なり、日銀が孤軍奮闘する資本主義に持続可能性は期待できない。

著名な投資家ジム・ロジャーズ氏は政府債務の膨張が止まらない日本の現状から未来を悲観的に予測し、10歳の若者には日本から脱出することを勧めている。

 

アベノミクスは政府、日銀が主導する資本主義であり、政府による規制が多く競争原理が機能しない日本社会は社会主義の中国以上に中央集権的且つ政府依存になっている。政府依存の資本主義は資本主義の顔をした社会主義であり、日本は日銀が異次元の金融緩和をしても財務省が主導する消費増税で効果を打ち消し、2%のインフレ目標さえ達成できずGDP(国内総生産)も500兆円前後で低迷してきた。

日本経済が低迷する原因は大きな政府志向の社会主義的政策によるもので政府の管理下にある膨大な資金が付加価値を生まない官製事業に消え経済成長に寄与していないからである。

 

 アベノミクスを支持するリフレ派の人たちは政府の莫大な借金は所有する資産と相殺できると試算するが資産の価値は時間の経過とともに激変する。利用されない資産の価値はゼロであり、バブル時代に2000万円以上の価格がついた別荘、リゾートマンションも利用されなくなると多くが負動産化して100万円以下でも売ることができないのが実状である。資産デフレがつづく日本はハイパーインフレにはならないと考え大規模な財政出動を主張する人もいるが、南米のベネズエラのように政府が借金漬けとなり貴重な資産があっても付加価値を生むことができない社会主義国家には、ある日突然インフレが訪れる。

 

2018年は年末から2019年の年初にかけて海外のヘッジファンドによる株の売り操作で株式市場から巨額の資金が流出し、日経平均株価は5000円も下落し20000円を切ったが、再び上昇に転じているのは日銀によるETF(上場投資信託)爆買いのお陰である。

日銀による爆買いがつづけばETF対象の東証一部上場企業は大株主が日銀になる。日銀が保有するETFの含み益は株価で大きく変動し、日経平均株価が18400円を切ると含み益がなくなり、11700円になると累積赤字が自己資本を上回って日銀は債務超過になるという。

日銀は日本政府と一体不可分の存在であり株、債券など所有する資産の価値が激減し債務超過になることは政府の財政破綻と同義とみてもよいのではないか?

21世紀に入って日本経済の低迷が著しかった2002年、2008年、2011年の3回、日経平均株価は8000円台に下落している。再び10000円を切り日銀が債務超過になればハイパーインフレにならなくても日本銀行券の信用低下で超円安になり、日本政府の円ベースの実質債務は激減するだろう。

超円安になれば日本経済が奇跡的に再生する可能性もある。超円安によるインフレこそ最も実現の可能性が高い現代版「徳政令」なのだ。

 

21世紀には資本主義が終焉を迎えると主張し、経済成長を否定する政治家、経済学者が存在する一方で新しい資本主義が日本から誕生すると力説する人が出てきた。

 日本経済が高度成長を実現した一時期、日本独特の個人株主不在の資本主義は「法人資本主義」であるとして奥村宏氏は否定されたが、経営の神様松下幸之助氏は「企業は社会の公器」とされ企業が社会とともに繁栄する重要性を主張された。

企業は社会の公器と考える日本型経営を再評価し、米英型株主資本主義の終焉を説く原丈人氏が社会に有用な企業を生み出す経済システムとして提案する「公益」資本主義は長期保有株主を優遇する企業の経営哲学にもとづくもので、先端技術をもつ企業育成のために自ら起業家、投資家、経営者となって実践しているところが机上の空論を説く経済学者とは異なり説得力がある。

投資家の新井和宏氏も近江商人の売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」を発展させた持続可能な資本主義、100年後も生き残る会社の要件として「八方よし」の経営哲学を提案し、経済性と社会性を両立させる「八方よし」の理念を持つ企業への投資を勧めている。

 資本主義に求められているのは新しい「哲学」であり、日本の政治、経済に欠けているのは哲学である。哲学の貧困が日本社会に行き先不明の混迷をもたらしている。問題解決には発想の大転換が必要であり、日本特有の「非」の哲学にもとづく思考方法が役立つのではないか?

 

「反」ではなく「非」の哲学を!

 「非」の哲学とは仏教の思想であり、対立する存在を「非」または「不」という表現で否定しながら両者を融合してしまう哲学である。人間社会で対立する存在を融合することは容易ではないが、人類の進化の歴史に学び物事の本質を洞察する「智力」があれば不可能ではない。

 

 仏教経典の般若心経では「不生不滅」が説かれ、第2の仏陀といわれるナーガルジュナ(竜樹)が「空」を説くのは「有」「無」に捉われる不毛な議論に終止符を打つためである。

 仏教はインドのヒンズー教や中国の道教から大きな影響を受けてきたが日本の大乗仏教は独自の発展を見せており、存在するものには皆原因があると考え善悪を問わず、すべてを受け入れる。

日本の仏教寺院では梵天、帝釈などの古代インドの神を受け入れるのは勿論、天照大神、八幡大菩薩などの日本固有の神も受け入れている。宗派により異なるがキリスト教では邪教として排除される蛇や狐まで祭る処があり、融通無碍の思想、哲学をもっているのが日本仏教の特徴である。

日本国内に多くの信者を持つ阿弥陀仏はアミータ(無量光仏の意)が語源であり、起源は太陽崇拝と思われる。太陽が西の空に沈むのを見て阿弥陀仏が住む極楽浄土が西方にあると錯覚したのではないか?錯覚であっても崇拝する実態を排除せずに仏教は取り込んでしまったのだ。

