生活者主権の会生活者通信2005年05月号/03頁..........作成:2005年05月07日/杉原健児

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善意のリサイクルより大切なもの

千葉県柏市 峯木 貴

 「善意で集められた古紙類(新聞雑誌等の紙類の
こと)は決して燃やすわけにはいかない。」    
 ある市のごみ処理の計画立案で、市の担当者から
こういわれたとき、「これでは古紙類のリサイクル
の輪が断ち切られてしまう」とっさにそう感じた。
バブルが崩壊し、価値が下がって行き場のなくなっ
た古紙類が、雨ざらしになっていた時期である。 
                       
○善意のリサイクルとは
 善意のリサイクルとは、市民の善意、ボランタリ
ーなどから行われるものと考える。だから、そのリ
サイクルで市民が対価を得るようなことはない。 
 しかし、それだからこそ市民の善意というものは
非常に大きな力を持っていて、一度動き始めるとそ
れには抗うことができない。それが良いか悪いか関
係なくである。例えば地球温暖化のためにも森林を
守りましょうということで、古紙類は一気に集まる。
しかもそれには「善意」という札も一緒についてき
てしまうため、取り扱いには細心の注意が払われる
ことになる。直接海外に輸出することができず、国
内で新しい紙に再生しなければならない。燃やすな
どももってのほかである。それが前出の担当者の言
葉につながる。                
 また、その「善意」の古紙類は半端な量ではない
ため古紙類の市況が下がると古紙業界の打撃は大き
くなる。場合によっては古紙問屋の廃業となり、リ
サイクルが死滅する場合もありえる。      

○古紙類のリサイクルの流れ          
 ここで簡単に古紙類の流れを説明する。    
昔はよく軽トラックで「古新聞、古雑誌、ボロキレ
...」と各家庭を回って回収し、代わりにトイレ
ットペーパーを配っていた。これらの資源ごみはこ
のような事業者に回収されて再び新しい紙に生まれ
変わる。特に物資の不足していた時代には古紙類は
非常に貴重な資源であり、高く取引されていた。 
 ところが時代が下り国が豊かになると、紙そのも
のの価格も下がりその原料でもあった古紙類の価値
も下落した。そして回収業者は安い紙類を集めても
トラック代にもならないということで次々と廃業し
ていった。そして古紙類は可燃ごみとして多量に燃
やされることになった。しかし古紙類の市場への供
給が少しでも落ち込み値段が上がってくると、にわ
かに業者が回収に回るようになってくる。    
 そして再び大量の古紙類が市場に出ることになり
市場価値がなくなると収業者は店をたたむことにな
る。                     

○リサイクルにはお金がかかる     
 実際にはこれに海外輸出が入り複雑に入り組んだ
構造になっているが、古紙の回収量の増減は市況と
いう神の手にゆだねられるため、古紙類の市場価値
はある程度一定に保たれていた。        
 しかし、そこに「善意」の古紙類が入ってくると
どうなるか。ちょっとした気分で古紙類を分別して
出すと、古紙類の市況は一気に下がってしまう。昔
ならばそういう状況下で回収業者は回収をストップ
し、古紙類は可燃ごみとして処理され市況が良くな
るのを待っていればよかった。しかし自治体が音頭
をとって古紙を集めましょうと言っているため、自
治体は多額の税金を払ってまでも「紙とし    
て」リサイクルしようとする。         
 仮に市況が下がり古紙が余剰になった場合、可燃
ごみの量や発熱量が少ない時期であれば助燃剤とし
て利用することにより、ガスや重油のような化石燃
料の消費を減らすことができるであろう。    
 自治体の行っている「ごみ処理」は営利目的では
なく公共の福祉に基づいているため、市場価値のあ
るものだけ集めましょう、ということにはならない。
一度集めだしたら市況云々にかかわらず集めて資源
化しなければならない。しかもリサイクルのやり方
まで限定されている。市況が上がれば収益になるが、
下がれば逆有償(資源なのにお金を払って処理して
もらうこと)となる。             

○リサイクルには限界がある      
 このような状況を打破するためには王道はない。
ごみそのものを減らさなければならないのだ。場合
によっては集めた資源を燃やすという「良識」も必
要であろう。                 
 ところで、現在のごみ処理といえばリサイクルが
主流である。それはごみ処理の手法としては、かつ
ての焼却・埋立の次に楽な方法であるからだ。人々
も環境によいということで大いに賛同した。しかし、
自然界のように 100%循環されることはできないた
め、それがいつの日か破綻することは目に見えてい
る。人間の行うリサイクルには限界があるからだ。

○上流のリサイクルはうまくいっている  
 話が前後するが、ここでいうリサイクルとは商品
が最終消費者に行きわたってから、その結果のごみ
を資源化して上流の原料に戻すということをいって
いる。                    
 「上流」といわれる生産現場の資源化は、極めて
うまくいっているようである。例えば塩素のリサイ
クルなどは実にうまくできており、ソーダ工業では
多量の塩素が廃棄されずに塩ビとしてリサイクルさ
れているし、同様に副産物として発生する水素も新
たなエネルギー源としてリサイクルされている。ま
た、製紙工場では紙を作るときに出る「黒液」は燃
料として利用されているし、ビール工場ではビール
粕を飼料として有効利用している。しかもこれらの
廃棄物はほぼ100%リサイクルされている。    
 このような上流のリサイクルがなければ、資源に
乏しい日本はたちまち資源不足に陥ってしまうだろ
う。                     

○物質的なリサイクルが成り立たないことも
 ところが最終消費者に回ったごみを資源化するの
は、ものによって大きく異なるが大変難しいものが
ある。ここで述べている古紙類にしてもこの有様で
ある。ましてや家庭から出るプラスチックの物質と
してのリサイクルなどは現実的に不可能ではないだ
ろうか。                   
 プラスチックを物質としてリサイクルしていると
ころもあるが、物質収支、エネルギー収支の観点か
らは何も考慮されていない。さらに経済的には収集
運搬・処理を含めてトン当たりおよそ20万円もかか
り、バージン材をそのまま購入する価格の2倍以上
と非常に高価である。そして再生品はほとんどがま
ともに使用できないような代物である。それをリサ
イクルと称しているのははなはだ疑問である。ちな
みにプラスチックを可燃ごみと混ぜて熱や電気とし
て回収すると、4〜5万円で済む。        

○減らすことが先決          
 それでも善意のリサイクルは日々熱心に行われて
いるが、資源ごみといえども発生量を減らすことが
先決であろう。先にも述べたが、時には集まりすぎ
た資源を燃やすという英断も必要だと思う。   

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