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<Vol.15>

━━━生活者通信メルマガ版━━━平成17年8月1日・2日 Vol.15━

中国のナショナリズムと靖国問題

                   生活者主権の会  板橋光紀

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「ナショナリズム」を辞書でひくと、「愛国心」と「排他的国民感
情」の二つが出ている。「愛国心」は平和で国民が幸せになる方向
を目指す筈だから、忍耐強く、戦争を避ける考え方になる。「排他
的国民感情」はその反対で、身内だけを大事にして、よそ者を排す
る「鎖国型」か「攘夷型」、頑固な人種にあり勝ちで、紛争を引き
起こし易い。

 2004年に汚職で摘発された中国共産党幹部は3万人を越すと
言われる。官僚の腐敗と都市・農村の格差拡大で下層階級の不満は
臨界点に達しているから、中国では「愛国心」が育ちにくい。不満
の捌け口はとかく「排他的」の方へ振れてしまい、ナショナリズム
の形体は「反日」か「反台湾」、「反米」だって何時起こるか判ら
ない。それらを政府や党が容認又は奨励でもしようものなら、発散
しようとするヱネルギーは加速度をつけて増幅する。前回の反日デ
モでは当局がデモを容認したばかりに、計算を大きく上回る規模に
拡大してしまい、指導者達はそれを後悔して、今国民の不満を詰め
た圧力釜の蓋を懸命に手で抑えつけている心境であろう。

 小泉さんは「靖国問題」を軽く見すぎて、日本の「権益」まで脅
かすことに未だに気ずいていないらしい。日中双方の指導者共々自
分で墓穴を掘った、サッカーの試合で言う「オウンゴール」みたい
なものなのを。

 報道で見る限り、日本政府からの中国に対する謝罪はいずれも
「痛切な反省と心からのお詫び」が込められており、とりわけ細川
護煕、村山富市、小渕恵三の首相談話は謝罪文言としては立派で、
十分意を尽くしたものであったと記憶している。これまでになされ
た日本政府の謝罪は17回を数えると言う。17回は多過ぎると思
うが、21回だと言う説もある。何回しても謝罪が「帳消し」にさ
れ、再度謝罪をせねばならなくなり、それらを何回も繰り返してい
るのが実状だ。謝罪と言うのはきちんと礼を尽くしたものであれば
1回で済む筈のものだが、相手の要求に素直に従って何回も謝罪を
繰り返しているところを見ると、「口先だけの謝罪であった」り、
その後に「謝罪を撤回するがごとき非礼な言動を浴びせた」ことを
自ら認めていることになる。

 日本の謝罪が「口先だけのもの」に映る理由は小泉さんの行動に
象徴される「靖国神社参拝宣言」と、それに関連した各種の答弁や
コメントに「はぐらかし」めいたものや、幼児性を帯びた頑なさ、
生まれてこの方行った事もない靖国神社へ、首相の座に着いた途端
に行き始めると言った、「軽薄な思いつき」に見えるような彼の言
質等に、「参拝」を内外になんとか理解してもらおうとする説得力
に欠けるばかりでなく、真摯な心根が感ぜられない事にあると思わ
れる。こういった小泉さんの「悪い癖」は国会でも、野党の鋭い質
問に対する答弁が人を馬鹿にしたような不誠実なものであったり、
重大なテーマにおいて国民に十分な説明がなされなかったり、与党
内にあってすら抵抗勢力を恫喝してでも屈服させるがごとき独善的
な政治手法に度々現れているから、中国人が不完全燃焼によって異
臭を発したくなる心境は理解出来る。

 北朝鮮の拉致問題に置き換えて見ると解り易い。日本に住み着い
た在日朝鮮人のコミュニティーで、大きなイベントをする度に、拉
致問題では「正真正銘のA級戦犯」と断定出来る金日成と金正日の
写真を伏し拝み、全員で万歳三唱をする光景を見れば、我々日本人
は心を騒がせずには居られない。

