日露戦争の公債は、第一次世界大戦の戦争景気に
より返済することができたが、その後起きた関東大
震災により、大正12年から昭和3年の間の復興事
業に5億円という膨大な借金を背負った。そして輸
出の停滞による国際収支の赤字転落などの要因によ
り、昭和2年4月に金融恐慌が起こっている。
昭和5年の失業者総数は260万人で、各地で労
働争議が激化してゆき、議会も政党同士の泥試合と
なり分裂、解散、連合を重ねる支離滅裂の状態に陥
る。こうした中で陸軍機密費横領事件や各種の贈収
賄事件が頻発し、政党政治は民衆から遊離し、きび
しい批判をうけるようになった。一方民衆の側では、
そうした政党政治に対する疎外感と不信感が深まっ
てゆく。このような不況や政治の腐敗、倫理の退廃
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に伴って、殺人、強盗、自殺の記事が日々報道され
るようになり、そのような混沌とした中から、民衆
は昭和維新を叫び国家再建に乗り出そうという機運
が醸成されてゆき、一部陸海軍青年将校は武力によ
る国家の変革を標榜するようになった。
そうした中で、日本の戦略的防衛という観点と不
況打開を目指すため、満蒙の地に独立州を建設すべ
しと陸軍と共に主張していた、元陸軍大将田中義一
が昭和2年4月20日、山県有朋の強力な後ろ盾に
より総理大臣に就任した、その後日本は止め処なく
中国大陸に侵攻してゆき、太平洋戦争へと繋がって
ゆくが、混沌とした現在の日本がどのような方向に
向かうのか、今我々は重大な岐路に立っているとい
える。賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶである。
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