 

20世紀初頭に登場したアインシュタインの相対性理論が教える天文学はニュートン力学からは出てこない。アインシュタインの力学は「非」ニュートン力学であるがニュートン力学に「反」するものではなく包含している。

科学理論は常に「反」ではなく「非」の思考方法で進歩してきた。経済理論は科学理論のように検証することができないので試行錯誤は避けられないが、新しい資本主義を実現するには対立する思想、理論を拒否せずに受け入れる融通無碍の哲学が必要である。

 

量的金融緩和政策により市場に金融資産が溢れてもインフレにならないことは貴重な経験である。日本経済の問題解決に求められるのは金融緩和政策を補完する思想、理論であり、日本の経済成長を持続可能とするための政策である。

国民の年金給付の原資となるGPIF(公的年金投資基金)の含み益を確保するため株価の維持も不可欠の操作であり、日銀に代わる投資家が求められるが幸いなことに日本国民が所有する個人金融資産は1800兆円もある。

国民が金利ゼロでも貯蓄に励むのは老後の不安によるもので老後を保障する年金制度に持続可能性が期待できないからである。

税制は国民の意識と行動を変える格好の手段になる。「貯蓄から投資」へと国民の行動を変えるにはNISA(少額投資非課税口座)のような期間限定の中途半端なものではなく、510年の中長期保有株主の配当所得を優遇して個人の資産形成を促し、歳入庁を設けて国税庁と年金機構は一元化し税金を多く収めた人は多くの年金を受け取ることができるように税制と公的年金制度を一体化する税制の抜本的な改革が求められる。

 

日本経済の長期に亙る低迷の原因は日本国民にもあり土地に対する執着が生んだバブル経済が崩壊しても国民の価値観が変わらず、資産デフレが放置され日本国内の土地が生む付加価値を増やすことができなかったからである。日本経済の問題解決には「所有から利用へ」「画一から多様へ」「有形から無形の財産へ」と資産に対する価値観を変え「価値とは何か?」を問い直し、新しい付加価値を創造しなければならない。

 

人々の欲望にもとづく競争が資本主義の発展を支えてきたが持続可能とするためには市場経済の「自由」な競争が生む格差を社会主義の「平等」の理念で是正しながら資産の有効利用を促進する必要がある。

具体的には国民の土地と貨幣への執着を断ち有効利用を促進できるように日本国憲法第29条に規定する財産権の内容は公共の福祉に適合するように「土地と通貨は公共財」と明記し、税金は公共財となった土地と通貨の利用料として利用価値に応じて徴収するのも一案である。

土地登記における所有権は利用権に変更する。土地の利用料は地方自治体が固定資産税として徴収し、通貨の利用料は個人、法人の所得税として国庫に入れるのは従前通りであるが、通貨の利用には消費活動も含まれるので景気の変動で税収が大きく変動することはなくなり、大口の利用者には累進課税を適用し、税収を低所得の国民にベイシック・インカムとして支給する場合の合理的根拠になる。

さらにブロックチェーン技術を使って土地登記と金融資産のデジタル化(暗号資産化)を推進して資産の不当な海外への流出や詐欺的取引を阻止し、タンス預金として蓄えられる現金には有効期限を設け、登記されない土地、所有者不明の土地は公有化して登記を徹底し土地の有効利用を促進する。

経済成長に悪影響のある現行の消費税制は見直し、消費と投資を促進するため利用されず滞留する一定額以上の金融資産にはゼロまたはマイナス金利を適用する。ゼロ金利は経済の低迷を克服する世界共通の政策であり、スイスの国立銀行が実証したようにマイナス金利は通貨高を阻止する有力な手段にもなる。

銀行の主要な業務はデジタル口座による決済サービスと個人、法人の金融資産管理になり金利を稼ぐだけの銀行は存続できなくなるだろう。

 

仏教の思想は「縁起」「相依性」ともいわれる。「縁」を現代の言葉で解釈すれば他者と関係を持つこと(マッチング)である。付加価値は人または物の移動によりWin-Winの新しい相互依存の関係(相補的関係)を創ることから生まれる。多くの新しい関係を創るには多様な価値観とイノベーションも欠かせない。

世界経済のグローバル化とインターネットなどのコミュニケーション技術、インターフェイスとなるエッジデバイスの進歩は多様なマッチングのチャンスを提供してくれるので付加価値創造の要因になるが、同質の人または物の交換取引でWin-Winの関係を創ることは難しい。

貧困層が多かった中国が経済的大発展を成し遂げたのは土地を公有とする社会主義に異質の市場経済を導入し競争原理を容認して富裕層を敵視せず欧米諸国との交易に踏み切ったからである。

世界各国との交易、マッチング・ビジネスこそ付加価値創造の源泉なのだ。世界の貧困層と富裕層の間で相補的関係を構築できれば大きな付加価値を生む。膨大な人口と貧困層を抱えるアジア、アフリカの開発途上国と少子化が進行する資産大国の日本との間に相補的関係を構築して両者間の交易を拡大できれば経済成長に大きく貢献するだろう。

 

21世紀には巨額の金融資産を持つ株主が主導する米国の「金融資本主義」と中国の政府が主導する「国家資本主義」は価値観が異なるため対立は避けられないと思われるが、両者が反目しあっていては世界経済発展の障害になる。

「非」の哲学で対立する両者の長所を融合し短所を排除することにより、新しい持続可能な資本主義を日本が率先垂範して実現し、財政破綻を回避し国民所得を倍増して名目GDP1000兆円を早期に達成することを期待したい。