たどるべき-21
東京都渋谷区 塚崎 義人
「かたよらないこころ、こだわらないこころ、とらわれないこころ、
ひろく、ひろく、もっとひろく〜〜〜」
薬師寺元管長・故高田好胤師
物質、生命、こころ、
どの世界にも同化できる善い考え
なにを、受けつぎ 過去(祖先)
なにを、受けつがせ 現在(家族)
なにを、受けつぐ 未来(子孫)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
社会的観照2・・・方法(進めかた)-10 経済と政治
領 域 | 構 成 < 経 済 >
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
外 |対象 (色) [ 市 場 ] [ 消 費 ] [ 競 合 ]
|・・・・・・・・ ↑↓
部 |手段 (受) [ 販 売 ] [ 商 品 ] [ 販 促 ]
・・・・・・・・・・・・・・・・ ↑↓
| | |表 [ 流 通 ] [ 情 報 ] [ 生 産 ]
|意 | 体 |象
内 | | (想)・・・ ↑↓
|識 | 制 |心 [ 組 織 ] [ 制 度 ]
| | |象
|・・・・・・・・・ ↑↓
部 |無 |要素(行) [ 財 務 ] [ 人 材 ] [ 技 術 ]
|意 |・・・・・・・・ ↑↓
|識 |基盤(識) [ 理 念 ]
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(実体はなく、実体がないからこそ)
〜〜かたよらず、こだわらず、とらわれない〜〜
「 経 済 」
*国というものに実体はない、実体があるのは社会、
その社会を支えるのが経済と政治、そのひとつが経済のはたらき。
*社会で、ひとびとは、食べ、歳とり、一生を、
そう、これらの営みこそ、これこそが、実体といえるもの。
*ひとびとが、営み(食・歳・生)を全うできるのも、経済のはたらきがあるから、
社会での生活が、さらに豊かになるには、これらの、はたらきをいかに高めるか。
*なので、ひとは国という実体のない虚像に振りまわされず、実体の中身をたいせつに、
ひとびとと、ご自身がおこなう経済のはたらきを、よく見つめていることが。
*経済には、さまざまなはたらき方があって、
おもなものとして、三つほど、伝統経済、市場経済、計画経済、がよく知られて。
*伝統経済、その地域特有の産物を流通させ、地産地消、
意外と地域文化に根ざすので、予測でき、安定した需要と供給がわかるという。
*市場経済、もっとも自由さがある、しくみ、
ただ、もうけのためなら、なんでもする自由さが、往々にして、そちらに流れやすい。
*計画経済、生産・分配・流通・金融のバランスにもとづき、すべてのものをまとめ、
ひとびとの豊かな生活を高めるため、効率的な運営のしくみ。
三つの経済には、利点・欠点が、社会生活をなめらかに運ぶには、
それぞれを互いに、組みあわせながら、運営するのが現実的かと。
「 理 念 」
*ひとことでいえば、理念の存在意義が、あるか・ないか、
まずはじめに、このような思いが、浮かぶのでは。
*単なる、思いつきの理念は、なが続きせず、夢や理想にたどりつきはしない、
理念には、かならず存在意義が、ぜったい、なくてはならないもの。
*理念(夢や理想)にもとづき、目に見えるかたちで、実現へ向かっているか、どうか、
経済のはたらきすべてを、詳細に見つめ、点検していなければ。
*理念の存在意義に気づいたとしても、これといったかたちは、ありませんが、
根本的に、どうしても、こころのなかに必要とされるものがあるようで。
*理念(夢や理想)を、うそいつわりのないものとして、かたちにあらわすには、
三面等価(姿勢・行動・能力)を、いつもこころにもって。
姿勢:どれほど行動と能力を有するひとでも、
理念の基本姿勢に著しく隔たるひとは、「有益」ではない。
行動:どれほど基本姿勢を語れるひとでも、
理念の基本行動がなければ、「成果」をもたらさない。
