フランスは我が国と同じ中央集権国家から、苦労
しながらも見事に分権国家に向けて大きく舵を切っ
た。我が国の参考にもなるということで、日仏共同
の勉強会も開かれている。そこで、大まかにフラン
スの地方分権改革の流れを以下に整理してみた。
かつてフランスは、我が国と並んで世界最強の中
央集権国家として知られていた。しかし集権に向か
う流れは、1960年代後半には淀みはじめ、70
年代には分権に向かって逆流をはじめた。
戦後復興・国土開発が一段落し、経済発展とそれ
に伴う国民所得や行政水準の向上も確保できたため
に、集権であることの必然性が薄らいでしまった。
むしろ集権は、各地のニーズや時代の変化に適合し
ないという弊害を行財政にもたらす元凶として指摘
されるまでになった。
また、流れが反転した、もう一つの重大な要因と
して、「ヨーロッパの統合」に向け地方の自治能力
と権限を強める必要に迫られたことがある。EUで
「国境」が消滅し、地方自治体間の競争や協力は、
国内にとどまらずEU全域へと拡大している。企業
誘致やEU補助金獲得などのために、EUの全自治
体が競い合ったり結託したりしている。そこで自治
体の優勝劣敗は、地方が自主的に政策を立案し、実
行できる能力と権限を持っているかどうかで決まり
つつある。
このEU統合という要因は、近年ますます強まり
続けているが、フランスでは、他の国よりはるかに
切実であった。フランスが集権国家であったのに対
して、周辺諸国は「強い地方」を備える連邦国家や、
連邦化に向けて進んでいる国々だったからである。
フランスにはもはや選択肢はなくなった。EUに
属する限り、そして国としての「競争力」や「魅力」
を保持しようとする限り、分権改革によって地方の
自主性を高める以外に、進むべき道がなくなったの
である。
かくして、行財政のあらゆる面で、地方の自主性
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を強化する措置が講じられてきた。1980年代ま
でに実現された分権改革は、地方税、補助金、地方
債、事務権限委譲、税財源移譲、地方制度であり、
フランスの行財政・政府システムが大きく分権へと
転換した。
これらの改革の多くは、左派政権による画期的な
「1982年の地方分権改革」によって実現され、
それ以降の20年間で国民各層にも分権意識が定着
してきた。それにもかかわらず、2002年春、さ
らなる改革が打ち出された。右派・中道勢力が憲法
改正を含む大胆な分権改革を選挙戦で公約し、政権
を獲得したのである。
現在進行中の分権改革は、憲法改正と4本の分権
改革法に基づいて行われている。改革の原則を憲法
に明記した上で、それを具現化する法律によって改
革を進めようとしている。現段階は、2003年3
月に憲法が改正されたのを受けて3本の改革法が成
立し、最後の1本が国会審議中となっている。
レジオン(州)は1972年に「行政区画」とし
て誕生し、「1982年改革」によって地方自治体
に昇格したものであるが、レジオンがEU内の自治
体間競争において「戦略的に重要な自治体」として、
今回憲法で「認知」された。
今後、この最も広域な自治体であるレジオンに期
待される役割は、国土開発や地域経済振興の計画を
主導することである。その役割は、フランスの「競
争力や魅力の維持・向上」を図る上で死活的に重要
なものになってきている。
<参考> フランスの自治体数
レジオン(州) : 26
(内本国22)
デパルトマン(県) : 100
広域行政組織
コミューン事務組合 : 18,504
コミューン共同体 : 2,455
コミューン(市町村) : 36,778
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