【2.資本主義の限界とその克服】
資本主義と民主主義は、ある意味では表裏の関係
または相関関係と考えることができる。
資本主義の骨格をなしているのは、株式会社制度
(有限会社も同じ)である。資本の調達とその運用
を合理的に行う極めて優れた制度であり、民主主義
と同様、人類最大の「発明」といってよいだろう。
株式会社制度の有用性は、イ私企業の原則、ウ利
潤追求の原則の二つによって特色化されると私は考
えている。私企業の原則というのは、株主という個
人(私人、法人)と、株主が運用を信託した経営者
によって運営されるということであり、従って株主
や経営者の意志を強く反映できるシステムである。
株式会社の運用、つまり、株式会社が何をどういう
方法、手段でやるかは、法律や規則に反しない限り
は原則的には自由であり、その限りでは国家や行政
の干渉を許さないということである。
また、利潤追求の原則は、いかにして儲けを生み
出すかという行動についての原則であり、中長期的
に利潤を生み出せない会社は倒産等の形で社会から
排除される。
この制度は、その後の発展、進歩によって、財閥
ないし持株会社が多数の企業を支配するとか、国境、
人種を超えて資本が結びついた国際的企業が活躍す
るとか、資本、資金の両面から、金融資本(これも
株式会社が主流)が企業の支配権を握る等々、多様、
複雑な展開がなされている。しかし、そうした形態
においても、株式会社の最大の行動原理が利潤の追
求であることは些かの変化もない。
勿論、重要な社会システムである株式会社は、
100%反社会的では成立し得ないので、多少とも社
会との調和や社会貢献を行動の一部に取り入れたり、
社会との共生をアナウンスする企業も出現している。
しかし、現実に起こっている問題は、社会との調
和という建前(タテマエ)と、実際の企業行動とい
う本音と行動(ホンネとフルマイ)の間には、覆い
きれない二律背反が際限なく拡大しているという事
実である。一流企業、一流経営者と思われた中から
も、汚職、粉飾決算、暴力団との癒着、脱税、公害
汚染のたれ流し等々、自社利益捻出のための恥ずべ
き行動が引きも切らない。また外注先いじめや、中
高年齢層に対する雇用調整のしわ寄せ等も、すべて
経営ないし経営者にとっては、利潤追求の手段ない
し必要悪に過ぎないのである。事実が暴露され、法
的に追求されない限り、大部分の経営者の感覚とし
ては「悪」ではないのかもしれない。企業倫理や経
営哲学を標榜する企業、経営者でも、倫理を守るか、
利潤追求を守るかという二者選択を迫られた場合、
ほぼ 100%の確率で、倫理より利潤を選択するに相
違ないと私は考えている。
爛熟した制度は必ず腐敗するという原則のとうり、
株式会社制度、さらには資本主義制度そのものの限
界が明らかになってきたのが、21世紀末の状況であ
ろう。それでは、資本主義、自由経済をやめて、統
制経済や、国家・官僚支配経済、社会主義経済にす
るのかといえば、勿論まっ平ご免というのがわれわ
れの本音だろう。かといって現状の推移では資本主
義は限界点に突き当たってしまう可能性が高い。21
世紀には、株式会社の行動を含めて、資源、エネル
ギー、食料の獲得、配分をめぐって、資本主義の限
界、矛盾が顕在化し、弱肉強食という資本主義の本
質的なキバがむき出しにされるかもしれない。もし
そうなれば、21世紀には資源、エネルギー戦争や、
世界的餓死者の増加といった惨状も予測せざるを得
まい。
資本主義の限界をどう突破するか、または、資本
主義を止揚した「より高度なシステム」を人類の英
知が生み出すことができるか。21世紀の人類はどう
対応するのだろうか。
(「海洋」2001.1.1 No820号より転載・つづく)