生活者主権の会生活者通信2003年10月号/06頁..........作成:2003年09月24日/杉原健児

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今教育に必要なことは

千葉県柏市 峯木 貴 (mineki@taurus.bekkoame.ne.jp)

 後15年も勉強して初めて一人前になれる。   
 実は私の次男( 小学6 年生) のことだが、一般的
にも当てはまり重大な問題をはらんでいるのでここ
で言及する。                 
 正確に言うと残りの勉強期間とは中学3 年間、高
校3 年間、大学4 年間の10年間である。15年といっ
たのは、大学卒業後の5 年間は企業に勤めてからも
勉強が必要であるからだ。 しかし、大学を22歳で
卒業し27歳ぐらいで社会人として一人前に勤まる人
はそれほど多くない、というのが実感である。まだ
まだ勉強不足である。             
 この15年間は毎日8 時間ぐらい勉強することにな
るが、こんな長時間いったい何を勉強するのであろ
うか。これだけ勉強すれば司法試験にだって合格で
きるし、医師の免許だって取れるだろう。ましてや
12歳の柔らかい時期からのスタートである。どんど
ん吸収して覚えが早いはずだ。それなのに中学生か
らの15年間を終えて27歳になった人間のほとんどが
使い物にならない。              
 これを教育の失敗といわないで何というのだろう
か。統計的に何%の人間が使い物にならないかは把
握のしようがないが、実感的に現在の教育制度の基
で立派な社会人を生み出すとは考えられない。これ
は個人の努力が足りないという前の大問題である。
教える側の問題といえる。           
 現在の教育制度は官僚を作り、その体制を維持し
ていくためには非常に優れたシステムになっている。
従順で飲み込みの早い人間がエリートとして出世し
ていく。しかし大多数の人間には必要のない能力で
ある。大多数の人間は社会の波に洗われて生きてい
かなければならない。最低限の金銭感覚を身に付け
なければならないし、新聞を読めるような読解力を
身に付けなければならない。また、自分の気持ちを
正確に伝える言語能力も必要である。しかし、現在
の制度ではこれらの能力開発はおざなりになってい
る。逆にしゃべれなくとも良い英語、商業・工業な
どの実践に役立たない数学、近代史を無視した歴史、
旅行先で恥をかく地理、身近な自然現象を取り扱わ
ない理科などに力を入れている。なぜこんな意味の
ないことを子供たちが勉強しなくてはならないのか。
それは先に書いた「従順で飲み込みの早い」人間を
選別しやすくするためである。         
 最低限生きるに必要な能力は、たとえ小学生で挫
折した人間であっても再教育できるはずである。15
年間も歳月をかけたら、どんな人間でも十分にとり
返しがつく。                 
 しかし、現在ののっぺりとした画一的な教育制度
の基では望むこともできないのか。       

高尾山と私

調布市 杉原健児

 高尾山登りは、20年程前家族で初めて登った時足
が痛くなり、老化の始まりかと思ったのがきっかけ
だった。高尾山は私の乗降駅である京王線つつじケ
丘駅から電車で約40分の高尾山口駅を下車すれば、
もうそこが登山口である。春夏秋冬緑は爽やかだし、
小鳥の声で心がなごむ。夏は蝉の鳴き声を聞き、汗
びっしょりの健康的快感に浸りながら、冬は雪景色
を愛でながら彷徨い歩く。毎土日雨さえ降らなけれ
ばの日課となった。              
 リュックを背負って登り始めると、まず雑念が湧
く。一週間の間に起こった不快なこと、後悔するこ
となど嫌な思いが、頭の中を渦巻き心を痛める。暫
く自然にまかせて置くと、次第に心が穏やかになる。
そこで高尾の天狗と禅問答を始める。すると時折、
忽然と素晴らしいアイディアが閃く。      
 鞄建ハウジングシステム創立出向の頃、自動製
図システム開発の頃、環境アセスメントの頃、計画
事務所の頃の挑戦的プロジェクトの中で、この忽然
と涌くアイディアが、何度厚い壁を打ち破ってくれ
たことだろう。人間は古巣の自然に帰った時、自ら
の内に秘められた智慧や力が涌いてくるように思う。
 以上は10年程前、会社の社内報に掲載した書き出
しの部分である。サンデー毎日になった今は土日以
外も含め高尾山に登り続けている。もう30年続けて
いることになる。長雨や多忙で高尾山へ登れない日
が続くと、心身とも不調になる。今や、高尾山は私
の心身と同体となっている。          
 現在は、かんもん北九州ファンクラブ・福岡県人
会・全国ふるさと大使連絡会議と、ふるさとをキー
ワードに、地域活性化に関するプロジェクトに取り
組んでいる。また地域主権・生活者主権を旗印に、
国政レベルから変えて行こうとする、生活者主権の
会・菅直人を総理にする会などの運動にも参画し活
動している。                 
 これらのプロジェクトには、一言居士も多く行動
力もあるが、一つの方向にまとめるのは中々難しく、
一筋縄では行かない。構成員の方法論は微妙に異な
り、優先順位をめぐって激論が続く。情熱と熱意が
まともにぶっつかり合う。火花も散る。罵り合いま
で始まる。小異を捨てて大道にと静めようとしても
中々治まらない。何度も厚い壁に突き当たる。  
 それらを解決してくれるのが高尾の天狗である。
これからも「高尾山と私」は切っても切れない仲で
あり続けるであろう。             

生活者主権の会生活者通信2003年10月号/06頁