日本には愛国心の欠如、歴史の不在、危機の隠蔽
という国家として基本的な問題がある、とカレル・
ヴアン・ウォルフレンは指摘する。末尾の参考文献
を読んで、成る程と賛成する面と、少し解釈がおか
しいのではないかと思う点があった。
彼はオランダ人であるが、日本について情熱的な
関心をもち、日本を観察すると、日本を愛している
日本人が十分な数だけいないと判断している。つま
り政治的麻痺状況を克服する為の強力な運動が日本
には欠けており、国の舵取りを安全かつ民主的に行
う統治機関が日本にはない、と見ている。もっと端
的に言えば、戦時中は軍官僚、現在も財務省を中心
とする官僚集団が実権を握っており、政治家が統治
できず、国民も問題の本質を見て立ち上がっていな
いのは、国家の体裁をなしていないと極論している。
又「左翼」と「右翼」が事ごとに対立し、例えば
教育問題など、全ての国民の将来に決定的重要性を
もつ問題に関連した、多くの真面目な議論の邪魔だ
てをし続けている。極端に言えば知的麻痺状態にあ
る。又文化は変えてはならないという思想も馬鹿げ
ている。もしそうであればその社会は動脈硬化に見
舞われる寸前にある、とも言える。
民主主義下の国家の運営は、市民から成り、市民
にコントロールされ、市民によって絶えず監視され
る。しかし日本の市民には、政治家教育という、と
りわけ大変な仕事がある。民主国家はよき政治家な
しには成り立たない。政治家だけが我々の代表者だ
からである。所で日本の知識人と新聞編集者は、全
体としてあまりに怠惰で、象徴的には現状を批判し
ているとしても、実際には現体制を守る手助けをし
ている。
日本の官僚組織と日本国民全体の自己認識は、一
般的にかなり貧しいものであるとウォルフレン氏は
見ている。問題は我々が現に生きている状況のリア
リティに繋がっていない。従って日本の実際の状況
とは無縁で、政策を再構築する知的基盤として使え
る代物ではない、と批判している。極端に言えば日
本には政府が存在していないことになる。何となれ
ば、国家として適切な対応を果たしておらず、機能
不全に陥っているからである。
戦時中の歴史について、ウォルフレン氏は日本の
左翼と右翼(自由主義史観)を両方とも攻撃している
が、私からみると、彼は連合国の立場で見ており、
大東亜共栄圏といった考え方は全く理解していない
ようである。従って事実に基づかずに一部の不祥事
を過大にとりあげ、もっと根底にある白人のアジア
植民地搾取に全く触れていないのは片手落ちである
と思う。もっとも日本人でも大江健三郎のような恥
知らずの自虐的人間が未だに存在していることは情
けない。又天皇の戦争責任を間接的に論じているの
も頂けない。
又周辺諸国の理解といっても、西欧のような同一
文化圏と東亜のような異文化圏と同一に論ずること
はできない。特に中韓両国の場合は同氏も認めるよ
うに特殊であり、むしろ問題は日本国内の分裂にあ
ると思われる。南京大虐殺、従軍慰安婦、靖国参拝
問題など、未だに日本国内で分裂している所にむし
ろ問題の根源があろう。
国を官僚組織だけで運営していく手法は、きちん
とした歴史の否定につながり、結果的には、日本人
に仇をなす。アジアや欧米の人々は、今世紀の前半
に対する日本の姿勢には、何か基本的なものが欠け
ているという感覚を、一般に抱いている。何百万人
もの人を死に至らしめ、アジアの姿を変え、中国に
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おける共産主義政権の誕生を助けた行為の罪深さを、
十分理解していないようにみえる、と彼は主張して
いる。日本人が戦争の最大の犠牲者だと考えており、
広島への原爆投下があの時代の最大の悪だったと考
えていることを知ると、欧米人は憤激するといって
いるが、これらはあきらかに連合国の考え方であり、
植民地帝国主義者の考え方であり、欧米人一般の考
え方として注意を要する。
しかし、問題の本質は、日本には国家を歴史の全
体像のなかに位置づけることのできる政治的存在が
ない、という指摘は当たっている。ただ日本が戦争
をどうとらえているかについて、最も明快な見解を
打ち出したのは細川政権である、というのもとんで
もない誤解である。ただし歴代内閣の相次ぐ小出し
の謝罪はあきれるばかりである。
広く認められた歴史は、市民に、自らが国家に繋
がっていることを確認する手段を提供する。所が現
在、日本の人々にはその手段がない。その意味で日
本人は歴史をもたない国を構成している。つまり日
本の国は国家としては未完成である。
日本には政治的アカウンタビリティーの中枢がな
い。日本の社会、経済、政治構造の最大の病弊は、
権力をもつ官僚に対して、政治による有効な支配が
存在していない、という事実である。
湾岸戦争を初めとして、日本が外交政策の危機に
無知なのは、殆ど外交政策を持っていないためだと
言える。これはアメリカとの極めて特別な関係とい
う文脈の中でしか理解できないことである。
日本の政治史は、支配権に関する虚構に満ちてい
ることで有名である。実際の権力の所在を曖昧にす
る伝統がこれほど豊かな国は、おそらくほかには無
いであろう。日本の天皇にまつわる話は、ほぼすべ
て、公式の権力と実際の権力との分離の話である。
「日本というシステム」の最も重要な特徴は、そ
れが「法の枠外」にあることだ。それを「システム」
として機能させているのは、官僚たちによる権力の
恣意的な行使である。この権力は法律に基づいてい
ないので、これを司法手続きによってコントロール
することは不可能である。
多分、日本の民主主義は、昏睡状態にある患者と
とらえるべきではなかろうか。昏睡状態にあっても、
呼吸、心拍、血液循環など、通常の機能は働き続け
ている。つまり「昏睡状政治システム」である。民
主国家は、民衆の代表である政治家によって支えら
れる。従って政治的昏睡状態から抜け出す為には、
日本の市民は、日本の政治家と新しい関係を築いて
行くしか道はない。すなわち、政治家は何を為すべ
きか、市民の側から明確かつ詳細な指示を与えてい
くような関係であるという指摘は参考となる。
日本人が国際社会で得ている不当な評判は、世界
に向けて信頼できる「顔」を提示できる国家の中枢
がないことからくるもので、国際社会における残念
な印象は、今後も広がって行くことになる。又外か
らの大きな保護がなくても独立国家として十分やっ
ていけることを、今世紀の日本はまだ証明していな
い。同時にアメリカの保護のもとに、日本が政治的
アカウンタビリティーの中枢をもたないまま国際社
会に存在し続けることも許してきた、という事実も
忘れてはならない。とにかくまともな独立国家をつ
くる必要がある。
●参考文献:「なぜ日本人は日本を愛せないのか…
この不幸な国の行方」カレル・ヴァン・ウォル
フレン著/大原進訳 毎日新聞社 1998-03-25
●掲載HP<http://www.hpmix.com/home/bokujin/>
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