昭和初期の日本は、列強の仲間入りを果たし、海
軍力に関しては、世界の3大海軍国とまで言われる
ようになった。但し高度な技術力を有する国家には、
不釣合いな貧しい政策決定プロセスから、日本の死
活的国益を守る政策決定からは程遠い状況であり、
全体的合理性を貫くべき政治を行えなかった。その
愚かな決定が自国民と世界にもたらす悲惨が途方も
なく大きかった。
上から下まで政治的な視野に乏しく、国際的な動
向を捉えて日本の進路をまっとうに語れる人が少な
い、島国の内部が集団幻想状態にあるときは(ドイ
ツの勝利に沸いて仏印に進駐)誰も認識の滅亡を食
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い止めることが出来ない。当時アクティブなのは軍
部と官僚で、文武の官僚たちは圧倒的に自分の所属
する組織の必要を自らの政策的立場とし、それに滅
私奉公する、こうして分立的な官僚機構の組織対抗
がほぼ政治そのものであり、それらの上に立って国
益を定義し、全体的な合理性を貫くことのできる政
治家は現れない。
大局観と統合機能を欠いた政治の弱体ゆえに、世
界を敵とする戦争という壮大な決断によろめきなが
ら、さまよいこんだといえる。
基本的な構図は現代の日本も同じではないだろう
か。(五百期頭真著「日本の近代」より)
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