生活者主権の会生活者通信2005年04月号/06頁..........作成:2005年04月11日/杉原健児

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<中国の現実B>
中国の知的財産所有権と司法分権

東京都練馬区 板橋光紀

 日本の貿易が再開されたのは1948年、終戦か
ら3年後のことである。地理的に外国事情から隔絶
された島国育ちの各種企業が急速に発展して高度成
長、僅か16年後の1964年には安定成長期に入
り、その時代の象徴的な出来事として「東京オリン
ピック」を迎える。朝鮮戦争を終えて疲弊のどん底
から立ちあがり、「漢江の奇跡」とまで称賛され先
進国の仲間入り、そして1988年に「ソウルオリ
ンピック」が開催された韓国も同様。近年「世界の
工場」とまで揶揄される程「一人勝ち」の感すらあ
る中国でも三年後の2008年に「北京オリンピッ
ク」が開催されることとなり、今や「オリンピック」
が開催国の「経済発展達成証明書」と言っても過言
ではない。                  
 国際的な市場では「無垢の新顔」でしかなかった
これらの三カ国が、「臥新嘗胆」から「オリンピッ
ク開催」に到るまでの「出世物語」には多くの共通
点が散見出来る。中でも二つの点を強調したい。 
 その第一は欧米のビジネスマンが仕事を持って大
挙して来てくれたことである。彼等が国際市場で通
用する輸出商品のアイデアを、商品本体のみならず、
プレゼンテーションからパッケージング、外装梱包方
法に到るまで細々と教えてくれた。我々はそれらを
素直に受入れ、勤勉に立ち働くことによって商売に
なったのである。いくつかの例外もあるが、暗中模
索と試行錯誤の末に独創的な発想で大輪の花を咲か
せた国際的なヒット商品は三カ国のいずれにも無い。
 第二点は、後進の国々がある程度発展し、生産ラ
インを拡大、見よう見真似であっても企業が一人歩
きをし始める頃には多くの起業家が同類の工場を立
ち上げて過当競争が始まる。すると欧米のビジネス
マン達は他の途上国へ行くようになり、自国へは来
なくなってしまう。必然的にフレッシュなアイデア
も入ってこなくなり、二階へ上がった途端にハシゴ
を外された形になる。企業を維持する為に、自力で
「独創的な商品」や「工夫によって優れた改良品」
又は「より安価な商品」の開発を競う、良い意味で
の開放的な競争社会にはなる。しかし元々創造する
意欲に欠け、競争について行けない落ちこぼれ組は
他社の売れ筋商品の「物まね」に走り勝ちだ。  
 1960〜1980年代の日本企業による「コピ
ー合戦」もひどかった。私自身もその渦中に居た一
人だから、他国の「海賊版問題」について偉そうな
口をたたける立場にはないが、以下は自戒を込めて
筆を進めるつもりである。           
 日本には「特許」と名の付くものに「発明」と、
少し発明性の低い「実用新案」、それにデザインを
独占する「意匠登録」と、商品の差別化を文字で主
張する「商標登録」の四種類がある。アメリカには
「実用新案」と言うカテゴリーは無い。日本の特許
権者が自社商品の「独占的製造販売」と自社商権の
「防衛」に固執する消極的な傾向があるのに対して、
同じ「金儲け」には違いないが、概してアメリカ人
は発明品を広く公表し、新しい考案の活用を呼びか
ける積極性の点で、日米には特許の概念に若干の違
いがある。                  
 日本や韓国を含めて、輸出産業で成り立っている
国々は各々が何千年の歴史や長い年月をかけて培わ
れた文化を誇っていても、建国してたかだか200
年しか経ってないアメリカを最大のマーケットとし
ている関係で、特許制度のみならず、会計方式から
品質基準に安全基準、経営学に到るまで、経済活動
に関するシステムやルールを「アメリカ式」に改訂
していく傾向にある。など           
 施行されてから日は浅いが、中国の特許制度も概
ねアメリカのシステムに近い。しかし「海賊版問題」
は年を追うごとに増え続け、円満に解決に到った話
を聞いたためしはない。多分特許に関する社会通念
が伴わないのに、法的な中身だけ欧米のシステムを
「コピーした」為に制度が満足に機能していないの
であろう。他人のアイデアに平然と「タダ乗り」す
る中国企業を擁護するつもりはないが、強いてその
ルーツを辿ると三つの要素に思い当る。     
 先ず歴史的な背景がある。2000年以上の昔か
