“脱炭素”社会に向けて〜トリウム熔融塩炉の優位性
Toward A Decarbonized Society〜Thorium
Molten Salt Reactor
東京都東村山市 日笠山 泉
概 要
菅総理大臣は所信表明で、「2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする」と発言された(※1)。現在世界は2015年の「国連気候変動枠組条約締約国会議」(パリ協定)をきっかけに、二酸化炭素の排出量を実質ゼロにする“脱炭素”社会の方向に進んでいる。
世界では “脱炭素”社会を実現するために原子力発電が不可欠であると認識されている。本稿では、その中でも最も安全性が高く、コストも安く、期待されるべきトリウム熔融塩炉に関して解説する。
1.はじめに
一般的に、太陽光発電や風力発電等の再生可能エネルギーに移行すれば良いという単純な話があるが、これらは現時点で安定した産業用の電力には不十分である。太陽光発電の発電量は昼間の数時間のみで夜間はゼロ、しかも天候が悪ければ発電しない。梅雨時などは天候不順の日が続いてしまう。風力発電の場合も同様で、洋上は地域によっては比較的安定しているが、風が弱ければ発電しない。これらの不安定な電力を、バッテリで補おうとすると、膨大な数量のバッテリが必要となる。バッテリの技術が今より格段に上がれば可能かもしれない(※2)。
地熱発電は安定しているが、設置場所が主に国立公園や温泉地となるためにかなり限定され、温泉地の補償問題等も抱えている。現在稼働中の発電設備は5万kW程度で、大容量の発電には向かない。残る選択肢は原子力発電だが、福島第一原発の過酷な事故を考えると、軽水炉が最適とは考えにくい。
日本国内では福島第一原発の事故以降、原子力発電に関して完全に否定的な意見が大半を占めており、多くの人は日本国内で使われている軽水炉以外にも、第四世代の原子炉と言われている「トリウム熔融塩炉」や「高温ガス炉」などの、全く構造の異なる原子炉が存在する事を知ないようだ。
これらの中でコストが安く、安全性も高く、最も期待されるべき原発はトリウム熔融塩炉だと思われる。
2.トリウム熔融塩炉とは
トリウム熔融塩炉の詳細に関しては、古川和男著「原発安全革命」(※3)を参照願いたい。以下簡単に記す。
軽水炉の場合、天然ウランを濃縮してウラン235の比率を増やして燃料として使用するが、トリウム熔融塩炉の場合は、ウランより豊富で安価なトリウム232を燃料の元として使用する。ウランの鉱山は限られた地域に偏在し、寡占状態となっているが、トリウムの鉱山は比較的全世界に広がっており、ウランの3倍以上の埋蔵量があると言われている。しかし残念ながら日本には存在しない。
図1 トリウム熔融塩炉の概念図
(出典:トリウム熔融塩国際フォーラム)
熔融塩には、フッ化ベリリウム(BeF2)と、リチウム7からなるフッ化リチウム(LiF)とを混ぜた「フリーベ」と呼ばれているものが使われる。これは化学反応を起こさない非常に安定した物質である。常温ではガラスのようなもので、約500度でさらさらとした透明の液体になる。この液体に燃料の元となるトリウム232を溶かして液体の状態で炉内を循環させる。一部に腐食の問題が指摘されているが、ハステロイ-Nという耐熱合金を使用することで、すでに解決済みである。
トリウム232自体は、放射性物質だが核分裂を起こさない。炉内で、このトリウム232に中性子を1個当てるとトリウム233となり、ベータ崩壊(中性子が陽子に変化し、電子1個が飛び出す)を2度経た後にウラン233となる。このウラン233にさらに中性子を当てると、2つの重さが異なる原子核に分裂する。核分裂前と核分裂後のわずかな総質量の差がエネルギー(熱)となる。この核分裂で2〜3個の中性子が生成され、この中性子がさらに次の核分裂を引き起こす。一定の連鎖が保たれた状態を臨界という。
