私が大前研一氏の主宰する平成維新の会に身を投
じ、そこでながつま昭さんに出会ったのは10年程前、
50才を迎えた時だった。それまでの私は自分の人生
を振り返ってみる暇も無く、ただ仕事に追われて走
り続けて来ただけの、見る人から見ると哀れな仕事
人間の一人であったと思う。
単なる偶然に過ぎないかもしれないが、平成維新
の会のメンバーを見廻すと、大前さんを始め外国生
活経験者や外国人を相手に仕事をしてきた人達が多
い。外国に居て日本を眺めると、岡目八目で日本の
「常識」と「非常識」が客観的に見えて来るのだろ
う。私自身も日本は「奇妙だ」、「何かが間違って
いる」とか「狂っている」と感じたことがよくあっ
た。その都度「帰国した際には是非キーパーソンに
会って、改革へのアドバイスを試みよう」と決意は
するのだが、いざ帰国してよく調べてみると、関係
者の間に「しがらみ」があって動きが取れなかった
り、私の話しを聞いてはくれても馬耳東風であった
り、時には門前払いを喰らって改革が簡単ではない
ことを思い知らされるのが常であった。改革の夢を
ギブアップしようとは決して思わないが、問題を打
開出来ないばかりか、新しい問題が次々と発生、ま
るで解ける筈の無い欠陥品のパズルを何とか解こう
といつまでも苦闘しているような無力感におそわれ
る今日この頃である。
10年前、自分としては微力を捧げて「世の中を良
くする」ために立ち上がったつもりでいた。大小の
「改革」の声はそれ以前からあがっていたし、今で
は与野党を問わず国民の大多数が「改革」を叫んで
いると言ってよい。にも拘らず改革が遅々として進
まないのは何故だろう。ストリッパーがおもむろに
手袋から一つずつ脱ぐのを見ている時のようなもど
かしさを感ずる。それどころか、国・地方の借金総
額や不良債権残高に象徴されるように私が市民運動
に参画して以来のこの10年の間に世の中は却って悪
くなっているのではなかろうか。
日本には市民運動をしているグループが我々以外
にも無数にある。どのグループも「良い世の中にす
る」理想の点で一致しているに違いないが、どうや
ら我々の運動はやり方が間違っていたような気がす
る。
これまでの我々の運動は、国会へデモをかけたり、
役所へ建白書を突きつけたり、悪徳業者を訴え出た
り、どちらかと言うと直接的で「革命」めいた行動
が多かったようだ。ドンキホーテが巨大な風車を目
がけて突進するようなもので、部分的に成果をあげ
ても大勢にあまり変革が見られない結果が続いてい
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る。これは政治で言えば万年野党の実情に似て、組
織が大きくなればなるほど意見が分かれてしまい大
きなエネルギーの結集になり得ないせいではあるま
いか。
例えば、教育問題で意見が一致しても国防問題で
は方向がいくつもに分かれ、食糧問題で一致しても
外交方針では一致しない等など、結局与党の思うつ
ぼに陥ってインパクトを分散させられてしまうのだ
ろう。
私は、市民運動のあり方を変える必要があると思
う。我々が大声をあげる先は政、官、業が相手なの
ではなく、我々の周りに居る市民そのもの、つまり
消費者であり、納税者であり、有権者に語りかける
ことだと思う。
消費者に呼びかける内容としては、悪質なメーカ
ーの製品や粗悪な商品に対して、それらの派手なプ
ロパガンダに惑わされることなく「不買運動」をす
すめること。私もメーカーに勤務していた時代があ
るが、苦情を持ち込まれることよりも「不買」ほど
恐ろしいことはない。きっと産業界の浄化に効果を
発揮すると確信する。
納税者に語りかける内容は、「情報公開制度をフ
ルに活用する習慣をつける」ことだろう。役所が市
民から常に見つめられていると知れば、不正やいい
かげんな仕事はしていられまい。
2年前衆議院議員に当選して以来、ながつま昭さ
んの活躍ぶりはすばらしい。水を得た魚のように輝
いて、「世直し」の舞台で演ずる主役がよく似合う。
悪いヤツを葬る役は彼に任せよう。今後の私は気負
った「世直し」等という柄にも無いことは考えず、
身の丈にあったポスター貼りやビラ配りで彼を支え
て行きたい。選挙区の内外を問わず有権者としての
市民には、ながつま昭さんのような地盤・看板・カ
バンを持たない「無印良品」みたいな若者を一人で
も多く議会へ送り込むようにすすめよう。
これら市民に呼びかける行為は、政官業の方々に
自浄作用を要求することではないから、コメントを
もらう必要は無く、彼たちの同意を必要とする訳で
もない。我々が勝手に決めて、いつからでも開始出
来ることだ。市民の意識が変われば、世の中は徐々
にでも変わって来るに違いない。この運動の変化を
「改革」と呼ぶには余りにも地味すぎるから、代わ
りに「市民運動のルネッサンス」と名付けたい。
将来「良い世の中」にならずに、その結果責任を
子や孫達に問われた際、少なくとも「ボヤッとして
いた訳ではない。ベストは尽くしたんだよ。」と言
い返せるようにだけはしておきたい。
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