たどるべき-20

 

東京都渋谷区 塚崎 義人

 

「かたよらないこころ、こだわらないこころ、とらわれないこころ、

ひろく、ひろく、もっとひろく〜〜〜」

薬師寺元管長・故高田好胤師

 

物質、生命、こころ、

どの世界にも同化できる善い考え

 

なにを、受けつぎ  過去(祖先)

なにを、受けつがせ 現在(家族)

なにを、受けつぐ  未来(子孫)

                〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

社会的観照2・・・方法(進めかた)-9

 

  領 域 | 構 成             <  品 位 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

外  |対象   (色)  [  顕 在  ]  [  理 念  ]  [  潜 在  ]

     |・・・・・・・・           ↑↓

部  |手段   (受)  [  奉 仕  ]  [  天 職  ]  [  倫 理  ]

・・・・・・・・・・・・・・・・          ↑↓

      |  |   |表  [  姿 勢  ]  [  社 会  ]  [  風 土  ]

     |意 | 体 |象

  内  |  |  (想)・・・          ↑↓

      |識 | 制 |心  [       ]       [   動      ]

      |  |   |象

     |・・・・・・・・・          ↑↓

  部  |無 |要素(行)  [  食 事  ]  [  年 齢  ]  [ 創 造  ]

      |意 |・・・・・・・・        ↑↓

      |識 |基盤(識)  [          決 心           ]

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(実体はなく、実体がないからこそ)

                     〜〜かたよらず、こだわらず、とらわれない〜〜

 

 

「 品 位 」   

 

 *生きものには、それぞれが、それぞれで、すぐれた生きかたが、

    それを品位と、ひとにとっても、もっとも大切なひとつなのかも。

 *生きもののなかでも、ひとは複雑でさまざまな心があって、

おもに、表向きな顔としても、個人・家庭人・社会人・自然人などが。

 *とくに自然人の心、ひとにとっては、なくてはならないのもの、

    ひとや社会の心のありようによっては、ほかの生きものに大きな影響を。

 *なので、ひとや社会は、品位を高める努力がひつようといわれ、いつも、

    それと、品位というものの中味を、よくよく知っておくひつようも。

 *ひとそれぞれ、いま、どんな生きかた(品位)をしているの、急にはわからない、

    自身の心(個人・家庭人・社会人・自然人)が、出たりひっこんだりしてるので。

 *ふだんの生活の中では、そんなこと意識しなくとも、不便を感じることはないけど、

    たまに、意識してみるのもよいのかも、無意識を意識化してみれば。

 *おのずと、ひとびとのすがた(心身)に、あらわれていることに気づくはず、

    品がある・品がないとか、一瞬に、感じているはずですよね。

 *あのひと、あのグループ、あの社会、上品だとか、気品があるとか、

そう感じられたのなら、さらに「徳」などが満ちていればいいのですが。

 *品位ある望ましいすがたには、かならず徳がふくまれています、

    温情、理性、勇気、誠実さ、謙虚さ、自信、健康、明るさなどなど。

 *個人・家庭人・社会人・自然人、の心に「徳」が満ちていれば、

そのひとの、立ち振るまいや、すがたから感じられるはず。

 *品位は、さりげなく、そなわる徳のすがたであって、それが見てとれるのが、

    古くは、四威儀(しいぎ)、行、住、坐、臥(ぎょうじゅうざが)が。

*行、住、坐、臥は、心とからだの立ちふるまい、もっとも好ましいすがた、

    ひとの品位(徳)は、立ちふるまいを見てさえいれば、わかるもの。 

 *とくに自然人には、四威儀(行、住、坐、臥)が、なくてはならないはず、

    ひとのふるまい方ひとつで、生きものの生死が左右されているので。

 *自然の生きものの、立ち振るまいこそ、もっとも好ましいすがたかも、

    自然に逆らわず、ありのままに、食し・歳とり・精いっぱい生きて。

 *ひとも、そうありたいもの、でも残念ながら、そうはいかないのが、いつものこと、

    なぜって、ちょっとばかり、ほかの生きものより、ずる賢い生きものなので。

 *だからこそ、品位は、ひとになくてはならないもの、生きものとして、生きるのならば、

    むかしも、いまも、これからも、自然に、あまり、負荷をかけないように。

 *ぜひ、ひとは、自然に対し、四威儀、礼儀正しさ(おごそかさ)で向きあうことが、

自然への姿勢は、ひとの身近な生活を、見れば、一目りょう然。

 *ふだんから、どのようなことを、気にしながら生活すればよいのでしょう、

むかしから、十善戒(じゅうぜんかい)という、いましめを守れるなら。

 *十善戒、よくないことは、身(行い)・口(嘘)・意(愚痴)から生ずるので、

    ・殺生はしない

    ・横取りしない

    ・道理にかなった

    ・うそをつかない、

    ・空っぽな話はしない

    ・口汚いことばを発しない

    ・仲たがいをさせない

    ・むさぼらない

    ・怒りはしずめて

    ・思いに、とりつかれない

                  このくらいから、品位が高められるのならば。

 