トリウム熔融塩炉の炉心は黒鉛でできている。核分裂時に生成される高速の中性子では臨界が起こらないので、この黒鉛を中性子の減速材として使用する。燃料を溶かした液体状の熔融塩を、炉心と熱交換器間をポンプで循環させる。熔融塩は、この黒鉛の炉心を通過している部分のみ核分裂が臨界状態になり、約700度程度に発熱する。
この熱を、1次と2次の熱交換器を通して約500度の蒸気を発生させて、火力発電同様にタービンを回して発電を行う。ポンプによる熔融塩の流量制御により、負荷に対して発電量を追従することができることも、軽水炉と異なる大きなメリットである。
トリウム熔融塩炉の特徴は、軽水炉のような固体燃料ではなく、熔融塩による液体状態の燃料を使用することで、化学プラントとして取り扱いやすい。固体燃料の場合は、定期的な燃料の入替や配置換えが必要となり、その都度原発を停止しなければならない。トリウム熔融塩炉では、一旦稼働してしまえば、わずかな燃料の追加をしつつ、簡単な保守作業のみで数十年の連続稼働が可能だ。
また、炉内でプルトニウムなどの超ウラン元素がほとんど作られないことも、後処理を容易にし、放射性廃棄物の消滅や最終処分も大きく改善できる。
3.オークリッジの実績
トリウム熔融塩炉は、1960年代に、アメリカのオークリッジ国立研究所(ORNL)で開発され、1965年6月に臨界に達し1969年12月まで、2.6万時間を無事故で運転された。
しかし、残念ながら軽水炉との開発競争に敗れ、実用化には至らなかった。原子力潜水艦用に開発された軽水炉が先に実用化されてしまったことが要因の一つだが、他にも数々の要因があったと推察される。特にトリウム熔融塩炉は原子炉内でプルトニウムが生成されないことが理由の一つだとも言われている。当時は冷戦時代なので、軽水炉から生成されるプルトニウムを、核兵器に転用することも想定されていたためだろう。
4.プルトニウムの消滅
軽水炉は稼働させていると、ウラン238が中性子を吸収してプルトニウム239/241になり、核分裂を起こす。しかし軽水炉では効率が悪く、稼働後にプルトニウムが残ってしまう。現在、日本国内には使用済み核燃料から分離した、約46トンのプルトニウムが存在しており、これは核兵器への転用が可能と考えられているため、国際的に不要な保持が禁止されている。
また、今後核兵器の廃絶を望むのであれば、多量の兵器用プルトニウムも処分しなければならなくなるだろう。前述のようにトリウムは放射性物質だが、自ら核分裂を起こさないので、トリウム232からウラン233を作る必要がある。そのための中性子源としてプルトニウムを使用することで、トリウム熔融塩炉内でプルトニウムを消滅させることができるのである。またプルトニウムだけでなく高レベル放射性廃棄物の処理も行うことができる。
5.過酷事故
ご存じのように、東日本大震災での福島第一原発の事故は、地震が直接の原因ではない。地震発生直後には炉心に制御棒が挿入され、正常にスクラム状態になっている。炉心が停止しても核物質の崩壊熱を除去し続けなければならないが、その為の非常電源が津波で全て喪失してしまい、高温・高圧になった炉内を冷却水で冷却できずに燃料棒が露出。崩壊熱により燃料棒が熔融し、水蒸気との化学反応により燃料棒の被覆管から水素が発生して水素爆発に至る(※4)。
トリウム熔融塩炉は、過酷事故が起こりにくい構造になっている。高圧の軽水炉とは異なり、炉心は常圧の原子炉である。炉が破損し燃料が漏洩する可能性が低い。万が一燃料が漏洩した場合は、ドレインタンクに流れ落ちる。また福島第一原発のような非常電源喪失が起きた際は、炉心下部の冷凍されているバルブが溶けて開き、ドレインタンクに熔融塩が流れ落ちる構造になっている。減速材がなければ核反応は停止する。ドレインタンク内の熔融塩は、崩壊熱によりしばらく液状を保つが、時間とともにガラスのように固まり、放射性物質を閉じ込めることができる。
6.小型化
