日本経済の長期低迷:バブル崩壊後約10年、日本
は景気低迷に悩み、古典的ケインズ経済学により財
政出動を継続してきたが、景気は一向に改善されず、
株価は低迷し、国際競争力は低下し、大幅な財政赤
字を累積し、遂に改革を旗印とする小泉内閣が出現
したが、依然として的確な現状認識と明快な将来ヴ
ィジョンを示すに至っていない。
冷戦終結と国際システムの変化:我々はバブルの
崩壊という国内経済現象に幻惑されてきたが、実は
1989年のベルリンの壁の崩壊に伴う国際システムの
画期的変化に対してやや鈍感であった。現在の日本
の経済的不振の根本原因は、新しい国際システムへ
の不適合にあると考えられ、その反省をもとに、適
合させるために何をすべきか考えてみたい。
第2次グローバル化時代:現在の国際システムは
グローバル化である。その内容は追って説明するが
、実は19世紀中盤から1920年代まで、輸送コストの
低下を原動力としてグローバル化時代があり、交戦
時を除き旅券も必要なかった。第一次世界大戦、ロ
シア革命、世界大恐慌、でグローバル金融・資本主
義は粉砕され、第2次世界大戦後も冷戦の間凍結さ
れ、75年ぶりに通信コストの低下を原動力にグロー
バル化時代が復活した。
世界の動きを見る大局的思考:冷戦時代までは政
治・経済と文化と国家安全保障を観ていればよかっ
た。しかし今日では、金融市場、技術、環境問題の
面からも総合的に考えていかなければならない。ジ
ャーナリスト、学者、官僚など今日名声を得ている
のは、ごく狭い領域を研究した人々であるが、大局
的に全体を俯瞰する専門家が少ないことが国際シス
テムとの乖離に気がつくのが遅れた理由ではなかろ
うか。
グローバル化の正体:ベルリンの壁と同時に全て
の壁を吹き飛ばしたのは三つの根本的変化であった。
通信方法の変化、投資方法の変化、世界の動きを知
る方法の変化である。これらの変化を技術の民主化、
金融の民主化、情報の民主化ととらえると、情報革
命に支えられた三つの民主化により、どの分野のビ
ジネスでも新たに参入する際の障壁がぐんと低くな
り、それにより競争が激化し、革新的製品の陳腐化
するスピードも劇的に速まった。そのため民間では
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殆ど全ての人が、グローバル化へ適応しなければな
らないとの圧力や当惑を感じ、又上手に適応できる
かどうかの機会を実感している。
グローバル化の新勢力:冷戦時代までは国家の力
が強かったが、グローバル化時代になると、国家で
はコントロールできない集団の力( 電脳投資家集団
や環境保護団体など) や、超大市場、SOHOに代表さ
れるように個人の力が新勢力となってきた。冷戦は
敵か味方かで二分される世界であったが、グローバ
ル化の世界では敵も味方もすべて競争相手に変わり、
資本主義がその本質である「創造的破壊」のプロセ
スとして永遠のサイクルとなる。
グローバル化に成功する一般論:経済成長を推進
する第一エンジンに民間セクターを置き、インフレ
率を低く抑え、物価を安定させ、官僚体制の規模を
縮小し、可能な限り健全財政を維持し、輸入関税を
撤廃するか低く下げ、外国からの投資規制を取り除
き、割当制度と国内専売制をやめ、輸出を増やし、
国有産業と公益産業を民営化し、資本市場の規制を
緩和し、通貨を他国と交換可能にし、国内の各産業、
株式市場、債権市場への門戸を開放して外国人によ
る株の所有と投資を奨励し、国内の競争促進のため
経済規制を緩和し、政府への献金やリベートを排除
し、金融機関や遠距離通信システムを民有化して競
争させ、年金オプション、外国資本による年金・投
信という選択肢を国民に与えなければならない。こ
の結果「経済の成長と政治の縮小」が起こる。
日本の克服策:グローバル化に乗り遅れた国や企
業の治療法は、意志決定と情報の流れの民主化と権
力の分散しかない。日本国のよき伝統を守りグロー
バル化と調和させてゆくことは必要であるが、中央
集権制度は最もグローバル化に不向きであり、中央
政府や議会をリストラして規模縮小し、ぶら下がり
体制をきっぱり排除して、道州制など地方主権の連
邦体制を早期に確立することが、政治的には最も必
要な事である。小泉内閣も各政党ともこの点を不明
確にし、構造改革と言いながら、グローバル化とい
う新しい国際システムへの対応を掲げていないのは
怠慢の謗りを免れない。
☆参考文献:「レクサスとオリーブの木」上下巻
トーマス・フリードマン著 草思社刊
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