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その国の本質を少しでも知るにはその国の首都に行くのがいい、という思いで私はオーストラリ
アに行くにあたって迷わずにキャンベラ訪問を決めた。
成田からシドニーまで約10時間、しかも時差は僅か1時間である。これほど簡単に行ける国だ
が、シドニーからキャンベラまではバスで実に4時間もかかってしまった。
お目当ては、国会議事堂と戦争記念館の見学である。
4時間の車窓からの景色は殆ど変化がない。多少の起伏はあるものの、一面牧場や、ぶどう畑の
連続である。
そこに、忽然と現れたのが、人工都市キャンベラである。見事に計画された首都である。
特に、国会議事堂と、その正面約3kmの先に何一つ遮る物がなく、相対する形で建設されている
戦争記念館の配置などその象徴のようなものだ。
さて、その戦争記念館である。
オーストラリアは独立後僅か100年の歴史しかないが、イギリスが参戦した戦争には全て参戦
しており、オーストラリアの歴史は正に戦争の歴史である。
そのため、この戦争記念館はこの国にとって特別の意味があるようだ。
オーストラリアの戦死者は全て戦地で埋葬されるそうで、母国には一体も戻って来ていない。
そこで、この記念館には全ての戦死者の霊が祭られており、回廊には第一次世界大戦からの戦死者
102,828名全員の名が刻まれた名盤がぎっしり並んでいる。その名盤の横の小穴にはところどころ
赤い花が挿し込んであった。参拝に訪れた肉親の献花である。
ただ、国民の総意で異国の地に埋葬されていた唯一人の戦死者の遺体を引き取り、全ての戦死者
を代表して館の中央に埋葬しているということである。
ここには、全国から小中学生が先生や、食事の世話などをするボランティアの母親に引率され、
数日がかりの質素な旅行でやって来て、国の歴史や戦争の歴史を学習し、それが彼らの重要な課外
授業になっている。
また、この戦争記念館には世界最大といわれる戦争博物館が付帯しており、過去の戦争で実際に
使われた兵器が陳列されている。
旧日本軍の兵器では、勿論日本では見ることのできない、ほぼ完全な形で唯一残っている零戦や、
シドニー湾に突入した実物の特殊潜航艇などが陳列されているのは実に驚きであった。
日本では殆ど報道されていないが、小泉首相もオーストラリア建国100年記念式典の訪豪時に
ここを個人の立場で訪れたのだそうだ。
第一次世界大戦の終戦を記念して毎年11月11日に行われる全国的な記念行事ではこの記念館
が中心的な役割を果たす。やや戦勝国的ニオイを感ずるところもあるが、複雑なからみを持ち、政
争の具や、外交の材料にもなっている靖国神社に比べると、実に明快な目的を持ち、全国民の支持
を得て、世界中から賓客が訪れている記念館である。
戦勝国と敗戦国とでは戦争に対する思いも、歴史認識も違ってくるのは仕方ないが、少なくとも
戦場に駆り出され、哀れな戦死を遂げた人々を、世界中の人が弔うことのできるこのような施設が
あるということは羨ましいことである。
現在の官僚の過去の延長線上にあり、しかも、戦死したわけでもない軍閥をも祭っている靖国神
社には、素直に頭を下げる気にはなれないが、このキャンベラの戦争記念館には何のわだかまりも
なく頭を下げることができた。
ところで、この記念館を訪れたのはたまたま10月18日で、その前日小泉首相が靖国神社を参
拝し、ポケットから賽銭を出して、そそくさと帰っていった。
その姿は18日朝のオーストラリアのテレビでも放映されていた。
妙なタイミングではあるが、何かやりきれない思いが残ってしまった。
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