世界の人口は、増加率の鈍化傾向にあるものの、2050年には97億人と推計されている。今後発展途上国では、さらなる電力需要が見込まれるが、二酸化炭素の排出量を抑えるためにも原子力発電は必要だと世界では認識されている。しかし、現在の軽水炉では大型すぎてコストがかかる上に、運用の為に高いレベルの知識と経験を要する。
トリウム熔融塩炉は小型化に向いているので、電力消費地の近くに設置することができるため、送電のコストを下げることができる(エネルギーの地産地消)。また建設コストも大型の軽水炉と比較して安価で、運用もしやすい。トリウム熔融塩炉が開発されれば、発展途上国の電力需要の要望に応えることが可能だ。
実は軽水炉は発電効率が悪い。稼働には余剰の燃料が必要で、さらに前述のように、定期的な燃料の入替や配置換え等の保守のために運用コストがかかる。このため採算性を上げる必要があることから、どうしても大型化してしまうのだ。
7.現在の世界の状況
中国は2010年にトリウム熔融塩炉の推進を政府が決定し、2011年に中国科学院(CAS)が、2020年頃に2MWt実験炉を臨界に、2025年頃に168MWeの実証炉を建設して臨界にという計画を立てている。残念ながら現時点で実験炉の臨界に達しておらず、来年(2022年)の予定だ。
中国が特に開発を早めているのは、エネルギー政策としてウランより豊富で安価なトリウムを使用するという事もあるが、レアアースを産出すると、放射性物質のトリウムが廃棄物として多量に生み出されるので、これをエネルギーとして利用すること考えている。
当初、中国のトリウム熔融塩炉開発に協力的だったアメリカだが、中国の早い動きに敏感に反応し初め、アメリカも中断していたトリウム熔融塩炉の開発を再開した。
現在、アメリカでは産官学をあげて各種の開発を進めている。また、トリウム熔融塩炉開発のベンチャー企業がいくつも育ってきており、中でもカナダのテレストリアル社は、かなり積極的に開発に携わっているようだ。
他にも、欧州、ロシア、オーストラリアなども、トリウム熔融塩炉開発を始めている。
8.日本の現状
残念ながら、日本国内でのトリウム熔融塩炉の認識は、かなり低いと言わざるを得ない。
第5次エネルギー基本計画(※5)にも、「小型モジュール炉や溶融塩炉を含む革新的な原子炉開発を進める米国や欧州の取組も踏まえつつ、国は長期的な開発ビジョンを掲げ、民間は創意工夫や知恵を活かしながら、多様な技術間競争と国内外の市場による選択を行うなど、戦略的柔軟性を確保して進める。」とわずかに記載されている。若干の進歩はあるものの、海外の意識とはかなりの隔たりを感じる。
これは、国のエネルギー政策に原因があるが、軽水炉の大手原子力関連企業の利権構造とも無縁ではない。多くのメーカは、原発燃料製造や定期的な保守による大きな収入に依存しているので、新型炉の開発、特にトリウム熔融塩炉には関心を持たず、否定的な立場だ。
しかし、日本国内も現在唯一、株式会社トリウムテックソリューション(※6)というベンチャー企業がトリウム熔融塩炉の開発を始めている。彼らはすでに、カザフスタン国立核物理研究所で、材料照射の試験等を行っており、2019年度の経済産業省「社会的要請に応える革新的な技術開発支援事業」の公募に応募して、「プルトニウム消滅用熔融塩炉」が採択された。今後の開発計画として、20万kWのプルトニウム消滅用熔融塩炉の完成を目指している。
現在の軽水炉の発電コストは、新設で15円/kWh、再稼働で10円/kWh程度だが、彼らは基本的にビジネスとして成立することを目指しており、トリウム熔融塩炉は半分以下の5円/kWhの発電コストに下げることができると主張している。
日立や東芝などの旧態依然とした原子力大手ではなく、ベンチャーが開発を手掛けている事に期待したい。
9.水素社会
最近「水素社会」の話題が増えてきているが、水素自体は二次エネルギーなのに、マスコミは水素が一次エネルギーみたいな誤解を招く(水素で全てが解決みたいな)書き方をするので、一般の国民は間違った認識をしているように思う。水素の製造にはかなりのエネルギーが必要だ。