能力:どれほど姿勢と行動が優れたひとであっても、
理念の基本能力(智慧)がなければ、「成長」しない。
経済のはたらきで、どのような理念が、述べられていても、
存在意義と三面等価で、見つめさえすれば、信頼たるか、どうかが。
「 消 費 」
*商品という品ものは、もともと、生きる(食べ・歳とり・一生を)ためのもの、
生きもの(動植物)、それぞれが、それぞれで、不可欠な品ものを。
*生きものにとって、おおむね、命をつなぎ、生きるための、品ものだけが、ほとんど、
でも、ひという生きものだけ、それだけでは、ないところがあって。
*ひとが求める品ものは、生きるだけの品ものだけに、とどまらない、
こころのなかで、思い浮かべる心理的なものが、多くなっているようです。
*それに、ひとは、思うと、何でもかんでも、欲しがるくせがあり、際限がない、
そのうえ、欲するものが多岐に、複雑でよくわからないものまで。
*ひとは、欲しがると、ありとあらゆるものを求め、地の果てまでへの、どん欲さが、
自然そのものに、大きな負担をかけているようで、まわりを見わたせば、あきらか。
*ひとが欲するものには、おおきく分けると、生理的(本能)と精神的(心)なものが、
ひとびとは、ひたすら消費するものを、ほかの生きものの迷惑など気にせず。
*これらを、自分だけの消費や、商品として取引できるものなど、ごちゃ混ぜに、
バラバラな消費行動なので、すこしでも整理し、バランスのとれたものにできれば。
*ひとの欲するものの数が、あまりに過剰で、ひろがりすぎているようで、
これからは、はっきりと適正で必要なものだけを、知っておくことがいいかも。
*ひとの消費は、生きものと自然そのものに、過大な負担をかけすぎているので、
いつか、かならず生きる(食べ、歳とり、一生を)ことに、破綻をきたすかも。
*そう、ひとは自身を見つめて、生きものや自然のいとなみと、おなじように、
食べ、歳とり、生きる、そのことののみの品ものを、たいせつに。
*そうはいかないのが、ひとの常、とくに欲するものが、生理的(本能)なものだと、
おわかりのように、その適正さに気づかないので、欲は際限なくいくよう。
*このへんで、消費するものを、精神的(心)なものへ重きをおいていったほうが、
ひとの消費は、生理的(本能)なものから、精神的(心)なものへが、よいかも。
*ひとの欲は、おおきく五つぐらいが、よく知られています、
生理、安全、社会、自我、実現、などが。
*生理的(本能)欲として、
生理:いのちをつなげ生きるため、たとえば食欲・性欲・睡眠欲など
安全:ほっと気が休まるところ、きけんを避けられ安心できる
社会:おなじような心持ちのひとびとに、好かれなが暮らせれば
自我:ほかのひとに、認めてもらいたい、自身の値打ちを
*精神的(心)な欲として、
実現:すばらしかった一生に、そうなるよう努められれば。
なんのための消費なのか、それなりに考えてみませんか、
そうであれば、おなじように自然界も、応えてくれるはず。
「 商 品 」
*商品は、有形・無形、社会生活(食・齢・生)にとって、不可欠なもの、
さらに、さまざまなものと、とりかえできる「価値」あるものでなければ。
*価値というと、もっともよい値打ち、なかでも最高の品質、言いかたはいろいろ、
素材そのものや、手を加えたものや、さらに、快適なサービスなど。
*さて、いつまでも、かわらない価値とは、どうゆうものなのでしょう、
それに、その価値を決めるには、どんなひとなのでしょう。
*商品の価値は、そのものに根源的な品質(特性)があるからこそ、
でも、そのような商品価値を、見抜くというのは、並大抵なことではないはず。
*いつまでも、かわらない価値、そんな商品を的確に見ぬく、
品もの(作品)と、評価ができるひと、どちらにも、それなりの資質が。
*商品、かわらない価値、
真 :いつわりない、ありのまま
善 :よいもの、ためらわない
美 :美しい、こだわりなく
聖 :澄みきった、にごりなく
*能力、見ぬくには五つの徳が、