ら、中国歴代の皇帝は「優れた考案の発明者」に対
し、その功績を称えて莫大な褒美を与え、更に日本
の徳川時代にもあった、殿様が平民に「名字帯刀を
許す」に似た、「特別に昇殿を許す」等の格別な待
遇を下賜する習慣があった。これが特許の語源であ
り、欧米で独占的な財産権を意味する「パテント」
とは趣を異にしている。しかも皇帝は「優れた考案」
を積極的に活用、応用して経済を活性化するよう、
広く市民に奨励した経緯がある。だから、中国人は
「他人が考案したアイデアを使うこと」にあまり罪
悪感を感じない。               
 次に、中国には「特許公報」を公開する制度がな
い。日本を始め多くの先進諸国では特許の申請が受
理されると、考案内容が「特許公報」として官報で
公開されるから、公報を丹念に収集していれば他社
が保有する特許の内容が把握でき、侵害等の紛争を
未然に防ぐことが出来る。特許庁へ出向いたり、パ
ソコンに達者な人ならインターネットで特許庁へア
クセスすれば、世界中のパテントを引っ張り出すこ
とも理論的には可能だが、膨大なファイルの中から
ピンポイントで目標の特許明細書に辿りつくのは至
難の技。先進国にはそういった特許調査を仕事とし
ている専門家は多いが、中国には極めて少ない。 
 しかも日本の様に経済産業省から枝分かれした特
許庁と、絵画や著書、音楽や写真、パソコンソフト
等、著作権を保護する分野を文部科学省の統轄する
文化庁が担当する等、複数の役所とそれらの外郭団
体が絡む国々が多い。これら「特許権」と「著作権」
をひとくくりにして「知的財産所有権」と呼ぶよう
になった今日、紛争が発生した際にその当事国で十
分な専門知識と解決の手腕を備えた弁理士と弁護士
を確保する作業ですら容易ではない。      
 最後に、中国では「司法制度」に問題がある点を
強調せねばならない。1970年代末に新生中国が
発足、これまでに法律は目まぐるしく改訂され、今
尚激しく変わり続けている。胡錦涛総書記は「急速
に発展する国の法律や制度が度重ねて改正されるこ
とに何ら不思議は無い」と名言を吐いているところ
を見ると今後もコロコロと変えるらしい。改訂され
ても国際的に穏当な方向へ変化しており、あまり遜
色の無い内容になって来ていると評価されている。
 しかし「裁判制度」には他の国々には見られない
異質な特徴が多々あり、外国人が中国で原告又は被
告となった場合、余程裁判に馴れた人でもかなり当
惑、不満の残る、泣き寝入り、或いは裁判制度など
無きに等しい結果に終る可能性が高い。その実態を
いくつか挙げると:              
1)「司法試験」の制度が無いから、弁護士、検事、
 判事の能力が地域によってバラツキがある。日本
 でも同様だが、司法に関る人達の殆どが法学部の
 出身者で、理工系の教養が求められる特許紛争案
 件では説得力のある判断や発言力が欠落しており、
 事情聴取から法廷でのやりとりに到るまで弁護士
 も、検事も、判事も声を揃えて当事者間の話し合
 いによる「和解を勧める」ことに終始することが
 多い。                   
2)裁判所は日本とほぼ同様に家裁、地裁,高裁、
 最高裁がある。各裁判所の所長は最高裁が全国人
 民代表大会、高裁以下は地方の人民代表大会、裁
 判官は各々の常務委員会によって任免されること
 になっているが、人民代表大会は全て各級の党幹
 部が仕切っていることから、裁判所の人事も全て
 党幹部に握られていることになる。最高裁が末端
 裁判所までの人事を決める日本の制度とは全く異
 なる。日本に置き換えて解り易く言うと、最高裁
 の所長と裁判官は絶対的な安定多数を占める自民
 党総務会のリーダー格議員が任免、高裁から家裁
 までの人事権が実質的には自民党県連幹事会の手
 にあるようなものだ。            
3)訴状に書かれた事件の重大性や、要求する賠償
 金の高低によって一審裁判所のレベルが決められ
 る。金額が大きいと一審がいきなり高裁で始まる
 こともあり得る。二審制で、一審の判決に不服が
 ある場合、上級法院での二審へ控訴することは認
 められるが、原告が泣こうがわめこうが検察側が
 一審判決に満足し、控訴に同意しない場合は結審
 となり、二審が行われない。それは検事も判事の
 役割を担っていることを意味し、両者は二人三脚
 でかかって来るから、被告と弁護側は常に弱い。
