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私の薦めるこの1冊「大江戸リサイクル事情」
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著者は武蔵野美術大の講師。江戸時代の庶民の生 活に滅法詳しい。姉妹作の「大江戸エネルギー事情」 「大江戸テクノロジー事情」と合わせて3部作だが、 内容的には共通したテーマである。 ・江戸時代 300年弱を通じて、人口は30百万人弱 でほぼ一定。資源としては鎖国だったこともあり、 「衣・食・住」いずれも日本国内で取れる植物を 中心に、森と川と海の恵みに限られていた。それ らはいずれも今年か数年前の太陽の恵みである。 ・従って徹底的なリサイクルが国民生活の隅々にま で完全に浸透していたことを豊富な実例で分り易 く説明している。現在の日本が世界中から毎年5 億トンもの食糧や鉱・工業原料を輸入して国中を 廃棄物の捨て場にしている現状とはまさに両極端 である。 ・例を挙げればきりがないので、1 例だけ引用する と、イネ。その実(コメ)が主食と酒、は云うま | でもないが、藁は蓑・笠・わらじ・縄・畳・ござ ・俵・壁土の芯と生活のあらゆる面で利用され、 更に牛馬の飼料・最後は肥料・燃しては灰(これ はまた肥料や上薬の原料など)と徹底的に利用さ れた。コメや藁を食べた人間や動物の糞尿も肥料 として再び野菜に姿を変えた。ほぼ完全な再利用。 無駄は全くなし。 ・重要な事は、これらの利用はいずれも太陽の恵み により成長し・増加した範囲で動植物の一部を利 用したに過ぎないから自然の恵みの中で永遠に持 続可能な・しかも高度の文明を伴った社会が 300 年にわたって続いた恐らく世界でもまれな例であ る。 ・現代の我々がそのまま実行する事は困難だが今後 の地球人類の生きざまにとって大きな示唆を与え る、世界に誇るべき日本の遺産である。日本発の 環境文明として世界に発信したい。 |
あなたの近所の方でも、家族でも、親戚でもペッ トを非常に愛している方はいるはずである。また、 非常に愛するあまり家族の食事は忘れてもペットの エサは忘れないという人もいるだろうし、他人の子 供が川でおぼれても助けないが、自分のペットは助 けるという人もいるだろう。もっと極端に、身内が 亡くなっても悲しまないが、隣の犬が死んだら悲し むという人も少なからずいるに違いない.... かつて、人間のこのような偏った慈愛を逆手にと って悪事を働いた集団があった。それはドイツのナ チスである。あまり知られていないようだが、ナチ スの教えのひとつに人間と動物の扱いの異常さがあ る。それは、人間と動物を分け隔てなく扱い、ただ 能力や有用さといった極限られた面で階級立てると いうことである。つまり有能な犬は精神異常者やユ ダヤ人より格が上であると。 このようなナチスの考え方は幹部に多くいて、例 えばヒトラーは「私は人が死んでも悲しまないが、 動物が死んだら悲しむ。」 と常々いっており、ヒ ムラーは「私は人間を愛している。動物を愛するよ うに。」と発言している。 そして、このナチスの政策は「動物保護法」に集 約された。 この法律は、動物保護に関して凄まじいほどの内 容が規定されている。つまり、動物に苦痛を与えて | はいけないということに換言できるのだが、かなり 曲解され自分のペットをしつけようとして痛みを与 えても逮捕されるし、ミミズを解剖しようとしても 内部告発されるといったものであった。 一方、動物保護法には人間に関する条項もあり、 動物とほぼ同様の扱いとなっている。 ミミズを殺すと罪になるが、ユダヤ人を殺しても 罪にならなかったのである。 このような政策はなにもナチスの幹部だけの教条 であるわけではない。当時のドイツ国民は熱狂的に 支持したのである。インフレや失業で国民の不満の 捌け口がそのような動物保護といったことに昇華し たのであろう。それをナチスは悪用したわけである。 今の日本でこのようなことは起こり得ないと言え るだろうか。昨今のニュース記事を見ると、人間と 猫を分け隔てなくビルから落として殺すというよう な、人を人と思わないような事件が起きている。逆 に動物の保護に関しては異常と思えるほどの盛り上 がりぶりである。日本もかつてのドイツと同じよう に、国民の社会や経済への不満が高まっている。ド イツと違うのは単にインフレとデフレの違いと言え るのだろうか。 あなたの周りをもう一度見てもらいたい。人間よ りも動物の方が大事だと思っている人がいないかど うかを。 |