鈴木宗男事件は、時として太平洋戦争当事の陸軍
参謀本部辻政信を思い起こさせる。彼(辻政信)は、
各種の処刑と虐殺事件に関与してきたが、とくに有
名な話としてフィリピン侵攻の際、マニラ市長の処
刑を命じたのは辻であったと言われている、この市
長処刑によりフィリピン人の対日感情が一気に悪く
なった。但し気骨ある現地司令官もいて、参謀本部
の処刑命令に対し、命令書の提示を求めた者もいた
そうだ、しかしそういう勇気ある司令官は後で激戦
地へ左遷されている。
当然不当な処刑及び虐殺はジュネーブ条約違反で、
陸軍大学出身の辻がそんなヘマをする訳はないが、
激戦地への左遷という人事を鞭として、彼は豪腕を
振ってきたわけだ。ここに鈴木宗男との共通点があ
る、つまり彼は、絶えず“証拠があるなら見せて欲
しい”といっているが、彼が証拠など残す訳がなく、
自分の命令を聞かないものは左遷人事を食らわせる
という、恫喝を強制力として使ってきたわけだ。こ
れは何も鈴木宗男にとどまらず、自民党のビジネル
モデルなのだ。
帝国陸軍はそういう人間を出世街道に乗せてきた
わけで、他にもノモンハンを指揮した牟田口、服部、
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対米戦推進派でA級戦犯の岡田など枚挙に暇がない。
真に滅亡に至る人事システムだ。
その辻政信は、終戦後拘束される前にシンガポー
ルから抜け出し、徒歩で中国朝鮮経由でサンフラン
シスコ条約調印後帰国している。恐らく連合軍に拘
束されていれば、間違いなく戦犯となって死刑は免
れなかったであろう。
その後こともあろうに衆議院選挙に当選して、ベ
トナム外遊の際に行方不明となっているのであるが、
これはイギリスの諜報部員に殺害されたとかいろい
ろ噂されているが、ベトナムは日本軍がシンガポー
ル侵攻の際に、米の大量徴発を行ったところで、ベ
トナム人餓死者が100万人(恐らく実態は1万人
程度と推測されるが)という土地柄を辻が知ってい
たのかどうか分からないが、そこでかれは行方不明
になっている。これを「真に因果応報だ」と辻政信
一人を攻める事はたやすいが、彼のメンタリティー
は多くの日本人に受け継がれてもいる。特に権力を
持った人間達だ。
日本の再生は、志の高い、教養と常識のあるリー
ダーを必要としている。その様なリーダーを選ぶ我
々の見識が今、真に問われている。
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