仁 :やさしさを、すべてに
義 :仁と義のたいせつさ、正しさのため
礼 :仁義は、礼にはじまり礼で、すべてに向け
智 :ゆたかな知識、深い
信 :ほんとうのことを、まじめに
よりどころは、それなりの商品には、それなりの能力が、
それなりの経済には、それなりのひとびとが、そのようです。
「 情 報 」
●第六感(ひらめき)・・・
*すべてのできごとからは、さまざまな「もの(情報)」が、たえず、
かたちがある・ない、目にみえる・みえない、あらゆるすがたで発せられ。
*でも、「もの(情報)」を、ひとが正しく理解できるには、まだまだ不十分なのかも、
感知している能力が、とてもかぎられた五感(眼耳鼻口身)でしかないので。
*ひとの持つ、もうひとつの感知力第六感、おおいに、その能力をはたらかせれば、
そうすれば、「もの(情報)」のあらゆるすがたを見通すことができるかも。
*生きものは、五感(眼耳鼻口身)と第六感の感知力を、ふだんから、
さまざまに、うまく使いこなしていることは、ひろく知られています。
*たとえば、鳥やミツバチや魚などは微弱な地磁気をかんじ、自由に空や海を回遊、
生きものによっては、五感のひとつを強烈な感知力にしていたり。
*生きものは、ふつうに第六感の能力をうまくこなしているよう、ところで、
生きものの頂点にいる、ひとは、この能力を、どのくらい使いこなして。
*たぶん、ひとは第六感のちからを、ひらめき(才能)という能力で、こなしているのでは、
説明しがたい、ものごとの本質を瞬間につかむ、こころの鋭いはたらきとして。
*ただ、だれもが、第六感をこなしきれているとは、ざんねんながら言いがたく、
この生まれつきの能力を、ひとは普段でも使いこなせられたなら、いいのですが。
*それでも、少数ですが、第六感を使いこなせているひとも、たとえば、生・死の境とか、
勝ち・負けの場とか、火急の瞬間にとか、そう、ひとによってですが。
*そうなら、だれでもが身近な生活の場で、第六感をつかいこなせるように、なれたなら、
なぜなら、ひとのひらめき(才能)は、生きものにとっても、大切なものだから。
●場(氣)・・・
*すべてのできごとには、かならず「場(氣)」が生じているようです、
また、わけのわからんことを、そう思いになるのかもしれませんが。
*遠くむかしから、東北アジア(中国や日本)では、「氣」をひとつの「存在」するものと、
見えないが空気中に漂い、互いに強く結びつき、見える存在(物質)になったり。
*氣は、科学的に明らかでないが、たぶん、素粒子のことをいっているようで、
素粒子、世界(宇宙)に存在するすべてのものを組みたて構成する、最小単位の素材.
*素粒子のはたらき、おおきく四つ、つよい力、よわい力、電磁の力、引力・斥力(せき力)、
世界(宇宙)は、ほかのはたらきも含め素粒子で支えられ、それを氣と呼んだのかも。
*もしそうなら、身近な生活も「場(氣)」で支えられ、いたるところに充満しているかも、
たくさん、考えられないほどの「もの(情報)」として氣が発せられているようで。
*仮にも、そう思えば、氣という素粒子(強い力・弱い力・電磁力・重力)のはたらきが、
「もの(情報)」として、あらゆる全方向(上下・左右・四囲)へ拡散して。
●時空(時間と空間)・・・
*「場(氣)」に生じた「もの(情報)」が、伝わってくるあいだに、
時間と空間が、絡みあうはたらき(時空)を生じているという。
*そこは、時間が早く・遅くなったり(光速)、空間がゆがみ曲がったり(重力)、
宇宙では、あたりまえにいたるところで、おこっていることですが。
*現代物理学の、相対性理論(アインシュタイン)で、ひろく知られ、宇宙で起こるなら、
ひとの身近でも、とうぜんかと、世のできごとは、宇宙のまっただかにあるので。
*身近なはなしで、過去→現在→未来は、川のようにつながって流れていると、でも、
これらは、まったく異なる次元のはなし、過去と未来は存在はしていないので。
*過去・現在・未来、それぞれの時空(時間・空間)は、おおきく異なり、
