「我々の信頼を裏切るようなことがあれば、『地方
一揆』の実行を宣言する」
昨年11月17日の「地方分権推進総決起大会」で、
梶原岐阜県知事(全国知事会会長)がそのように挨
拶されたという報道がありました。また「全国知事
会などで甲論乙駁、ともあれ案をつくった。・・・
慌てたのは各省庁・・・」といった記事もありまし
た。三位一体改革に対する地方の一連の動きには、
地方分権への大きなうねりを感じます。
思えば10年前、当会の前身の『平成維新の会』
の大前研一代表は、都知事選出馬にあたり、『新・
薩長連合(知事連盟)』の結成を呼びかけ、首長が
団結して日本を改革していくことを旗印に掲げまし
た。その時はまだ時代がそれを要求せず、我々の懸
命な応援も及ばず、大前さんは大敗してしまいまし
たが、あれから10年、世の中の風が大きく変わっ
てきました。
私は、9月8日の「第1回ローカルマニフェスト
検証大会」、11月27日の「ローカルマニフェスト推
進大会」に参加しましたが、両日とも大変な熱気で、
特に11月27日は、前日に出された三位一体改革に対
する政府・与党合意が地方6団体の要求よりかなり
後退していたこともあり、参加された首長の方々の
それに対する評価は一様に辛口で、「政府のあり方
を変えなければいけない」といった発言も飛び出し、
過激とも言える内容でした。
大会を聞いていて、これからは「マニフェスト」
を提示する能力がなければ首長選挙には出馬できな
くなるのではないか、といった感覚さえ持ちました
が、この「マニフェスト」、大前さんが都知事選の
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際に発表した『新東京ビジョン・4年間で34の実行
プラン』は、まさに、その先駆けであったかと思い
ます。残念ながら、具体的な政策を打ち出したにも
拘らず、大前さんはムード先行の青島さんに敗れて
しまいました。が、丸腰で都庁に乗り込んだ青島さ
んは、都市博を中止しただけで、これといったこと
は行えませんでした。もし青島さんが、曲がりなり
にもマニフェスト的なものを持って都政に臨んでい
たら、その後の展開はかなり違ったものになってい
たのではないかと思います。
☆ ☆ ☆
今年2005年は「平成維新実現の年」として掲げら
れた年です。そして『平成維新の会』が1995年6月
に解散し、その翌月に当会が設立されてから10年
になるわけです。まさしく、当会にとって今年は大
きな区切りの年になります。
奇しくも、今年は戦後60年、「還暦」でもあり
ます。これまでの中央集権型システムは、発展途上
段階の日本には確かに有効なシステムでした。しか
し、発展途上国でなくなった今の日本には相応しく
ありません。日本が真に生まれ変わるためには、日
本のシステムをそれぞれの地域が経済的にも自立で
きる権限を持った『道州制』のようなシステムに、
ダイナミックに変えて行く必要があると思います。
『地域主権』こそ新生日本に相応しいのではないで
しょうか。
10年経って、やっと世の中が我々の運動に追い
ついてきました。これからが本当の意味での我々の
出番だと思います。力を合わせて、この2005年
を当会の飛躍の年にしようではありませんか。
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