資本主義は持続可能か?

東京都文京区 松井 孝司

 

民主制の欠陥

 21世紀に入って世界の殆どすべての国で衆愚政治、ポピュリズムに陥りやすい民主制の欠陥が顕著になりつつある。アラブ諸国の民主化が国家混迷の原因になり、民主主義発祥の地であったギリシアでは財政破綻が危惧され、民主主義の模範生であったイギリスがEU(欧州連合)離脱でヨーロッパ経済に混迷をもたらし、世界の自由な交易を推進してきた米国はトランプ政権になって反グローバル主義に転じ米中の対立で世界経済を大きく低迷させる可能性が出てきた。文政権になって反日世論を煽る韓国の民主主義も日韓の相互不信を深める原因になっている。

 

歴史を振り返れば個人の自由な行動を尊重する民主主義は無知な大衆による暴政の危険が付きまとう不安定な政体と考えられ正義ではなかった。

19世紀から20世紀前半は戦争の世紀であり、戦争に勝利するために言論を統制し国民を戦争に駆り立てる国家主権を疑問視する人はなく、日本も明治初期に四民平等の社会を実現したが明治6年の政変以降、天皇主権のもとで官僚が主導する専制国家になった。国民に自由な行動を許していては戦争に勝てないからである。

民主主義が世界の普遍的な正義になったのは第二次世界大戦が終了した後であり、20世紀も後半になると米ソの対立はあっても世界規模の戦争は無くなり、冷戦の時代がつづいたため国民主権の民主制に異議を唱える人は皆無になった。

20世紀後半の社会正義は国民主権にもとづく「自由」と「平等」を理念とする民主共和制であり、資本主義、共産主義の相異を問わず、新しく誕生した国家の殆どが「共和国」を名乗っている。

 

すべての国民に平等な選挙権を与える普通選挙が実現したのは1789年のフランス革命につづく1792年の共和制の発足である。哲学者ジャン・ジャック・ルソーの影響を受けたロベスピエールの理念と情熱は真摯なものであったが、権力を手にしたロベスピエールは民衆の喝采を浴びながら政敵を次々にギロチン台に送った。無知で偏見を持つ国民は暴徒に化け易く、人民に平等な権利を与えることが社会の混迷を深める原因になった事実を忘れることはできない。

 

中華人民共和国が「共和国」を名乗っていても普通選挙は実施せず、言論統制をするのはデモ暴動を偶発し易い民主制の欠陥を知悉しているからだろう。

中国は一党独裁制のもとで1949年の建国以来試行錯誤を繰り返しながら70年間に国民の可処分所得を567倍に増やし驚異的な経済成長を実現している。中国の経済成長は中央政府の大きな行政権を地方政府に委譲し、地方政府が市場経済の競争原理にもとづき効率よく旧弊を破壊しイノベーションを実現した資本主義の成果である。

 

戦後日本の民主主義

民主主義の成否は主権者となる国民の知的レベルに依存する。民主制の欠陥は選挙制度にもとづくもので無知で偏見を持つ国民にも迎合しなければ当選できないため政治家も知力が低下または偏向し、その実態は国会審議に現れている。

衆愚政治の典型は日本の原子力政策にも見ることができる。福島第一原発の事故処理は事故後8年半を経過した今も問題解決に向かわず、政治家に加え原子力の専門家も「放射能」恐怖症に罹り愚策をつづけている。原子力規制基準の審査に合格してもメディアが煽る風評被害を真に受けて国民は原発の再稼働を許さず、化石燃料の消費を増やし環境破壊を促進しながら日本経済をコスト高に陥れるのは賢明な人がすることではない。

韓国の文政権は福島原発のトリチウム汚染水にイチャモンをつけているが、韓国の月城原子力発電所の重水炉(CANDU炉)は累積で6000テラベクレルを超えるトリチウムを放出してきた。トリチウムが放出するβ放射線の正体は電子であり、自然界に充満する電子のリスクを騒ぎ立てるのは自らの無知を告白するものである。

 

自由民主党を筆頭に○○民主党を名乗る政党が多数を占める1強多弱の政党政治で日本は旧制度の改革を先送りし低迷をつづけているが、日本の資本主義経済は第二次世界大戦後の一時期高度成長を実現し、世界第二位の経済大国になった実績がある。日本は経済の高度成長を実現した成功と失敗の歴史に学ばなければならない。

 

第二次世界大戦で日本の主要都市は廃墟となり、廃墟の中から立ちあがった日本経済は米国から与えられた民主制のもとで高度成長を実現したが、成功したのは米国の最新の科学技術を導入し、官僚が主導する戦争で培った効率のよい1940年体制の経済システムを温存し産業社会の破壊的イノベーションを実現できたからである。

