本誌10月号で日本再生のために「税制改革」の重
要性を指摘したが、更に重要な項目として、「中央
集権体制」の解体と「教育改革」を挙げたい。
この3項目は、明治維新の3大改革「廃藩置県」
「学制改革」「地租改正」に対応するものである。
明治維新は明治元年に成就したのではない。明治元
年は改革がスタートした年に過ぎないのだ。明治4
年の「廃藩置県」、明治5年の「学制改革」、明治
6年の「地租改正」がなければ明治維新は維新とは
ならず中央集権体制の確立もできなかっただろう。
19〜20世紀の国家の時代、戦争の世紀に中央集権
体制の確立は不可欠のものであった。しかし、21世
紀は国家の時代は終焉を迎え、地域の時代となるこ
とは間違いない。地域の時代に中央集権制は不要で
あり、中央集権制の解体こそ構造改革の再重点課題
としなければならないのに、小泉内閣の骨太と称す
る改革には瑣末的な対症療法しか盛られていない。
50兆円の歳入に対して80兆円以上の歳出を必要と
するわが国の末期的財政は対症療法で治療できるも
のではない。手術を断行し、国家の骨組を変える必
要がある。具体的には予算や組織を弄り回すのでは
なく基本法の改正で対処する必要があるのだ。自民
党内の抵抗勢力に遭遇して難航している特殊法人改
革などは「民法」の一部改正(特殊法人、その他の
公益法人は新しく定義する「非営利法人」に統合)
と不合理な「税制」を改革することだけで対応でき
る。そうすれば誰がどう影響を受けるかすぐには判
らないため官僚や自民党内の抵抗勢力に遭遇するこ
とも少ないし、新しい公的非営利セクター・NPO
(Non-Profit Organization) の育成で雇用の拡大な
ど更に大きな成果も期待できる筈だ。特殊法人、天
下りの悪いところは不当な権限行使による資金、税
金の無駄使いの1点に尽きる。規制緩和で公的権限
をなくし資金と税金の無駄使いをしなければ特殊法
人の組織はNPOとして残しても構わないし、天下
りを赦しても何ら差し障りはない。
ボランタリー精神旺盛で無給で働く(これがNP
O法人理事の要件!)有能な官僚の天下りはむしろ
歓迎すべきである。税制改革の必要性は政治家より
大蔵官僚が一番良く知っており、税制の不合理是正
には官僚の抵抗も少ないだろう。
しかし「中央集権体制」の解体はそう簡単に行か
ない。中央集権体制の否定は中央官僚の否定につな
がるからである。難しいからといって先送りしては
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ならない。明治維新に学ぶべきはこの点にあるのだ。
興味深いことは明治の3大改革は明治4〜6年のわ
ずか3年の間に遂行され、大きな抵抗が無かったこ
とである。明治の元勲はまともな教育を受けていな
いのに知恵者が揃っていたようだ。この計画の立役
者木戸孝允は「一の謀略を設け」今日の諸候の領地
は、みな朝敵徳川から授与された姿であり、天皇の
印がないのは名分上おかしいと説いて版籍奉還を実
現したと語っている。「廃藩置県」が予期に反して
抵抗が少なかったもう一つの理由が各藩の財政状態
である。各藩が借金漬けとなり廃藩は不可避であっ
た。「土地と人民を天皇にかえす」という建白をす
るとほとんどすべての藩主が先をあらそうように奉
還を建白したとのことである。大化の改新の「公地
公民」の思想が明治の初期には生きていたのであろ
うか?「地租改正」は「公地公民」を否定するもの
であり、改革の順序が逆であったらどうなっていた
か判らない。改革の順序も非常に重要であることが
判る。大化の改新後「公地公民」の制度が持続でき
なかった理由を解明し、わが国における「公」の意
義を再検討することも重要であろう。
現在国家も地方自治体も借金漬けとなっており、
借金は国民に転嫁する以外に方法はないだろう。借
金返済と徴税権は日本国民が新たに設立する州政府
と地域自治体に託すのだ。地方分権一括法も施行さ
れ現行の行政システムの改革、すなわち中央集権制
を解体するための「廃県置州」の機は熟している。
行政の大幅リストラを断行し、少子高齢化に対応で
きるよう財政と年金制度を破綻の淵から救済する必
要がある。国家の役割は司法、外交と通貨管理、危
機管理など地域だけでは対応できない事項に限定し、
地域自治に係わる立法権と行政権は州政府と地域の
自治体に移すことが望ましい。
最近話題の学級崩壊に対して文部省は「ゆとり教
育」で対応しようとしているが「ゆとり教育」は文
部省の権限を減らすものであり好ましいことである。
但し、「ゆとり教育」だけでは十分ではなく、地域
住民による多様な教育と従来軽視されてきた幼児教
育、起業者教育、生涯教育を担うNPOの重要性が
増すことになるだろう。画一的な学校教育だけが教
育ではないのだ。これからの「教育改革」は国家主
導や政党主導ではなく地域住民の主導で行うことが
望ましい。何故なら教育権は個人の権利であり、国
家や政党のものではないからである。
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