日本医療の悲劇―難民となったコロナ患者

 

                               神奈川県藤沢市 清郷 伸人

                                 

 

 世界の新型コロナパンデミックが止まらない。ワクチン接種で遅れをとっている日本も例外ではない。今年4月以降第4波といわれる急増が各地で起こっている。感染者数、重症者数、死者数などが毎日のように過去最高と報じられている。それらのデータの中で最も衝撃的なのは、自宅や宿泊施設で死亡する患者の多さである。今年1月には入院できず自宅などで療養する患者が東京都で8000人以上、東京都、神奈川県などでそういう患者7人が亡くなったと報道(1月13日朝日新聞)され、5月には大阪府、兵庫県の自宅などで療養する患者が約18000人、死亡者は19人と報じられた(5月11日同)。また5月14日のNHKニュースは昨年3月以来の自宅などでの死亡者は403人、そのうち今年4月の死亡者が96人であるとも報じている。ニュースは5月現在東京都でのコロナ患者の入院率が33%、大阪府が10%とも述べている。感染者が減らず、重症者が増え続けても医療者やコロナ病床がひっ迫する現状では、自宅などで待機せざるを得ない患者が医療を受けられず亡くなっていく状況の改善は見込めない。国民皆保険を誇る日本でなぜ医療から見放されるこのような悲劇が起こったのだろう。

 

経済学者でアゴラ研究所所長の池田信夫氏は20201225日のJBプレスで、日本の医療供給体制の構造的問題を次のように指摘している。ヨーロッパの人口10万人当たりのコロナ死者数100人に対して日本は2.4人、にもかかわらずコロナ医療が危機的なのは、日本の病院の8割(東京では9割)が民間病院でコロナ診療に対応していないことが大きい。(欧州では8割が公的病院)日本の医療水準は高くベッド数はOECD平均の3倍、人工呼吸器は4万5千台もある一方、医師数はOECD平均の7割しかいない。少数の公的病院で数少ない医師に対応したコロナ診療しかできないため病床はすぐにひっ迫するのである。この状況には2つの背景がある。戦後、日本の医療は開業医を中心に急いで整備され、そのためかれらは地域で大きな影響力を持ち、公的病院の整備に反対した。その結果、現在のような中小の民間医療機関の乱立となった。また医療に関する法体系も開業医や民間病院がパンデミックのような状況に対応するようになっていない。政府や自治体はかれらにパンデミックにおける医療の指示も命令もできず、応召義務も罰則がないためかれらがコロナ患者の診療を拒否しても合法的である。コロナ病床のひっ迫にはこのような構造的問題があるが、民間の医師団体である医師会は、それとは別に一般国民に自粛を呼びかける前に傘下の医師にコロナ指定医療機関への応援等を呼びかけてはどうかと述べている。

 

国際医療経済学者でデータサイエンティストのアキよしかわ氏は202011月から日経メディカルオンラインで連載した論考の中で、日本のコロナ感染症は第1波から第3波のいずれも入院患者の6〜7割が軽症で、欧米なら入院でなく自宅療養であると述べている。日本ではコロナが指定感染症となったため治療よりも隔離の意味で入院となった。一方、重症者の治療は専門医や専門スタッフの絶対的な不足と分散で常に綱渡り状態におかれ、かれらの超人的な努力でなんとか維持されている。コロナは専門的な医師と看護師が少しずつ分散しているという日本の医療体制の弱点を突いてきたとも述べている。

実際今年5月12日の毎日新聞は都立駒込病院の感染症科の医師が1人で患者40人を診て月に320時間の残業となったことを報じている。これは過労死ラインである月80時間の残業の4倍にも当たる。

 

医師の色平哲平氏は4月30日の日経メディカルオンラインで、なぜ国民皆保険の国でコロナ患者が自宅待機を強いられ容体を悪化させて亡くなっていくのかについて、九州大学の内田博文名誉教授の「日本では患者の権利が法的に担保されていない」という講義に目からうろこが落ちたと次のように述べている。患者の権利は世界医師会で1981年に採択されたリスボン宣言に示されている。すべての人は平等に良質の医療を受ける権利があるとされ、日本の医師がハッとするのは次の一節だという。法律や権力が患者の権利を否定する場合は、医師はこの権利を保障し、回復すべきである。この考えは日本の医事法制には見当たらないし、各医療団体の憲章や基準も心構えの域を出ない。日本医師会でも患者の権利を尊重するよう努めるとしているが、否定された場合に保障、回復させよとはいってない。逆に患者の責務という項目で患者も相応の責任を果たさなければならないと言い切っている。日本医師会の「職業倫理指針」には権力に対する健全な批判精神は皆無であると氏はいう。

医師会の「医師の自律性、プロフェッショナル・オートノミー」の脆弱さは次のような日本のコロナ医療の現状にも示されている。

 

 5月13日のAERAdotの記事によると、国は高齢者へのワクチン接種を7月末までに完了させるよう“脅し”ともいえる強要をかけているが、85%の自治体が肯定的回答をした一方で15%は難しいとしている。ある市長はこう語っている。「医師会が“開業医は忙しい”というので看護師や歯科医師にお願いしろと国はいうが、勝手にそんなことやったら次の選挙で落選だ。地方は医師会様なんです。国は分かっていながら地方に押し付けてくる。うちは打ち手不足で7月末も8月末も難しい」

 