 韓国人に言わせると、日本人の歴史認識の中で特に不愉快になる
ものの最たるものは「日本が韓国を併合することにイギリス、アメ
リカ、ロシアの3国は異議を唱えなかった」であると言う。よく考
えて見ればこれほど朝鮮人を馬鹿にした話はない。日本は即刻これ
を改める必要がある。ひょっとすると我々日本人は無意識のうちに
他にも多くの非常識や不見識、非礼やバランスを欠いた言動を吐い
ているのではないだろうか。情報の伝達手段が飛躍的に発達した世
の中である。私を含めた、一人よがりの人や心ない人、国粋主義者
や不遜な輩ですら発言出来る世の中でもある。メディアの報道が偏
向的な場合もあれば、恣意的に歪めて表現することも可能だ。政治
家や外交官と言えどもバランスよく見識を具えている人ばかりとは
限らない。

 日本で生活に追われていると、圧倒的な多数を占める日本人的な
思考に埋没して、バランスを失い、「口あたりのよい」、「耳ざわ
りのよい」趨勢に押し流され勝ちだ。我々は時々「足を踏んだ側」
から「踏まれた側」に立場を変えて、歴史の一こま一こまを見つめ
直す必要があると思われる。

 私が中国に滞在中、必要以上の大音響で耳に入って来る日本の有
力な学者、評論家、政治家達による、あわよくば戦争責任の免罪を
得たいがごとき「屁理屈」や「女々しい言い訳」、それに事実誤認
によると思われる「歴史認識」の内、聞いた中国人が「日本政府の
謝罪を帳消しにする」ほど怒り狂う見解や論評のいくつかを挙げる
と:

(1)大東亜戦争は東洋民族を解放する為の聖戦であった。
(2) 黒竜江省で旧日本軍は降伏し、すべての武器をソ連軍に引
渡し、ソ連軍が地中に埋めて、その後の管理は中国政府が引き継い
だのだから、チチハルで起きたマスタード化学兵器のガス漏れ事故
は、埋め方の悪かったソ連軍か、中国政府の管理に問題があった訳
で、日本側に責任はない。
(3)石井中将が率いた731部隊によるハルピンでの細菌研究活
動は、当時中国で蔓延していたコレラや赤痢等の防疫研究であって、
細菌兵器の開発ではない。
(4)従軍慰安婦は日本軍による強制があったと言う証拠はない。
(5)南京事件は幻だ。1937年当時「南京市の人口は20万
人」で、日本軍による占領の1ヶ月後には25万人に増えているか
ら、南京で30万人も虐殺出来る筈がない。

 に代表される。当然のことながら、私がこれらの現場に居合わせ
て一部始終を目撃していた訳ではないから、これら日本の発言者に
対して胸を張って反論したり、中国の怒れる人々を宥められるほど
資料を持ち合わせてはいない。しかしながら、これら5つの項目の
内、(5)南京事件のことは日中の歴史問題の中でも象徴的なテー
マである。たまたま私が過去10年間、南京の東隣に位置する鎮江
市と南隣の杭州市を仕事場としていた関係で、南京事情については
少々心得ており、この立場を生かして、せめて多くの日本人が誤解
していると思われる「南京の人口は20万人」の風説だけでも解消
させることを試みたい。 国土面積が日本の26倍と言われる中国
は23省、5自治区、4直轄市に分かれている。従って一つの自治
体の平均面積は日本全国土の8掛け位い大きいサイズになる。「江
蘇省」は小さい方だが、北海道と青森県を足した位の広さがあり、
距離的に日本に近く、とりわけ「江南」と呼ばれる省の南部地方は、
奈良・平安の昔から遣唐使の上陸地点でもあって、日本との縁は深
い。江南地方は中国の心臓部と言われ、経済・文化の中心的存在、
首都が北京へ移る以前は政治の中心地でもあった。東シナ海に面し
た上海市から300km西の南京に至る長江沿いに蘇州、昆山、南
通、無錫、常州、揚州、鎮江といった人口数百万を抱える大都市が
数珠繋ぎに並んでいる。日本で言えば東海道みたいなもので、上海
が東京・横浜なら、南京は京都にあたる。

