人間の憎悪

                                                            

 神奈川県藤沢市 清郷 伸人

 

 私には次に述べるような人間の憎悪は確実に存在し、そのような憎悪に包まれた人間もまた確実に存在すると想像することができる。心理学者でも哲学者でもない私は、そのような情念や人間を分析することはできないが、願わくば小説か映画でこの人間を創造したいと思う者である。ただその力もない私は本稿でこの人物とその行動を夢想するだけである。

 

 今から17年前の2003年、アメリカは突然イラクに戦争を仕掛けた。ニューヨークの世界貿易センタービルへの航空機突入を挙行したアラブのテロ組織をイラクは温存し、かつ大量破壊兵器を隠匿する国家と名指しして、対テロ防衛戦争という大義のもとその国土と国民に対し空と陸から先制攻撃を加えた。6000人の死者を出した同時多発テロに対し、複数の国家による電撃戦争を主導し、イラク国民は10万人以上の死者に見舞われた。

 米国は、第二次世界大戦後、パックス・アメリカーナと呼称される覇権国となったが、かれらは多国籍企業コングロマリットを背後にした国家イデオロギーとその世界秩序観を維持するために、つねに外交力よりは軍事力を行使してきた。米国が標的となった戦争はなく、世界のあらゆる地域でつねに戦争を仕掛けて自らの目的を果たそうとした。米国は本質的に法と言論の国ではなく、覇権と暴力の国である。独立戦争とその後の歴史がそれを証明しているし、米国社会も銃と暴力に彩られている。米国は同時多発テロ以外自らの国土を血に染めたことはなく、つねに他の国を血で染めて来た。経済力と軍事力の圧倒的な優位を背景に、少数の派遣兵士の死に数倍する非軍事民間人を殺戮してきた。他国への軍事力行使に心酔する多くの米国民には、襲来した米国軍という巨獣に国土と生命を蹂躙される人間への想像力は欠けていると言わざるを得ない。

 

 私の主人公は、バグダッドで米国の空爆により、祖父母、両親、幼い兄妹たちを殺された当時16歳の少年である。彼は天涯孤独となり、地方の親戚に引き取られたが、彼の胸からこのあまりにも理不尽な出来事に対する憤りとも悲しみとも絶望ともいえぬ名状しがたい思いが消えることはなかった。そして彼の生きる目的は、その思いを見極め、その思いが命ずる方向へと果敢に行動することとなった。決して蘇らない命、奪われた未来、生き残った自分に課された使命、しかも自分たち家族だけでなく無数の家族を襲った暴力―それらが指し示すものは決してこの現実を許さないこと、この現実をもたらした権力システムを憎悪することだった。

 彼は懸命に学び、優秀な成績を収め、米国への留学を果たした。米国の大学でも一心不乱に勉学に精励し、トップの成績で卒業した。卒業後は高名な法律事務所で弁護士として活躍し、27歳で連邦議会議員に立候補し当選した。こうして彼はワシントンの権力の中枢部に入ることに成功したのである。

 この十年余りの人生では、もちろん人並みにいろいろなことがあった。友人や女性との交際やさまざまな栄誉に浴すること、弁護依頼人からの感謝や同僚の尊敬や議員当選など自尊心を満たす数々の出来事もあった。しかし、彼は決してそれらに溺れることはできなかった。ともすれば人生の目的が変わり、方向を見失い、現在に目を奪われそうになる弱さが人間にはあるが、彼は自分の根源にある憎悪がそれらすべてを覆い尽くすことを知った。このような憎悪の体験を持たないわれわれは、そのような情念に支配されている人間には共感できないだろう。普通は嫌悪や反感あるいは哀れを覚えるかもしれない。しかし、彼は自分の憎悪は卑賎なものではなく、自分の身代わりに亡くなった者たちへの深い愛の裏返しであることを知っているのである。そのような愛と憎悪は表裏一体の気高いものだと感じている。だから彼は自らの宿命を誰にも明かさないが、決して孤独ではなく、孤高でもない。

 いよいよその憎悪を表現するときがやってくる。彼の標的は個人ではなく、権力システムである。まだ生きている戦争を起こしたジョージ・ブッシュにはその眼で自らがもたらしたものを見届けてもらいたい。さらに自分の表現は世界に示されるだけでいい。大規模に効果的に表そうとは思わない。その故に彼は決して徒党を組まないし、遠隔兵器も使わない。自分の命だけを使って単独でできる範囲のことをやるだけである。こうしてホワイトハウスで大統領はじめ権力者たちが世界秩序を思うように動かそうと集まっている時、検知されない高性能爆薬に身を包んだ彼は、遮られることなく入室し自爆した。33歳だった。

彼はその直前、米国やイラクの新聞社に手紙を送っていた。私が今まで書いてきたことの他に、次のようなことが綴られていた。―私の行為はイスラム教の聖戦ではない。聖なる神のものでもなく正しいかどうかも解らない。ただ私は愛する者を理不尽に奪ったものへの人間の本当の憎悪に殉じただけである。世界は何も変わらないかもしれない。しかし、世界は心からの人間の憎悪がもたらすものを目撃した。私は愛する者たちが待っている世界へと旅立つ。このような憎悪に終止符が打たれんことを願って。