大阪の谷口恭医師は5月7日の日経メディカルオンラインで、次のように述べている。「病床逼迫が始まってから新たに浮上してきた問題は、本来なら入院の適応があるのに入院できない事例だ。阪神地方では酸素飽和度が低下しているのにもかかわらず病床がなくて入院できない患者が急増している。療養型のホテルにすら入れず自宅で経過をみるしかないのだ。この場合、在宅酸素療法を検討しなければならないが、それができる在宅医が不足している。例えば、阪神地方のある地域ではCOVID-19に罹患し入院できない患者が約150人もいるのに対し、往診できる医師はわずか4人だと聞いた。神戸市は423日、入院待ちや療養中の新型コロナウイルスの患者宅に医師が訪れる取り組みを始めたことを発表した(関連記事:コロナ自宅待機、27人はSpO2が80%台に)。これを報じた日経新聞は神戸市立医療センター中央市民病院をはじめとする病院の医師が往診することを伝えているが、なぜ(在宅医でなく)病院の医師なのか。医師会が「在宅医(および開業医)はCOVID-19の患者宅には往診をしない」という方針をとっているからだと聞いた。最近、神戸市のある地域の訪問看護師がSNSに投稿したというメッセージには患者が自宅で呼吸困難に苦しんでいるのに往診する医師がいない現状がリアルな言葉でつづられていた。(中略)これは僕の推測だが「ヒマな医師」がいるとすれば「コロナには一切関わりたくありません」としている医療機関の医師ではないだろうか。だとすれば、それで診療報酬が減ったと主張するのは筋が通らない。保険医協会は「全ての医療機関に減収補填を」と訴えているが(全国保険医新聞202095日)、そのような運動をするのではなく(このような理屈が世間に受け入れられるはずがない)、「全ての医療者が力を合わせてCOVID-19と闘おう」と訴えるべきではないだろうか。過去の連載でも述べたように「かかりつけ医から見放された」と言って医療難民になっている患者が少なくないのが現実なのだ。」

 

オンラインメディアm3は5月13日の臨床ニュースで、「中等症例、往診で医療崩壊を防ぐ」と題して川崎市のいきいきクリニック武知由佳子医師の話を次のように報じている。第3波で中等症だったが入院できなかった患者の往診をした。ステロイドや抗生剤を処方し、酸素飽和度が91%になって在宅酸素療法(HOT)も行った。現在は発熱患者も増え、コロナと診断された患者は往診などでフォローしている。とくに若い患者はかかりつけ医もおらず急激に悪化するので注意を要する。現行ガイドラインに沿って肺炎を発症した中等症1の段階で必要な薬剤投与やHOTを行うのは開業医である自分のクリニックの役割だと思う。神戸市は市立病院、医師会、薬剤師会が協力して往診を始めている。タイムリーに医療が介入することでかなりの患者を救える。入院できなくても外来・往診で医療崩壊を防げるかもしれない。今は災害レベルの国難だから皆で力を合わせて乗り切らなければならない。自分のクリニックは医師の私と4人の看護師で訪問診療は24時間365日対応している。午前外来と夜間外来で発熱と通常の内科診療を行い、午後は定期とコロナの訪問診療を行っている。休診日にはワクチンの集団接種に出向き、平日は個別接種もしている。第4波の医療崩壊を防げるかどうかは私たち開業医がカギを握っていると思う。残念ながら内科を標榜していても発熱患者を断っているクリニックは多いし、積極的にコロナ患者を治療する医師は少ない。今は防護服も普通に手に入る。20代、30代の患者が亡くなっていくのはとても見ていられない。私が心に留めているマザー・テレサの言葉を共有したい。「私たちのしていることは大海の一滴にすぎません。ただもしこの一滴がなければ大海はその分少なくなるでしょう」「暗いと不平をいうよりもあなたが進んで灯りをつけなさい」

 

 5月16日のTBSサンデーモーニングで全国のコロナ患者の自宅療養・待機者が35000人を超えると報じていた。実に全国の5,6日分のコロナ陽性者に相当する。中には軽症だったり自ら希望している患者もいるだろうが、大阪の10%をはじめ全国に広がる低い入院率を考えると入院加療の必要な相当数の患者が自宅待機を強いられていると思われる。その自宅で不安な時を過ごす患者は、訪問診療でも遠隔診療でも藁にもすがる思いで待っているだろう。しかし、現実は自宅で何の医療も受けられず悪化して亡くなっていくのである。パンデミックには医療のトリアージは避けられないが、これはそうではなく医療の放棄である。薬も酸素もないわけではない。ただ処方が必要なそれらを届ける人がいないのである。いやファストドクターや武知医師などわずかにいるが絶対的に不足している。かれらの行動が示しているように、病床が不足して患者が自宅で待機せざるを得ないという事態に対して医療を手当てするには医師が訪問でも遠隔でもして診療するしかない。それができるのは現状ではコロナを診ないで済んでいる民間病院や診療所の医師である。国民皆保険という世界に冠たる制度の上に存立している医療者が、医療も受けられない国民の危機を傍観していていいのだろうか。この危機を招いた責任は常から医療政策を預かる厚労省であり、そのコロナ対策の拙劣さにあることは確かである。しかし、今から対応策を的確な方向に舵取りしても、その間にも自宅で亡くなる患者は後を絶たない。国民の生命、健康に責任を持つ政府がこのような時に開業医中心の医師会には恐れをなして何も言えないのは情けないし、公益社団法人日本医師会もこの国民の窮状に傘下の医師に何も呼びかけず頬かむりしているのは利権集団の馬脚を現したとしか言いようがない。コロナ患者の悲劇はますます絶望的になっていくだけである。武知医師の行動を美談で終わらせてはならない。医療界はコロナに感染して弱り、容体が急変しても入院できず自宅に置かれる患者に手を差し伸べる方策を真剣に考えてもらいたい。

(本稿はMRICに投稿したものです)