しかし、1980年代半ばから日本の土地価格のすさまじい上昇を許したことは失敗であった。土地価格は収益還元価格に準ずるのが正常でGDP(国内総生産)の伸びに等しくすべきものを日本の土地価格は土地神話と土地を担保にする銀行の信用創造によりGDPの5.2倍に急騰した。一物四価の不合理な土地税制は放置され、東京山手線内の土地価格は広大な米国の土地価格に匹敵し、千代田区の土地価格はカナダ全土を上回った。

1985年のプラザ合意後の超円高で一人当たりドル換算ベースの国民所得は増えても円ベースの可処分所得を増やさなかったのでGDPの増大に貢献せず、超円高への対策を誤ったため日本経済は理不尽な信用膨張でバブル化し、バブルがあまりにも大きかったためバブルが崩壊したあと、多くの銀行が不良債権を抱えて倒産または整理統合され長期に亙る資産デフレに苦しむことになった。

官僚が主導した戦後日本の民主政治は政府の肥大化とともに膨大な資金の無駄遣いを繰り返すようになり経済の低迷で政府の累積債務は返済の見込みが立たず、小さくて賢い効率の良かった政府が効率の悪い愚かな政府に変わってしまったのだ。

 

資本主義の変質

 社会学者マックス・ウエーバーは禁欲的なプロテスタンティズムの倫理が資本主義を誕生させたと説いたが、近代資本主義の「精神」としてウエーバーが言及しているのは米国の建国の父となったプロテスタント、ベンジャミン・フランクリンの処世訓である。

 ベンジャミン・フランクリンは裕福ではなかったが、「時は金なり」の精神で働くことにより印刷業で成功し、米国資本主義の成功モデルになった。雷が電気現象であることを解明した科学者でもあり合理的思考力の持主であった。プロテスタントの信者でも日曜日の礼拝に教会に行くことは殆ど無く、啓蒙思想の理念、自由、平等、友愛を説くフリーメイソンの会合には参加したという。

 18世紀後半のヨーロッパは啓蒙主義の時代といわれ、啓蒙思想は1776年からフランスで米国の使節を務めたベンジャミン・フランクリンを通じて北米にも広まった。

 米国で世界最初の民主国家を成立させたのは啓蒙思想の理念であり、ヨーロッパ諸国は相次いで米国の独立を承認した。しかし、米国の独立に触発されて起こったフランス革命は成功せず、19世紀のヨーロッパはナポレオン戦争で幕を開ける。

 

ヨーロッパの資本主義は金本位制のもとで貨幣が高い金利を稼ぐようになって成立したとする説もある。マックス・ウエーバーも資本収益税の対象となる資本額はカトリック教徒に比しプロテスタントが多く、ユダヤ人が断然先頭に立っていることを指摘している。カトリックやイスラム社会は金利を徴収することを許さなかったがプロテスタントとユダヤ人社会では金利をとることを否定しなかったので、人々は金利で殖える借金を返済するために寝食を惜しんで働くようになり資本の蓄積を可能にしたのだ。

ケンイズの一般貨幣理論でも利子と雇用の関係を重視しているように収益となる金利が世界経済の浮沈に大きく影響してきたことは事実である。

しかし、1971年8月15日に米国のニクソン大統領がドルと金との兌換停止を発表して以来、貨幣経済は大きく変貌し米国がリードしてきた金利にもとづく世界の経済秩序の維持が危ぶまれる事態になった。金の蓄えが無くても信用さえあれば貨幣を際限なく発行できるようになり、リーマン・ショックによる信用収縮に対応するため世界の主要国で異次元の金融緩和が実施され金利低下が著しく、通貨高を阻止するためにマイナス金利まで登場している。スイス国立銀行やECB(欧州中央銀行)がマイナス金利の深堀を試みるのは超円高を許した日本の失敗を繰り返さないためである。金融市場では資本家ではなく政府、中央銀行による信用創造の役割が重要になり、金利に依存する資本主義は変質し持続が難しいことが明らかになった。

さまざまの景気刺激策が実施され、金利をゼロにしても経済が低迷するのは政府の肥大化に伴い無用な既得権が生まれ社会が高コスト体質になって利益を出すことが難しくなったからである。

社会の高コスト体質にはICT(情報通信技術)の活用が解決策になる。貨幣は電子媒体上のバーチャルな存在になり世界の主要国で貨幣のデジタル化が進行しつつある。民間企業の電子マネーの発行が先行しているが、政府や中央銀行が自国通貨をデジタル化する動きも出てきた。預金口座を無料で維持することは難しくなっており、中央銀行に個人が直接決済口座をもつことができれば民間銀行の預金口座は必要がなくなるかもしれない。

政府は個人の年金や健康保険の診療記録、金融資産や取引データをすべて把握することが可能になり、個人情報の利用規制を見直し厳格な公的管理のもとで活用することができれば米国のGAFAGoogleなどのIT企業)が手にするサービス・イノベーションによる成果を政府、自治体など公的機関に移転させ、生産性を飛躍的に向上させることも不可能ではない。脱税、節税が難しくなり消費税を筆頭に複雑で不合理な納税制度は大幅に簡素化し合理化できるだろう。

 

「部分」と「全体」の調和を!

