新型コロナウイルスのリスクについて

  東京都文京区 松井 孝司

 

 

コロナウイルス最大のリスクは肺炎の重症化

中国の武漢市から拡散が始まった新型コロナウイルスの感染は世界的な広がりをみせつつあり、世界経済にとっても新しいリスクとなり、リーマン・ショックを超える景気後退に陥ることが確実になった。しかし、リスクに挑戦せずリスクを避け逃げ回ってもリスクが無くなることはなく問題の解決にもならない。

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は患者の多くが軽症で無症状の患者が歩き回り感染のリスクを高めているが、最大のリスクは肺炎が重症化しやすいことにありCOVID -19は「新型肺炎」の呼称が定着した。

 COVID -19は2002年に中国広東省で発生した重症急性呼吸器症候群(SARS)、2012年にサウジアラビアで発見された中東呼吸器症候群(MERS)の病原体とウイルスRNA7080%の類似性があり、呼吸器を侵す病状も似ている。SARSMERSの知識、経験に学べば肺炎重症化のリスク解消も不可能ではない。

(ウイキペディア「2019新型コロナウイルスによる急性呼吸器疾患」の項参照)

 

ウイルスの核酸配列が解明されているのでPCR法で微量のRNAを分析するか、またはイムノクロマト法によりウイルス感染で産生される血液中の微量のたんぱくを分析することにより感染者の迅速診断も可能になっている。

但し、医療崩壊を起こさないようCOVID -19の診断は感染爆発を阻止するための疫学的調査に限るべきであり、重症肺炎の早期診断に力点を置き感染による致死率を下げることがより重要と思われる。

注目すべきはCOVID -19の致死率であり、ドイツ1.2%、米国2.37%、日本2.7%、中国4.0%、イタリア11.9%(202042日現在)に大差が存在することである。

 

コロナウイルスは変異し易い一本鎖RNAであり、変異し易いウイルスの感染にはワクチンによる治療が難しいことも予感されるので肺炎重症化のリスク解消のために当面急ぐべきは肺炎を予防し、病状を改善させる既存の治療薬の選別である。

 

米国でギリアド・サイエンス社が開発中の「レムデシビル」(治験コードGS-5734)が有効であった35歳男性の症例が報告され、「レムデシビル」と市販の抗HIV薬「ロピナビル・リトナビル」合剤(商品名カレトラ)など効果が期待できそうな薬物について国際的な比較臨床試験が開始されている。中国科学技術省は日本の富山化学(株)が開発したインフルエンザ治療薬「ファビピラビル」(商品名アビガン)を患者200人に投与し肺炎の症状が改善したことを報告し、診療ガイドラインに取り入れた。

細胞レベルの試験ではあるがMERSウイルスには膵炎治療に用いられるたんぱく分解酵素阻害薬「ナファモスタット」(商品名フサン)が有効であることを日本と中国科学者が共同研究で確認している。

 

重症肺炎には抗ウイルス薬ではなく喘息治療に用いるステロイド吸入薬「シクレソニド」(商品名オルベスコ)が有効であった症例があるという。リウマチなどの自己免疫疾患の治療薬「トシリズマブ」(商品名アクテムラ)、「ヒドロキシクロロキン」(商品名プラケニル)が有効とする症例もあり、「ヒドロキシクロロキン」に肺炎球菌などの細菌感染症の治療に用いるマクロライド系抗生物質「アジスロマイシン」(商品名ジスロマック)を併用するとより高い効果があったとする報告もある。免疫抑制作用を有する薬物に治療効果が期待できることは肺炎の重症化が自己免疫反応、サイトカインの過剰発現に起因する可能性があることを推測させる。

 

肺のCT画像診断、血液検査による早期診断と人工呼吸器の使用、有効な治療薬の選定と使用法の確立など重症肺炎の予防と治療に有効な診療ガイドラインを確立できればCOVID -19に対する不安は激減する。

肺炎重症化のリスクが解消できればCOVID-19のリスクはインフルエンザ並みになり、1000万人単位で流行しても感染を恐れる必要は無くなるだろう。

 

日本国内で肺炎はがん、心疾患、脳血管疾患につづき死因順位第4位を占める疾患である。細菌感染や誤嚥性肺炎も含めて85歳以上の高齢者では死亡原因の第23位を占め毎年約50000人が肺炎で亡くなっている。

インフルエンザの最大のリスクも肺炎の重症化であり、COVID-19にも「成人の新型インフルエンザ治療ガイドライン(第2版)」は準用できる。

 

 武漢市の事例や日本に立ち寄ったクルーズ船、ダイアモンド・プリンセス号における感染事例からCOVID -19は感染の危険度が高いため検体の取り扱いはバイオセイフティレベル(BSL3とされ、世界の各国で感染防止対策が施行されている。

 