 

「 決 心 」 

 

  *決心するには、覚悟(迷いをはらう)をさえすれば、

心を、決める・決めない、が、はっきりするはず。

  *そうすることで、こころの中に“静寂さ”が、満たされてくるので、

     視界が、ぱあっと四方八方へひろがり、自身の心が見えてくるはず。

  *“静寂さ”のなかに、五蘊(色受想行識)も、ふくまれていれば、

    それでこそ、しっかり心を決めることができるというもの。

  *とくに、五蘊(色受想行識)のなかのひとつ、識(智覚)、

     ものごとの有意味を、つかむことができる、はたらきが。

  *この世のすべては、五つ(色受想行識)の要素でできていると、

     でも、この五つは本来の性質上、まったく実体がないものだから。

  *実体がないということになれば、良くも悪くも、いかようにもなるので、

     心を“静寂さ”で満たし、ものごとの、そのものに気づけるように。

  *決心というのは、こころに静寂さ(五蘊)を満たしきれるか、どうかで、

     まずは、ご自身の心の中に満たしてみることから、どうぞ。

 

 

「 理 念 」 

 

*「まさに、それであるところの、そのもの」(哲学上の命題)、

   すべてのものごとの、あるべきすがたは、それなしにはあり得ないもの。

*そういわれたとして、どうゆうことなのか、雲をつかむようで、

   なので、すこし意識し「理念」について、どうゆうものなのかを。

*理念、平たく考えれば、ひとや生きものにとっての“よい生きかた”、

   たぶん、普段生活のなかで、そうゆうことを自身に問える「余裕」をいうのかも。

*よい生きかたを想うとなれば、夢とか理想とかが、ふくまれていれば、なお、

   漠然に想うのではなく、ある程度の具体性あるすがたがあるはず。

*夢や理想を想う前に、いまの自身や社会の現実のすがたを見つめることも、

   現実のすがたは、夢や理想が投影されたものなのだから。

*理想と現実は、相対するので、理想は現実のすがたの目標となるもの、

   理念(真・善・美・聖)を求めるには、自身の生きかたから。

 

 

「 天 職 」 

 

  *理念を求める“生きかた”、ひとに求められるもの、なぜなら、

     ひとは、すべての生きものに責任が、生きものの頂点にいるのだから。

*だから、ひとの社会は、品位を高めなければ、まぬがれないものなのかも、

     ひとが思いえがく“理念”は、すべての生きものにも、合うものでなければ。

*天職、ライフワークとも、自身のなかの“幸せさ”からの情熱をもって、

     そのひとにしかできない、生涯をかけてするもの、とうぜん生きもののためにも。

*“幸せさ”、そこにつながるだけで、生きものすべてが幸せになるような、

     そうなら、ひとの生きかたには、具体性のある考えのものがなければ。

*たとえば、理想と現実の合間にひつようなものとして、

     目的、目標、方針、手段・方法が、現象と本質の関係が、あるのでは。

*生きものの人生なんて、あっという間、短いもの、だからこそ、

     いつも理念(夢や理想)を欠かせない、それがひとの天職ともいえる。

 

 

「 社 会 」

 

*社会には、さまざまな仕組みや制度などが、これらをひっくるめて、

     もっとも大切にされるもの、それは公序良俗です。

*公序良俗、公の秩序と善良な風俗といわれ、これに反するものは、

法律であれ、私的行為であれ、すべて無効、すべてを制する理念かも。

*社会での、あらゆる活動とおこないが、よいのかわるいのかを思うとき、

     その妥当性を決めるときの基準となるものだから。

*だから、社会の品位を高めようとしても、公序良俗を、よくよく学んでおかなければ、

     社会のさまざまなことに、正しく対応できなければならないので。

*社会というより、そこに暮らすひとびと自身が、まずは品位を高めなければ、

     とても難しいかも、それぞれが、それぞれで、努力を重ねることから。

*そうゆう流れが社会に充満することによって、公序良俗として、

     その社会に定まり落ち着くようになるのでは。それは文化としても。

 

ここでいう文化とは、ともに認め、おたがいに、あてはまるもの、

        なにごとにも、まずは、真・善・美・聖、をあてはめてみたら。