4)訴状が受理されると直ちに担当する検事と判事
 が指名される。検事による事情聴取の段階から判
 事が同席、証拠品の確認作業等も判事が手伝う。
 それによって検察側は調書や長ったらしい陳述書
 等を作成する必要がなく、裁判が始まると簡単な
 事実確認と証拠物件の点検を経て、短期間のうち
 に判決を出すことが可能となる。一審が開廷する
 前から学習済みの判事の腹は固まっているからだ。
 だから中国の裁判はせいぜい半年、長くても1年
 で結審する。 日本のように莫大な費用と5年、
 10年、時には結審まで20年も30年もかかる、
 事実上「裁判制度は無きに等しい」よりはマシだ。
 刑の執行も早い。18年も前の話だが、私が重窃
 盗(被害額180万円以上の窃盗)事件の当事者
 として告訴した被告は、午前中に二審判決が下っ
 て結審、その日の午後に死刑が執行された例もあ
 る。死刑になった犯人は顔見知りの自社のガード
 マンだったから辛かった。          
5)裁判所の人事権を握ることによって、各級の地
 方党幹部は司法に大きく影響力を行使出来る。圧
 力次第で法律は横へ追いやられ、地元企業とその
 一帯に形成される企業城下町に暮らす市民の利益
 に反するような判決を阻止する等、ある意味では
 南町奉行の大岡越前式人情味溢れる粋なお裁きが
 下されたり、時には「些細な形式不備」を理由に
 して訴状を受理させないとか、差し押さえ申請に
 伴う供託金を法外につり上げる等の恣意的な「地
 方保護主義」も発揮される。野球やサッカーの試
 合みたいなもので、敵地で戦ったら勝つ見込みは
 極めて薄い。経済事案で裁判の中立性や裁判官の
 独立性は期待できない。           
  日本人駐在員の間で有名になった事例がある。
 取引関係にあったA省のa社とB省のb社の間で
 契約書の解釈をめぐって紛争になり、別々に双方
 が地元の裁判所へ損害賠償の訴えをおこしたとこ
 ろ、各々の地方党委員会同士の権力闘争に発展し
 た。結局A省の裁判所ではa社が勝訴、a社がほ
 っとしたのも束の間、間もなくB省の裁判所では
 b社が勝った。自然に殆どの企業が地元の党幹部
 にある程度支配されることになる。我々は、この
 「笑い話」をしばらくの間酒の肴にしていたが、
 冷静に考えてみると、立派に法律が存在しても、
 「司法がいいかげん」な場合、自分達は拠り所の
 ない「真昼の暗黒」で仕事をしていることになり、
 その心細さに背筋が寒くなった。       
  日本でも国会の予算委員会に内閣法制局長官が
 出て来て、選挙で選ばれた訳でもない一介の公務
 員なのに、最高裁の判事みたいな顔をして「違憲」
 だとか「合憲」だとか「法解釈」等を答弁し、し
 かも総理大臣以下野党議員までもが無邪気に従っ
 ている光景は誠に異様、中国の裁判官でもない党
 幹部による裁判干渉とあまり違わない。    
6)不利な戦況を巻き返す手段として判事を買収す
 る手が度々用いられる。読売新聞2004年12
 月21日の報道によると、2003年の1年間に
 収賄等の規律違反で調査対象となった裁判官は、
 794人に上り、そのうち52人が刑事責任を追
 及されたと言う               
                       
 「地方分権」が「司法分権」を呼び、更に「党内
権力分権」を誘引させてきた。胡錦涛総書記は度重
ねて「自主創新」、「整風運動」、「陪審員制導入」、
「直訴制度」等改革を打ち出しているが、所詮北京
に居る指導者の全員も地方から送り込まれた代議員
の集まりだ。日本人以上に「我田引水」と「故郷に
錦を飾りたい」気持ちの強い人種だから、改革は出
来まい。異国の丘から日本を眺めると、永田町界隈
にも「故郷に高速道路や整備新幹線を飾りたい」地
方の利益代表がうようよ居て、裁判所の判決をねじ
まげこそしなくとも、「我田引水」の魂胆と権力闘
争に明け暮れる部分は中国と同列だ。      
 名誉が回復されないまま去る1月17日に亡くな
った趙紫陽元総書記は、1989年の天安門事件の
責任をとって政界から身を引いたことになっている
が、あの失脚は彼が党総書記の座に着いて以来ずっ
と叫び続けて来た「党政分離」の信念もろとも「抱
き合い心中」させられたものであった、と私は今で
も確信している。               

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