戦後60年日本人は、軍事と政治から距離をおいて、
経済の拡大のみを指向してきた。その結果、自衛隊
の装備面では世界第2 位であっても、自衛もおぼつ
かない軍隊と、理念なき政治家ばかりが誕生し、数
字上の規模があっても(日本のGDPはドイツ、フ
ランス、イタリアの合計とほぼ同じ)経済成長の果
実を得ることができていない、それが日本人の幸福
感調査に如実に表れている、つまりあまり幸福とは
感じていないのである。
恐らく平均住居面積などはシンガポールの方が数
段上であろうし、米国と比較しても雲泥の差がある。
居住環境も加えるとさらに遠ざかってしまう。原因
としていえることは、日本が長らく生産者中心の社
会であった為だ。
その結果として非常に強力な産業国家を建設する
ことには、成功したが、生活の質という面(例えば
ウサギ小屋と呼ばれた住居)を犠牲にしてきたわけ
だ。この暮らしにくさが出生率低下という結果にも
なっていると思う。
人々はもはや画一的な物質の充足ではなく、多様
で高質な生活を希求しており、こうした変化に対し
て日本の政治官僚システムは、従来の組織、思考、
行動を変えることなく対応してきたのではないか?
共産国が画一的な物質の供給システムで行き詰まっ
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たように、日本も従来型の政治官僚システムが生み
出す画一的な行政が限界点に達していることは明白
である。
経済運営の視点を銀行やゼネコンの救済という生
産者の視点ではなく、生活者の視点に置き換えれば
景気は自ずから回復すると思う。
最近の道路公団改革の議論を聞いていると、民営
化委員会にしても、自動車ユーザーつまり生活者の
視点に立った議論がなされていないように思う。ま
してや自民党の議論などは、建設業界の代弁者であ
って、国民=生活者の視点など微塵もない。
アクアラインや本州四国連絡橋のような経済原理
を超えた、生活者である自動車ユーザー無視の価格
設定をしてみても車が走らなくなるだけという喜劇
を演じてしまうことになる。今こそ日本は生活先進
国を目指すべきではないか?自由競争を官民の世界
に公平に取り入れると同時に、国民が豊かさ・幸せ
・安心を実感できる社会を目指すべきだ。
国家間、企業間のグローバル競争が熾烈さを極め
てゆく中で、国家のダイナミズムと国民の幸せを両
立させることは、戦後の廃墟からこれまでの経済大
国を築き上げた我々の次なる目標とは言えないだろ
うか?日本が世界に先駆けて生活先進国のモデル国
家となる、そんな夢を実現したい。
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