一族独裁、一党独裁の国家が限界に来るか、破滅
するかは歴史の証明するところである。企業におい
ても然りである。一部の経営者の独裁になった企業
は必ず破滅への道を歩むことになる。スポーツでも
競争相手がいなければ、技量が向上したり、記録が
更新されたりするはずがない。
では、我が国の政治はどうであろうか。我が国は
民主主義の国家である。戦後の憲法でそうなった。
私も戦中教育から戦後教育に急旋回させられた一人
であり、ある日突然、民主主義・民主主義、主権在
民・主権在民とお念仏のように繰り返す日が来たの
を覚えている。それから60年、この民主主義がど
れ程我が国に定着しただろうか。確かに、びっくり
仰天して受け入れた民主主義を形として示す憲法は
今ではすっかり国民に定着し、少し手を加えようか
というところまで咀嚼されてきている。
一方の戦後復興と経済成長では、戦中の国家総動
員態勢とは形を変えた復興・成長の国家総動員態勢
で汗を流し、今日を迎えている。そして、そこに一
貫して流れていたのが、政官業の巧妙な連携である。
当初はこの連携が、志の高い多くの政治家、官僚、
実業家によって支えられ、見事な成果を上げること
ができた。そして多くの国民が、この態勢のままで
いけば、とどまることの無い繁栄の道を進めるもの
と思っていた。しかし、我が国を取り巻く環境は大
きく変わり、目標をも失った中で、残念ながら政・
官の志は次第に低下し、かつての政官業の巧妙な連
携は次第に巧妙な癒着、腐敗に変質してしまった。
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特に官の志の低下が甚だしいが、それを律すべき政
も、あまりにも長い癒着の故に、なす術もなく、ま
た、その気力もない。国民の多くはこのことを敏感
に感じつつある。政と官に対して変化することを期
待している。
そこに登場したのが小泉首相である。彼のパフォ
ーマンスは正に国民の期待に沿うものであったよう
だ。多くの国民は彼の改革指向に拍手喝采し、また
期待した。しかし、間もなく国民は我が国の民主主
義は首相がいくら突出しても、彼を選んだ党が変わ
らなければ何も変わらないことに気付きはじめた。
我が国が置かれた新しい環境に適合し、官を厳し
く律していくためには、政即ち党が変わらなくては
ならない。現在の政策を立案し、政官業の癒着の中
にある党に、「お前変われ。」と言ってもそれは無
理というものである。新しい政策を用意している別
の党にやらせるのが早道である。ありがたいことに、
やらせ得る党が実にタイムリーに現れた。天の采配
とでも言うべきか。勿論現在の政権党はあらゆる手
練手管と権力を使って新しい党に政権を渡すまいと
するであろう。
しかし、選ぶのは我々国民である。民主主義、主
権在民とお念仏を唱えてからもう60年である。主
権在民の真価を発揮して、その時の政治環境に最も
適した政党を選ぼうではないか。先ずは政権交代を
実現し、そして常に政権選択ができる状態を作り出
し、名実共に健全な民主主義を実現したいものであ
る。 http://www.tatunet.ddo.jp/okb/
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