「国民」と「国家」、「個人」と「政府」の関係は「部分」と「全体」の関係になる。部分が全体を犠牲して自分勝手に行動することは許されることではない。人体に例えれば全体を無視して増殖する細胞はがん細胞のようなもので制御されない細胞の自己増殖は全体の死をもたらす。全体を無視して「国民」の権利を際限なく増大させればいつの日か「国家」を崩壊させることになるだろう。

 国家も世界経済全体から見たら部分である。国家が自己中心的になり、自国の利益のためにグローバル化を否定し戦争をはじめたら世界経済崩壊の原因になる。

 

 部分と全体の対立を克服するには生物の構造に学ぶのが解決策になる。生物の全体は細胞の集合体であるが奇妙なことに一つの細胞に生物の全設計図を含む遺伝子が組み込まれており、個々の細胞は全体の動きに常に順応する。全体は部分に依存し、部分は全体に依存する相互依存の相補的関係で生物は動的恒常性を維持し、遺伝子に損傷を受けた細胞はアポトーシスにより自滅する仕組みになっている。

環境の変化に適応するために生物は多様な遺伝子を準備しておかなければならない。

生物が動物と植物に分化し、雌雄に分化して交配を重ねるのは集団を維持するために遺伝子の多様性を確保するためである。分化した集団の間にも相補的関係が成立しており、全体と部分の間に相補的関係を構築できない集団は淘汰され消滅する。

生物の相補的構造と制御の仕組みは進化の過程で試行錯誤を繰り返しながら獲得したもので持続可能な社会のシステムを構築するために重要なヒントを与えてくれる。

 

社会を持続可能なシステムにするために求められることは国家と国民、政府と個人、全体と部分の調和であり、対立する両者を相補的関係で結び多様性を許容する社会である。全体のために部分が抑圧されることが無く、部分のために全体が犠牲になることもないシステムの構築である。アダム・スミスが「国富論」で「見えざる手」を、渋沢栄一が「論語」を引用し「義利合一」を説くのは全体と部分、公益と私益を調和させる個人の意図を超えた倫理、道徳の存在を直観していたからだろう。

 新しいシステムの実現には社会の仕組みについて国民が無知であることは許されないし、価値観を改めて宗教やイデオロギーにもとづく偏見は排除しなければならない。

国民の知る権利を確立して最新の科学技術研究の成果にすべての人がアクセスできるシステムを構築し、同時に蓄積する知識・データの真偽を検証する必要がある。

 

お金があっても知識がなければ役に立たない。人とモノに付随する知識・データがサービス・イノベーションによる付加価値創造の源泉になるが個人情報も含めた知識・データの活用は公共の福祉に適合するように規制しなければならない。知識は両刃の剣であり、悪用することもできるからである。

人間の知力を決める脳の形成は6歳頃までに終了するので価値観と倫理、道徳を体得する幼児教育を見直し、特定の価値観に捉われる画一的な人間ではなく多様な人間を育成することも重要になる。多様な人々の求める価値観は多様化し自律分権型でヒェラルキーのない小規模組織が競争有利になり、ヒェラルキーに依存する中央集権的な巨大組織は不利になり企業の生産様式、サービス内容にも変革を迫ることになるだろう。少子高齢化で企業が大廃業時代を迎えていることは破壊的イノベーションの大チャンスである。

 

裕福ではない「国民」を高度の知識で武装するために「国家」が高等教育まで無償化することも選択肢の一つになる。社会が知識で武装した自立した個人の集団になれば軽い病気にはセルフメディケーションで対処し、人生100年も生涯現役のライフスタイルで老後の不安は解消できる。弱者対策、社会保障に係る経費の大幅な減額が可能になり、市場経済のグローバル化と競争原理が生む貧富の格差拡大も知力があれば恐れる必要はない。

 

21世紀の資本主義がICTの革命的な変化に適応し進化するために障害となるのは変化に適応できない国民の存在である。資本主義を持続可能なシステムにするためには生涯学習による国民の知的レベルの飛躍的な向上が求められ、国民に正しい知識を普及する公共空間(=NHKなど広告に依存しない非営利メディア)と脳研究の最新の成果を踏まえた科学的根拠にもとづく教育システムの抜本的な改革が不可欠と思われる。