 江蘇省は13の行政区に分かれる。日本人にとって紛らわしいの
は、中国では行政区のことを「市」と呼んでいることで、日本の川
崎市とか小田原市のように市街地や繁華な町に付ける地名とは全く
異なることだ。問題の「南京市行政区」は日本の「京都府」よりひ
とまわり大きく、人口は550万人、南京の市街地は「京都市」の
半分位の面積で、人口は280万人居り、どちらの数字も「20万
人」とは桁違いに大きい。市街地の中央部に大昔に建てられた城郭
が今も残っている。中国では殆どの大きな町や古い町には「城郭」
があって、たいてい2〜3km四方の正方形か長方形、たまに地形
の都合で「南京城」のように菱形等の変形もある。三国志の時代
「南京城」は呉の孫権の本拠地で、日中戦争当時は国民政府の首都
だから、清の時代になって新しく出来た「北京」と肩を並べる中国
の大都会、その防衛を託す「南京城」だけは特大で、周囲が33k
m、東京の山手線のサイズである。城壁の高さは12m、壁の厚さ
が1m以上あり、城壁の上を兵士が行き来できるようになっている。
城門は東西南北の20ヶ所に設けられ、城内には巨大な穀物倉庫と
全ての役所や外国公館、多くの学校に病院、劇場、大小の屋敷から
下層階級用の集合住宅、市場は何ヶ所にもあり、何本かの河川もあ
れば、ちょっとした田畑まである。外敵に囲まれても城門を閉じれ
ば5年や6年は立てこもれるように出来ている。城郭は市街地の約
半分の面積を占めるから、東京の世田谷区と大田区を合わせた大き
さとなり、城郭内の人口は当時の記録からも130万人居たことが
判っている。1937年、日本軍は大増強された。11月4日、松
井石根大将の率いる「中支那方面軍」16個師団が海軍の応援を得
て杭州湾へ敵前上陸、12月13日に南京へ入城した。日本軍の南
京占領に先だって、南京市街に居住していたドイツ、アメリカ、
オーストラリア等の外国人が先頭に立って、国際安全区委員会を結
成、南京城内中央部の一画3km四方を仕切って「非武装地帯」を
作った。これを「難民区」又は「国際安全区」と呼んだ。京都市街
地の真中に平安京があるのに似ている。この3km四方の「難民区
の人口が20万人」であったことは当時の南京市役所の記録にある
し、ドイツのジーメンス社・南京支社長が残した「ジョン・ラーベ
の日記」とも一致する。

 国際委員会の代表を務めるジョン・ラーべは蒋介石に「難民区は
民間人の避難場所につき、国民政府軍兵士の立ち入りを禁じて欲し
い」と陳情、一方、日本大使館を訪ね、「民間人しか居ない難民区
を攻撃しないよう日本軍に指示して欲しい」旨を申し入れ、日本大
使館からは「努力する」との回答を得ている。

 ところが、日本軍が首都南京へ到達する1ヶ月前に、国民政府は
首都を南京から2000km西の重慶市へ「遷都」する。総統の蒋
介石が重慶へ移動した後の南京防衛を唐生智将軍とその配下の7個
師団に命じるが、将軍は日中両軍が接触する前夜に逐電してしまう。
総大将を失った10万余の国民政府軍将兵は大混乱、あろうことか
多くの将兵が武器を捨て、軍服を脱いで非武装の「難民区」へ逃げ
込んできたのだ。難民区周辺の道路は兵士達が投げ捨てた武器や軍
服で足の踏み場もない状況であったと言う。日本軍がこれを見れば、
東京の千代田区位しかない「難民区」の中に多くの国民政府軍兵士
が平服で潜んでいることは明らかで、日本軍は1ヶ月かかって「2
0万人」と言われる「難民区」の住民を一人一人厳しく検査したと
ころ、「25万人居た」ことが判った訳で、「南京市の」ではなく、
「難民区の」人口が「20万人から25万人に増えた」ことへの説
明もつく。

 問題は検査の結果「兵士とおぼしき人々」を連行し、また抵抗し
た「婦女子を含む民間人」までをも処刑した日本軍の残虐行為が、
中国人からばかりか、国際的に非難を浴びる結果となった。戦後、
日本政府による発表では、この時処刑した人数を84000人とし
ているが、当時南京市街地で活動していた国際委員会の推計では5
〜6万人と見ている。だからと言って、「南京大虐殺は30万人」
の中国側歴史記述を「誇張だ」等と今の日本人が言い張る訳にはい
かない。「正確な死者の数は誰にも確認出来ない」かと言って「南
京大虐殺は幻だ」は全く不見識な主張だ。中国の歴史教科書や戦争
博物館に展示されている写真が合成されたものであったとしても、
その写真の光景は「当らずとも遠からず」で、生き残った人々が
「阿鼻叫喚の情景を後世に伝える」目的で、粗末な撮影機材と現像
技術で作り上げたものと考えるべきだろう。

