たどるべき-7
東京都渋谷区 塚崎 義人
「かたよらないこころ、こだわらないこころ、とらわれないこころ、
ひろく、ひろく、もっとひろく〜〜〜」
薬師寺元管長・故高田好胤師
物質、生命、こころ、
どの世界にも同化できる善い考え
なにを、受けつぎ 過去(祖先は)
なにを、受けつがせ 現在(家族は)
なにを、受けつぐ 未来(子孫は)
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社会的原像4・・・創(2)
「多重社会(かさなりあう)」
*おもに原像から、あらわれてくるのは仮装すがた(みせかけ)、
このすがたの、ひと柄について、社会はよく知っておかなければ。
*仮装すがたが、どうゆうものなのか、そのものを、とうぜん、
知っていなければ、社会そのものが、わからないままに。
*仮装すがたを、ふだんから知って、イメージできるようであれば、
たぶん、自分勝ってでない、暗示にも負けない、そうゆう社会が。
*仮装すがたと、私的すがた、ふたつの人柄はべつと、気づくのは、かんたん、
社会みずからが、その違いを、わかるのも、案外やさしいもの。
*でも、原像(多重さ)と、仮装すがたとの、違いとなると、
深く広々とする、原像のひろがりのことだけに、たいへんむずかしいかも。
*なぜって、わたしたちは、あやまった先入観に、
社会が影響されるのは、社会深層(底深く、かくれている)からだと。
*原像(多重さ)は、そもそも人格としてのすがたや、人格化される性質のもの、
おおくの、さまざまな人格を、社会が持つのは、あたりまえ。
*社会で、仮装すがたの人格は、自分のものと、
そのすがたが、わたしたち自身と思いこむのも、あたりまえ。
*社会は、いくつもの人格を持つので、
どれが、社会の本当の人格なのか、まどわされ、わからずじまいに。
*たまに、社会深層から、神経症的な原像(多重さ)が、あらわれる人、
そうゆう人は、じつのところ、社会での順応性が欠けるきらいが。
*見ていると、仮装すがた(みせかけ)と違うばかりでなく、
社会の原像とも違うという、すがたをしているので。
*それとは別に、仮装すがたの人格を、じょうずに装うことの、できる人は、
社会深層というものが、実際にあるということが、ピンときてません。
*また、仮装すがたを、うまく装うことが、できない人にとっては、
社会のできごとに、なじめず、遠くから、ながめるものでしかない。
*社会には、仮装すがた、私的すがた、深層的すがた、
いたるところで、じっさいに、あらわれ満ちあふれて。
*社会は、ものごとを、もともと理にかなうよう解決しようとするもの、
なので、神経症的な原像に対し、向きあう能力が、とても弱い、
*だから、社会に、仮装すがたと向き合い、話しあってみたら、といったら。
なんて、ばからしいことをと、思われるよう。
*仮装すがたは、社会の原像のひとつ、社会そのものなので、
社会人として認め、思いこみを離れ、そのひと柄を、問うてみませんか。
多重社会では、日々、日課(食・齢・創)を、おこたらないよう。