 新型コロナウイルス感染症の発生源とされる中国の武漢市はBSL4の実験設備も整っており、臨床試験実施のための患者も多く治験を実施するための必要条件を備えている。

最新の知識を活用して治験の成果を上げ、世界標準となる診療ガイドラインを確立することが出来れば武漢市は汚名を返上することが出来るが、WHO(世界保健機構)が認める再現性のある有効な治療法を確立できないとリスクの早期解消は難しくなる。

 

ウイルスは核酸とたんぱく質で構成される分子であり、細胞生物とは異なり死滅することがない。人類とウイルスとの戦いには終わりが無く、変異をつづけるウイルスが新型ウイルスを誕生させるたびに人類は新しい戦いを求められることになるのではないか。

 

 

人類とウイルスの戦い

人類は誕生して以来、細菌やウイルスの感染に苦しんできたが、人類を苦しめた天然痘ウイルスの存在が近代医学の重要テーマとなる免疫学を誕生させるきっかけになった。

天然痘の致死率は2050%とされCOVID -19の感染とは比べることが出来ない大きなリスクを持っていた。恐ろしい天然痘ウイルスを撲滅できたのは20世紀に入ってからである。日本では1955年に天然痘は根絶されたが、根絶できたのは天然痘の予防と治療に有効なワクチンを発見できたからである。

 

天然痘ウイルスの正体はDNAウイルスである。DNAウイルスとRNAウイルスは遺伝子の構造が異なり、DNAは二重らせん構造による遺伝子の安定化で変異が起こりにくくなっている。DNAウイルスは変異が起こりにくいのでワクチン(安全なワクチニアウイルス)により一度獲得した免疫が効果的に働き天然痘の撲滅が可能になった。

 

一方、RNAウイルスは遺伝的に不安定なため変異しやすく宿主の免疫系を逃れ、ワクチンや抗ウイルス薬に対する耐性が出来易い。変異スピードが速いRNAウイルスの代表がインフルエンザウイルスである。

 

インフルエンザは1918年から1919年にかけ人類が遭遇した最初のパンデミック(世界的な大流行)になった。「スペインかぜ」の通称をもつが流行源は米国であった。

当時世界は第一次世界大戦中であり軍艦により移動した米国兵士の感染でヨーロッパでも感染が拡大した。世界人口20億人のうち約5億人が感染し、第一波の感染は致死的ではなかったが第二波の感染では致死率が高く死者は4000万人〜1億人に上った。

肺炎により死亡する人が多かったがCOVID-19の感染とは異なり多くの高齢者が生き残り青年層で大量の死者が出たという。

 

2009年〜2010年に流行したインフルエンザAH1N1型)は我が国で約2000万人が罹患したが患者の大部分は小児で致死率は0.1%以下であった。

2013年、中国で鳥インフルエンザAH7N9型)の人への感染事例が発生したときは患者の多くが成人で重症肺炎・急性呼吸促拍症候群(ARDS)を発症し、抗インフルエンザ薬が効かず致死率は30%であった。

 

死をもたらす肺炎はサイトカインの過剰発現(Cytokine Storm)によるとする仮説が存在するが高齢者と若年者の免疫にどのような相異があるのか?患者の病態と免疫反応を分子レベルで究明することはCOVID -19による肺炎重症化のリスク解消とワクチンの開発戦略を立てる上で役に立つだろう。

 

COVID -19は病原体ウイルス表面のSpikeたんぱくが人体のアンジオテンシン変換酵素ACE2を受容体として細胞内に侵入すること、表面たんぱくとACE2受容体との親和性はSERSウイルスの1020倍であること、基礎疾患にACE2が関わりをもつ心血管系疾患があると肺炎が重症化しやすいことが判明している。

COVID -19ウイルスが産生するSpikeたんぱく分子のACE2受容体への親和性が大きいことが感染を拡大させている可能性があり、前述した「ナファモスタット」は米国で認可された1000種類の医薬品からMERSウイルスのSpikeたんぱくによる細胞内への侵入を阻止する薬物として選別されたものである。

 

RNAウイルスに対する人体の応答はウイルスが産生するたんぱく分子との相互作用に起因する。RNAまたはRNAが産生するたんぱく分子に阻害作用を期待できる毒物はすべて治療薬候補になる。

 

RNAまたはたんぱく分子の構造と相互作用をする薬物の分子構造は相補的でなければならないと想定できるので遺伝子ワクチン、分子標的治療薬設計への期待も生まれているがCOVID -19の感染には治癒後の再燃事例が報告され、抗体を利用して感染を増強するADE(抗体依存性感染増強)現象が存在する可能性があるのが気掛かりである。

 

薬は投与するタイミングが重要であり、使用する薬量にも個人差が存在する。使い方を誤ると「薬」は「毒」になる。

 第二の仏陀といわれる竜樹(ナーガルジュナ)は「大智度論」の中で「大薬師の能く毒をもって薬となすが如し」と述べているが「毒」と「薬」は一体不二と見るのが仏教の教えである。すべての薬は使い方により「毒」を「薬」に変えているといっても過言ではない。求められるのはウイルスと人体の構造について蓄積された膨大な知識を活用して「毒」を「薬」に変える大薬師の「知力」である。