大山鳴動して鼠一匹も出ない。そんな結末であっ
た。
ダイオキシン特措法の顛末である。( ダイオキシ
ンとは説明するまでもなく、焼却施設等から発生す
る至上最悪の化学物質と呼ばれているものである) 。
セベソ事故から端を発したダイオキシン問題は、
その後感情論に発展し、特措法の設置にまで至った。
これはダイオキシン類を取り締まる法律であるが、
私はそれが上程されたときは目を疑った。ほんの一
部の物質を扱うような微視的な法律を作っていいも
のか、と。しかし当時は少なくとも「微視的」では
なく、マスコミから政治家から市民まで上を下への
大騒ぎであったのだが。
現実的な対応としては、国庫補助をばら撒き、焼
却施設のダイオキシン対策 (排ガス設備の高度化)
を進めたわけである。既存の施設だけではなく、今
後の新設炉は多額なお金を投入しダイオキシン対策
をしなければならない。また、それを設置した場合、
所定の能力を維持するためにまた莫大な維持管理費
を投入することになる。特に一般廃棄物の焼却炉が
対象であるため、そのお金はすべて税金で賄われる
ことになる。ちなみに平成12年度には既存施設のダ
イオキシン類対策のため2500億円が投入されている。
ダイオキシンに反対の人は満足したであろう。ま
た、それを推進した政治家、官僚は大満足である。
しかし、一番恩恵を受けたのは機器メーカーである。
ダイオキシン特需とも呼ばれている。これら多くの
人々が恩恵を受けたのであるから、万々歳である…
といえるのだろうか。
これらのお金はすべて税金で賄われている。そし
て、ダイオキシン対策で何一つ経済的に生まれるも
のはないのである。それでも健康というお金に変え
られないものを手に入れることができた、という人
もいるだろう。しかしこのダイオキシン対策で何人
の命を救うことができたのか。
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残念ながら0人である。
私の知る限りではダイオキシン類で死んだ人はこ
の世界にいない。しかし、機器メーカーの従業員や
家族の命は救われたという笑い話はある。
つまり、一人の命を救う単価は無限大になってし
まったのである。
こんな政策はありえない。人の命を救うのにも貴
重な税金をいくら投入すれば何人助かるかを計算す
るはずである。
ダイオキシン類が安全だといっているわけではな
い。ただ、これ以上に危険な物質はまだまだほかに
あり、その削減策はダイオキシン類の削減策よりは
るかに安上がりで、効果的なのである。
産業技術総合研究所の蒲生氏のデータでは、ダイ
オキシン類のリスクを 1.3とすると、ホルムアルデ
ヒドは 4.1、ディーゼル粉塵は14、受動喫煙は 120、
喫煙は 370としている。リスクとは危険度であり、
危険÷起こりうる確率で表される数値で、いくらそ
のものが危険な物質でも濃度が低い場合、 リスク
(危険度) は低くなる。
このように、ディーゼル粉塵対策や受動喫煙対策
は喫緊な問題であることが分かる。これらの暴露が
いつでもだれでもどこでも起こるからである。
(ダイオキシン類は食物摂取からが多いため、気を
つけることができる。私の以前の記事「ダイオキシ
ンの危険性神話http://www.bekkoame.ne.jp/〜 mine
ki/dxn2.html」参照)
また、ダイオキシン類対策よりもはるかに安上が
りで、即効性である。ディーゼル粉塵対策は一台当
たりほんの数十万円だが、ダイオキシン類対策は数
億円かかってしまう。
いままで散々騒いだ人は、一通り経過を見直すと
良いだろう。騒ぎに火をつけた張本人は誰なのか。
科学的に根拠があったのか。費用便益はどうだった
のか。また、政治責任は...
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