たどるべき-1
東京都渋谷区 塚崎 義人
「かたよらないこころ、こだわらないこころ、とらわれないこころ、
ひろく、ひろく、もっとひろく〜〜〜」
薬師寺元管長・故高田好胤師
物質、生命、こころ、
どの世界にも同化できる善い考え
なにを、受けつぎ 過去(祖先は)
なにを、受けつがせ 現在(家族は)
なにを、受けつぐ 未来(子孫は)
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社会的原像-1
「どこに」
*おたがい、同じ時間(軸)帯にいる、というのは思いこみ、誰かにとっては現在に、他の誰かにとっては過去に、そして未来に。
社会は、それぞれ、人々の時間(軸)が、からみ合っている世界。
*時間(軸)は、頭の中の概念的な観念、確かに時計は「時を告げます」、ですが、
そこにあるのは、物体の動き(地球の自転・公転など)。
*社会のほとんどのできごと(動き)は、数量的に量れますが、
時間だけは量的にと思っても、見つけることはできません。
*時間の役目は、できごと(歴史)を並べるパラメータ(時間の中にさまざまな現象を並べる)、過去(ゼロ)から未来(無限大)・未来(無限大)から過去(ゼロ)、
社会の動きを、どちらから観察しようと、まったく違いはありません。
*時間(軸)に連続性はなく、瞬間(生)に生まれ、瞬間(滅)に消えるもの、
そう、意識(思う)も、瞬間・瞬間に生・滅します。
*時間は、このような順序で流れなければという、決めごとはなく、
社会の利便性のため、単に“過去から未来へ流れるもの”と。
*時間がパラメータ(現象を並べる)なら、今ここに、過去→未来・未来→過去が、
現在とは、過去と未来がまじっている双方向の「時間と空間」。
*時間(過去⇔現在⇔未来)と情報(過去・現在・未来)を、正しく意識できれば、
わたしたちの社会には、あらゆる可能性が。
*わたしたちの心の器(頭)では、過去・現在・未来のできごとが、瞬時に浮かび、
いつも、心の器(頭)の中を、時間軸が飛びかっています。
ぜひ、時間軸(過去・現在・未来)から、いったん離れてみてください。
「真似ごと」
*「師の跡を求めず、師の求めたるところを求めよ(空海)」出典不明、
真似(師の跡)だけに終始せず、何を(師の求め)求めているのか、
求めるもの(未来)を、見きわめられれば。
*むかしから、膨大な知識(情報)が、ただ情報量が多いだけ、“百閧ヘ一見に如かず”と、“自身の判断”には、ほとんど関わらせない、
それが、わたしたちです。
*なぜって、一生のうち、実際に「体験・経験」したことだけを、よりどころに、
残念ながら、わたしたちの判断能力は一生という狭い範囲のみ。
*社会のあたらしい、できごとは、だれもが、真似をしたがる、
それも、一生という、狭い範囲(体験・経験)をモノサシに。
*最先端と共にある、わたしたちにはそれが一番のしあわせ、それは生きる張り合い、
むかしから、真似ごとを「流行もの(はやりもの)」と、いまは流行。
*流行(はやりもの)は、ちょっと前、父母や祖父母の頃、もっと古く、世代を超える歴史観、それらの時代の環境から、ゆっくり熟成されてくるものと、
ちょっと前を“慣習とか風習”、もっと古くを“伝統”とよんでいます。
*わたしたちは、社会で生活している以上、慣習と伝統(言語・風俗・道徳・宗教・制度・行動・生活習慣など)から、離れられることはないので、
流行は、あたりまえのように慣習と伝統から、くり返し起こるものだと。
*だから、わたしたちの行動パターンは、
・社会と合わないなら、現実に合わせたり、逃避したり、とりあえず社会に適応するよう、つじつま合わせを。
・つじつま合わせは、慣習や伝統から生じる時流や世論と呼ばれる社会的空気に、合うことが、自身の適応能力だと。
*流行は慣習と伝統から生じると、いつの時代も、それは正しいという固定観念が、
流行は、慣習・伝統の中に、かならず、同じ似たできごとがあったはず。
*流行と慣習と伝統の中に、類似性や共通性を運よく見つけられたりすると、
嬉々として、わたしたちは、過去を説明し、未来の予測をします。
*現代社会、わたしたちの関心ごとは、慣習・伝統から生じる流行の真似に終始したがり、過去(慣習・伝統)だけの偏った時間しかないようで、
よく見ると、そこにあるのは、どうどう巡りをしている社会が。
*わたしたちの、安易な現実適応は、現在と過去との、因果応報の宿命を説きたがり、
そこには、まったく未来(見えない)からの視点が欠けています。
未来は、ほんとうのところ、何を求めているのでしょう !