水素の製造方法は、大きく分けて、化石燃料から水素を分離する「水蒸気改質法」、電気で水を電気分解する「電気分解法」、そして熱化学を利用した「熱化学法」がある。水蒸気改質法は化石燃料を使うので、燃やすのと同様にCO2が発生するし、電気分解法ではかなりの電力が必要となる。
熱化学法は高温が必要だが、最近は500度前後でも可能な方法がでてきた(※7)。まだ実験室レベルだが、トリウム熔融塩炉の熱を有効利用することが可能になると考えられる。現在、テレストリアル社と米国国立研究所が、同様の方法で研究を行っている。
10.おわりに
今後大きな技術革新が起こらない限り、再生可能エネルギーだけですべての国内の電力を賄うことは不可能である。実は我々の選択肢は限られており、選択肢は以下の3つ。
(1)火力、原子力を使わず再生可能エネルギーだけで細々と暮らす。
(2)再生可能エネルギーだけでなく、リスクはあるが原子力も併用する。
(3)今まで通り火力発電を中心とし、CO2を排出する。
再生可能エネルギーは2030年度で13〜14%程度(※8)の見通しとなっているが、仮に現在のエネルギーの3割程度になると仮定する。
エネルギーとGDPは密接に関係していると思われるので、もし(1)を選択した場合は、現在の日本の一人当たりのGDP(40,146USD)の3割程度であるチリ(12,990USD)、ルーマニア(12,797USD)、パナマ(12,373USD)あたりとほぼ同じ生活水準になると考えることもできる。
トリウム熔融塩炉「FUJI」の基本設計に、多大な貢献をされた古川先生は亡くなられたが、日本にはまだ多くの基礎研究の技術が残っており、優秀な材料メーカも存在している。これらの技術を継承して、日本国内におけるトリウム熔融塩炉の一日でも早い稼働を切に願う。
参考文献・引用資料
※1 第203回国会における菅内閣総理大臣信表明演説
https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/statement/2020/1026shoshinhyomei.html
※2 生活者通信
第246号「太陽光発電に関して計算してみました」日笠山
http://www.seikatsusha.org/toukou/data/tou-2021/tou-21-04-28.htm
生活者通信 第246号「太陽光発電に関して計算してみました(その2)」日笠山
http://www.seikatsusha.org/toukou/data/tou-2021/tou-21-04-28-2.htm
※3 古川和男著「原発安全革命」(文藝春秋)現在はKindle版のみ
https://www.amazon.co.jp/dp/B00MBAQZ8S/
※4 東京電力ホールディングス「福島第一原子力発電所はなぜ、過酷事故に至ったのか」
https://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/outline/2_1-j.html
※5 経済産業省
資源エネルギー庁「第5次エネルギー基本計画」
https://www.enecho.meti.go.jp/category/others/basic_plan/pdf/180703.pdf
※6 株式会社トリウムテックソリューション
※7 日本原子力開発機構「高速増殖炉を用いた水素製造技術」
https://atomica.jaea.go.jp/data/detail/dat_detail_03-01-07-01.html
※8 経済産業省
資源エネルギー庁「長期エネルギー需給見通し」
https://www.enecho.meti.go.jp/committee/council/basic_policy_subcommittee/mitoshi/pdf/report_01.pdf
その他、NPO「トリウム熔融塩国際フォーラム」内の配布資料も多数参考にさせていただいた。