たどるべき-12

東京都渋谷区 塚崎 義人

 

「かたよらないこころ、こだわらないこころ、とらわれないこころ、

ひろく、ひろく、もっとひろく〜〜〜」

薬師寺元管長・故高田好胤師

 

物質、生命、こころ、

どの世界にも同化できる善い考え

 

なにを、受けつぎ  過去(祖先は)

なにを、受けつがせ 現在(家族は)

なにを、受けつぐ  未来(子孫は)

                〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

社会的観照2・・・方法(進めかた)-1

 

「社会」

 

 *生きものはあつまり、群れをつくり、みな同じようなくらしを、それが社会、

    食べものを得て、身をまもり、一生を過ごす、これらを満たすために。

 

*生きものの社会には、唯一無二、しっかりとした姿勢(考えかた)が、

そう、社会の根底に、自然そのままの掟(ルール)が、どっしりと。

 

 *自然の掟(ルール)とは、適者生存(生き残る)のみ、生き死にが、

いいかげんでは、だからこそ、群れをなし、必死にくらす。

 

 *ひとの社会も、とうぜんながら、同じような群れをつくり、みんなで、

日課(食・歳・創)をこなし、寿命をまっとうできるように。

 

 *ひとの社会は、自然の掟(ルール)から、おおきく離れることができたので、

    おかげさまで、いまでは、とても安心・安全が担保された、くらしが。

    

 *そんな良い社会になったのですが、でも、ちょっと、気をゆるしてしまうと、

    一気に、自然の掟(ルール)の適者生存の世界に、もどってしまうような。

 

 *そうならないためにも、社会を、大切に、見守っていなければ、

    ただ、とても“おおきな原像”が、社会のど真ん中に、

 

 *ひとの社会には、こみいった原像が多いと、いわれていますが、

そのなかでも、とくに“おおきな原像”が、なんともあつかいにくい。

 

 *おおきな原像には、すべてに影響をあたえる、とてつもない力があるため、

    ほかの生きものの社会では、あまり受けいれたくないものだと。

 

 *おおきな原像は、ひとの社会のど真ん中で、おおいかぶさるようにするので、

社会は、深く観照(ものの本質を)しなければならないのでは。

 

 *まあ、日課(食・齢・創)を、おだやかに、かわらず、つづけていれば、

    そのうちど真ん中の、おおきな原像 が見えるように、かならず。

 

 *おおきな原像から、仮装、私的、深層、などの、さまざまなすがたが、

社会に充満し、つつみこむように、ど真ん中で、どっしりとすわって。

 

*おおきな原像は、ひとの社会にとって、たいへん役にたつもの、ですが、

    ときに、社会をおさえつけ、否定し、とても危うく、動きまわることが。

 

 *おおきな原像のうしろには、かならず、まったく違うすがたがあることを、

    うっかり、両方があらわれると、滑稽なほど、へだたる社会に。

 

 *おおきな原像からの、仮装すがたは、社会にやわらく溶けこみ、

    これこそ、ほんとうの社会のすがたと、むりに信じこんでいるよう。

 

 *社会のもめごとや悩みが、この仮装すがたがもとなのに、気づかないので、

    社会は、そのすがたのまま、なるたけ、そうあっていてほしいと。

 

 *ただ、社会は、むりに納得しようとすればするほど、はげしいストレスが、

    あちこちで、不安や強迫やら、優柔不断やら、感情的にボロボロ。

 

 *あかるい仮装すがたを、社会で、演じつづけてもらえるように、でも、

    ほんとうは、女めしく、よわよわしく、無気力にさえ陥りやすいもの。

 

 *社会が、おおきな原像の仮装すがた(みせかけ)に、あまり、のめりこむと、

    あらゆる神経的な症状にみまわれているのを、見ることになります。

 

 *社会は、おおきな原像を、ここではっきり確かめ、よく知っておかなければ、

    そう、ど真ん中にいる、おおきな原像って、なにを指しているのでしょう。

 

 

「国・国家(はたらき)」

 

 *ひとの社会が、どっぷりと浸かってしまっている、おおきな原像、それは、

    どなたでも知っている、そう、国とやら、国家とやら、いわれているもの。

 

*国や国家は、とても使い勝手がよく、重宝され、ひとの社会では唯一の、でも、

   そうでしょうか、よほど観照(ものの本質)しないと、とんでもないことに。

 

*国や国家という原像から、あらわれる仮装すがた(みせかけ)を、そこから、

にじみでる性質や教養やらを、ひとの社会は、ようく知っておかなければ。

 

 *国や国家が、どうゆうものなのか、とうぜん、知っていなければ、

社会そのものの大切さが、わからないし、崩壊してしまうことが、歴史的にも。

 

 *国や国家から、あらわれるすがた(仮装、私的、深層)は、複雑に絡みあい、

    ひとの社会は、右往左往し、矛盾だらけで、決してまとまりが、ない。

 

 *さまざまな国や国家の原像に、それぞれのすがたを、時おり、

    社会の目の前で、おおいに表現させ、自身を語らせてみるべきでは。

 

 *ただし、その表現や語りによっては、社会は動揺し、感情的な不安に、

    あんまりな国や国家に、おどろき、ほんとうなのかと、あわてふためく。

 

 *国や国家への不安は、たいせつな社会の足もとを、崩しはじめ、

    そのすがたに、向き合うのに耐えきれず、社会そのものを崩壊していく。

 

 *国や国家に無関心な社会ほど、知性、理性、感性、体性、霊性は、アンバランス、

    だから、国や国家にはたらきかけ、その根底にひそむものを観照するべきと。

 

 *社会は、日課(食事訓、古訓、般若心経)を、あきずにつとめていると、

    ぼんやりとでも、国や国家のもっとも大事なものを、観照できるはず。

 

 *そこは、さまざまに、社会に役にたつものの、ひろがりが見え、そのなかでも、

    とくに、国や国家が、ひとつのはたらきをする機能でしかないということが。

 

 *国や国家が、社会そのものと信じこんでいたのに、単なる機能なのだと気づけば、

    社会は、本来のすがたへ、たどろうと、見なおしがはじまるのでは。

 

 *国や国家の幻影のとらわれから、離れられることは、まさに、

    たどるべき社会の、もっと深い意味合いのところへ、入っていけそうな感じが。

 

 *でも、国や国家が、単に社会での、ひとつの機能(はたらき)なのだと、

理解できないあいだは、じっと観照し、こうだと決めつけはしないように。

 

 *ゆっくりと、国や国家と向きあい、そのものの人柄を観照(ものの本質)していて、

    すがた(仮装・私的・深層)が、ちゃんと、社会に溶けあっているかを。

 

 *国や国家は、ほんとうのところ実体はなく、実体がないからそうなので、

    社会で目にできたり、意識したりできるのは、あくまでも幻影のみ。

 

   社会の中でこそ、国や国家はあるんだと、気づき、理解できれば、

              たどるべき社会へ、もっと進んでいけると思えるように。