過去と未来は、あくまで、ひとの頭の中のできごとにすぎない。
*現在のみが一瞬という、現実的にじっさいに存在しているだけのこと、
過去と未来は、所詮、心のなかの仮相的(実在でない)事象でしかなく。
*仮相的事象なら、次元は、過去は記憶として、未来は想定するだけのもの、
なので、未来が、過去のできごとの延長線上にあるというのは、ありえません。
*世の中のできごとは、瞬間に刻々と生まれ消えるもの、一瞬の一点でしか(刹那滅)、
その一瞬「もの(情報)」こそが、想定する未来を現実のすがたとしてあらわす。
*今という現在(一瞬)が、いいかえると、すべての「場(氣)」は、同じなものなのか、
もしかすると、時間が異なってたり、空間がゆがんでたり、している「今」も。
*よくみれば、そこの瞬間の現在は、ほかの「場(氣)」とは異なっている可能性が、
そこの「もの(情報)」は、異なった時間で、ゆがんだ空間から発しているかも。
*「もの(情報)」は、単なる情報でなく、かぎりない存在が詰まっているので、
まずは、その場の、時空(時間・空間)を見きわめることからを。
●塊(エネルギー)・・・
*世界(宇宙)は、今から139億年前、超高温高密度のエネルギーの塊、一点から、
大爆発(ビッグバン)し、おおきくひろがり膨張しながら、いまの世界に。
*いまの世界(宇宙)は、一点(塊)のエネルギーから、遠く億年月を経て、
かたちがある・ない、目にみえる・みえない、さまざまに変化したもので満たされ。
*直近の、宇宙観測結果によると、宇宙を満たしている「もの」は、
見える物質5%、見えない暗黒物質25%、見えない暗黒エネルギー70%といわれ。
*暗黒というのは、いまのところ最新の宇宙観測機器でも、まったく観測できず、
未知のものといわれ、でも、たしかに、そこに存在することは認められて。
*なにが言いたいかというと、世界(宇宙)はエネルギーの塊一点からはじまったことを、
世界(宇宙)のすべての存在は、元をたどれば、エネルギーだということが。
*となれば、身近なものも、生きものも、ひとも、なにもかもはエネルギーの塊、
場(氣)もエネルギーの塊と思えば、さまざまなことが見えてくるのでは。
●感知(五感)・・・
*ひとの感知能力は、今のところ、ほとんど五感(眼耳鼻舌身)のみのようで、
第六感(意)は、はっきりせず、ぼんやりとしか、ひとは気づいていない。
*あらゆる「もの(情報)」を、ひとは、まず五感(眼耳鼻舌身)で、
眼(見る):視覚、もののすがた、大きさ、かたち、色、動きなどを感じ、
耳(聞く):聴覚、音、声、高い低い、ねいろ、音の源・波、リズム・拍子、
鼻(嗅ぐ):臭覚、空気・水や、あらゆるものから漂って、によいや香り、
舌(味わう):味覚、あまい、酸っぱい、しょっぱい、苦い、うまみ、
身(肌ざわり):触覚、痛い、温かい、冷たい、かゆみ、
*そして、第六感(意)、超感覚的な知覚といわれ、
直感的なはたらきで、ものごとの本質を、つかむこころのようで。
*たとえば、なにか違う、予感がする、なにかの知らせが、なんとなく落ち着かない、
これを、勘、直感、霊感とか、ひらめき、インスピレーションとかいわれ。
*むかしから、おおくの先達たちは、第六感の直観力を磨くようにしていたようで、
思想家・中村天風氏(天風会)は、呼吸・身体、坐禅を取りいれ磨いていたようです。
*ただ、第六感を磨くには、それなりのイメージを、もってされたほうが、
ここでは、場(氣)、感知(五感)、時空(時間・空間)、塊(エナルギー)を、
*場(氣)は素粒子、時空(時間・空間)は早く遅くゆがみ曲がる、塊(エネルギー)は、
見える物質5%、見えない暗黒物質25%、見えない暗黒エネルギー70%で。
「もの(情報)」は、見えるもの、ほんの一部、ほかは、ほとんど見えないので、
五蘊(色受想行識)を使い、第六感を磨くことができればと。
色 :場 (氣)
受 :感知(五感)
想 :六感(ひらめき)
行 :時空(時間と空間)
識 :塊 (エネルギー)