 大小の戦闘は南京城の内外のみならず、広い南京行政区のいたる
所で行われ、しかも日本軍が上海から南京への300kmを行軍す
る道すがら、連日交戦し続けて来た訳だから、多数の民間人が巻き
添えとなったであろうことは想像に難くない。日本軍将兵の戦死者
も18000人にのぼっている。

 海軍の陸戦隊と陸軍16個師団の行軍に先だって、2ヶ月以上も
連日江南地方へ繰り返された日本軍航空隊による空爆は「世界の戦
争史上初の大規模無差別爆撃」として戦史に刻まれている。中国側
の記録によると、中国軍に撃墜された日本の爆撃機だけでも500
機を数えるとされているから、日本軍の空爆がいかに激しいもので
あったかが想像出来る。2004年四月、鎮江市に滞在していた私
はお年寄りの一人から「鎮江の全市が火の海だった」と聞かされ、
針の筵に座っている心境であったことを思い出す。

 1945年3月10日の東京大空襲は焼夷弾による僅か22時間
半の空襲であったが、東京の市民89000人が亡くなっている。
南京城内外での犠牲者が84000人だけであったとしても、中国
大陸で最も人口密度の高い「江南地方」で空陸の激戦が2ヶ月以上
も続けば、民間人の犠牲者は30万人どころではなく、恐らく10
0万人を下るまい。今中国が「南京大虐殺は30万人」と主張する
ことに対して、日本人が南京市街に限った計算とか、民間人を処刑
した数に限った部分だけにこだわって数字の大小で反論出来る立場
にはない。日本兵による略奪と婦女暴行も常軌を逸する激しいもの
であったようだ。

 前の大戦で、中国への派兵の大義は「大陸の権益を護る」にあっ
た。「権益」とは日本が中国へ投資した「資金、商材、商権、機械
設備、そして運営に携わる日本人駐在員の生命と財産」を指すので
はなかろうか。今、日本の企業28000社が中国へ投資している。
中国経済の40%は日本資本が担っていると言われる。日本の「権
益」が危うくなった場合、損害を最小に食い止める算段を官民共に
夫々考えておく必要がある。同時に、日本国民は日中関係の悪化や
中国内での暴動発生等、「日本の権益を危うくする要因」を出来る
だけ少なくする努力をするべきで、ましてや個人的な野心やスタン
ドプレーで挑発的な発言や行動は慎むべきだ。

 近・現代の外交は人為的なコントロールの利きにくい「経済」が
絡む事案の交渉事が多い。卑屈になる必要はないが、相手がどの国
であれ、経済に強い日本の外交は「弱腰程度」で丁度良い。カンボ
ジア紛争以来、邦人の救出目的なら軍用機を海外へ出すことは既に
可能だ。自衛隊の海外派遣は緩和されるらしい。防衛庁を省に格上
げすることに、野党の一部ですら賛成している。満州事変前夜に似
た環境が次々と目に付くようになった気がしてならない。せめて憲
法改正作業には目を皿のように開けて監視して行きたい。

 2002年11月15日、とかく反日的と言われた江沢民が退き、
胡錦涛が総書記に就任。その1ヶ月後に「人民日報」の記者・馬立
誠氏が「対日新思考」と題する興味深い論文を発表して内外に新鮮
な衝撃を与えた。論文の中身は:

(1)日本は既に中国に対して謝罪している。
(2) 中国は前の大戦で被った損害の賠償請求を放棄したが、日
本がこれまでに中国へ支払って来たODA等による援助は高く評価
出来る。
(3)日本に軍国主義が復活することはない。
(4)歴史問題へのこだわりは止めよう。

の4点で、馬氏はインターネット等による若干の抗議やいやがらせ
を受けたものの、この論文の内容について中国の識者からは概ね諒
とされたものであったようだ。「人民日報」は中国共産党中央委員
会機関紙で中国最大の新聞である。胡錦涛の総書記就任の1ヶ月後
に出た論文ならば、江沢民とは違った新しい対日政策を引っさげて
登場したように見えるのは私だけではあるまい。これに対し小泉さ
んはその1ヶ月後の2003年1月14日、第3回目の靖国神社参
拝で答えた格好になっている。それ以来2年半が経ち、日中関係は
悪化の一途を辿り、とうとう「反日デモ」そして中国各地の暴動は
激しさを増している。日中両国の損なわれる国益は大きい。   

「筆者・板橋光紀氏関連のHP」
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