4月3日の小平市長選で「マニフェスト」を掲げ
た新人候補が当選しました。
2月6日の西東京市に続き、国政の与党と野党が
一騎打ちをする形となり、与党側の現職に野党側の
新人候補が勝利しました。多選批判という要因もあ
りましたが、対立候補を一本化できたことも大きな
勝因であり、そしてその接着剤になったのが政策、
つまり「マニフェスト」だったと思います。
新人候補のマニフェストは、支持を表明した市議
たちを中心に作成されました。会派の異なる市議た
ちが議論を重ねて、市民の意見も取り入れながら、
48の項目にまとめ上げられていきました。
そして新人候補と共産党の「政策協定」は告示の
約10日前の3月15日に合意されました。共産党は2
月に別の候補者の擁立を一度決めており、合意直前
の13日にはその候補者の政策ビラがポスティングさ
れていたので、一本化は不成立かとも思いました。
ただ、掲げていた政策は新人候補のマニフェストの
48項目の中にほとんど含まれておりました。
小平は、昭和37年の市制施行より、ずっと保守系
の市長が続いていました。そのような市政を変えよ
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うという立場に立てば、共産党としても、当選の見
込みのない独自候補を擁立して票を割るのではなく、
自らの主張に重なるマニフェストを提示している新
人候補の支援に回ることは、自然の流れであったか
と思います。
マニフェストにはさらに2項目追加され、最終的
に50項目になり、それが法定ビラ1号として市民
に配られました。
もちろん、地方自治体それぞれいろいろな事情が
あるでしょうが、小平では、マニフェストを掲げ、
具体的な政策を前面に押し出したことにより、大義
名分も立ち、また、その作成過程も「野党団結」に
大きく貢献したと思います。
心配された投票率も、40.82%で、市長選が市議選
と分離してからは最高の投票率でした。ここ2回は
無風の市長選でしたが、選択肢が現れたため、市民
の関心も増えたわけです。
新市長の初登庁は4月11日。手始めは、「市長の
公用車廃止」ということです。これから新市長は、
『採点できる公約』=「マニフェスト」の実行を求
められることになります。
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