徳川五代将軍綱吉が「生類憐れみの令」を施いたのは1685年、綱吉が亡くなった1709年までの24年間、
鷹狩はもちろん、鳥獣の殺生捕獲を禁じ、綱吉が戌年であったことから犬猫を捨てたり苛める者までが
厳しく罰せられた時代がある。「生類奉行」を任命して、東京・中野に「お囲い」と呼ばれる巨大な犬
の飼育場を建設、江戸周辺の野犬を片っ端から収容して飼育していた。地方の人の中にも「中野」と言
えばすぐに「犬小屋」が口をついて出る人が居るくらい「中野と犬小屋」が有名である所以はここにあ
る。
中野区の小中学校ではどこでも歴史の授業で教えているであろうが、「お囲い」の広さは28万坪の
長方形で、早稲田通りから南側、当会会員・長妻昭衆議院議員の事務所前のゼロホール通りから北側、
東壁は事務所隣の喫茶店「ベローチェ」辺りで、西壁は環状七号線を越えた今の高円寺駅にまで達して
いたとの記録がある。長妻事務所は「お囲い」の中にあることになる。敷地内は5つの大きな区画に分
かれ、夫々に炊事場や病院、火葬場等が設けられていた。面積25坪の小屋が290棟、雌犬が身ごも
ると小さい個室のような「子犬養畜棟」に移されるが、それが459棟も用意されてあったと言う。少
ない時で10万匹、多いときには20万匹もを文字通り「ゆりかごから墓場まで」面倒をみていたことに
なる。
20万匹もいれば毎日50匹か100匹くらいが死ぬことになり、24年間には100万匹近くが看取
られたことになる。100万匹の遺骨をどこへ埋葬したかについては、子供の頃噂として聞いていたが、
地名を出せば今そこに住んでいる人々から「資産価値に影響する」と苦情を受ける可能性があるから、
口にしないことにしている。
現代では一匹の飼い犬が居るだけでも家族旅行が制約されたり、水や食事の面倒を見て、排泄物処理
から病気治療まで気苦労は絶えないのに、当時10万匹、20万匹を世話する人々の苦労は想像を絶するも
のがある。「生類憐れみの令」が極めて厳格に施行されたことはよく知られているが、「悪法」である
との声は主に「武家」の側から出ていたようだ。多くの民間人が雇用されて犬達の世話にあたったもの
の、その人件費や施設の維持に年間36000両を出費、餌作りに要する穀物が8000石で、それら
を全国の大名や旗本が「賦役」の形で有無を言わせずに負担させられていたからだ。
最近の日本では飼っていたペットを捨てる人が増えたようだ。中にはサソリやニシキヘビを街中に放
置したり、ピラニアやブラックバスなどの外来魚を湖等に「リリースする」無責任な人も多いらしい。
中野・新井町の私の生家でも犬を一匹飼っていた。近所に口うるさい犬好きのおばさんが居て、犬の面
倒見が悪いと「お宅では犬を飼う資格はないよ」と何度か怒鳴られたことを思い出す。ペットは私達を
和ませてくれる。しかし飽きて来たり、日々の世話が煩わしくなると、それまで散々遊んでころがして
おきながら、「不要」になりどこかへあっさり捨てたくもなる。動物の虐待を禁じる法律が厳然とあり
ながら、ルールを無視する身勝手な人々は後を絶たない。当局の監視と取り締まりにも「甘さ」があり
すぎるではなかろうか。
「ペット」の話と同列には出来ないが、「人の雇用」にも同じことが言える。私の取引先に年間3000
億円を売り上げる中堅企業がある。従業員は2000人も居るが、その半数以上の1100人は「パートタイマ
ー」と「アルバイト」で占める。「パートタイマー」や「アルバイト」として雇えば会社は年金や健康
保険料の負担を軽減出来るらしい。賞与も福利厚生も不要だし、有給休暇を与える必要もない。朝夕の
忙しい短時間だけとか、繁忙期の一定期間だけ就労させて、不要になれば退職金なしで「リリース」で
きる。「常勤」と「非常勤」職員の雇用に社会保険に関する企業の法的な「義務」には大きな隔たりが
ある。予め就労条件を取り決めて、きちんとした雇用契約が交わされているものだとは思うが、正社員
に比較すると「パート・アルバイト」との待遇には大きな格差がある。小さな商店の店員や零細の町工
場に働く職人、日雇いの土木建設労働者達は悲惨だ。犬か猫でも使っているかの扱い方で、社会保険は
おろか退職金の制度すら存在していない所が大半であろう。
低賃金であることの他に短時間や短期間しか働かせてもらえないことによって、中国かフィリッピン
並の低収入に喘いでいる人々は多い。そして日本にはルールの濫用による、「身勝手」と言うより「人
を雇用する資格がない」とさえ言える経営者が多い。とても先進国の雇用システムとは言えない。これ
ら底辺に生きる人々を「憐れむ」のは適切ではないが、雇用者に既存の法律を遵守させるだけでも世の
中はかなり良くなる。「アンフェァ」な雇用制度の現状を是正する為に、ルールの改善と当局の厳正な
行使が望まれる。
当会の岡部副代表の近著に「Equal Footing」と言う横文字が出てくる。競争させるなら「スタート
ラインは横一列で、ハンデがあってはならない」と言う意味だ。日本は社会主義国ではないから、努力
した者が報われるのは当然だ。恵まれない人々だからといって無差別・自動的に救済すれば国全体の活
力が失われる。しかし不公正なスタートラインに立たされて、「競争」することだけを強いられた場合、
勝者と敗者の二極化は開く一方で、先々国の破壊にも繋がりかねない。
「労働者」と言う言葉を挙げると、すぐに「自治労」とか「連合」の名前が浮かんでくる。これらに
属する勤労者の大半はいずれも公務員や鉄鋼、電機、繊維等、主に大企業に働く職員で成る労働組合の
組合員で、万全の社会保険、遜色のない賞与や手当てに昇給システムが保障され、リストラや定年退職
させられても十分な退職金をもらえて、再就職の世話までしてもらえる身分の人達である。雇用や社会
保障に限らず、為政者が税制や教育、災害対策にいたるまで、制度の新設や改革を立案する際、念頭に
置く「勤労者」の概念がこれらの「恵まれた労働者」に偏り過ぎているような気がしてならない。「連
合」の組合員よりも遥かに多い「弱者」と呼ばれる、底辺に生きる人々は「不公正な環境での競争」を
強いられる。競争に勝ち残らない限り、子供の学力は落ち続け、ニートやフリーターは増え続け、貧困
率と結婚年齢は益々高くなり、保険料の未払いも少子化も止まらない。
将軍綱吉は「法」を冒す者には武士・平民の区別なく、厳正に処罰することを徹底させたと言われて
おり、自らも肉や魚を食さず、「生類」を憐れむ異常さは「病的」であったとさえ伝えられる。小泉純
一郎首相を織田信長にたとえる人が居るが、「靖国参拝」や「言い出したら絶対にきかない」に象徴さ
れる「病的変質さ」をその理由に挙げるなら、彼は織田信長よりも「徳川綱吉」に似ている。しかしこ
の「生類憐れみの令」は綱吉が没すると直ちに廃止されたことも付け加えておこう。「小泉改革」とや
らが彼の引退と同時に廃止になるかどうかはあまり興味はない。小泉政権には「改革」の名に値する実
績は殆ど見られないからだ。但し今画策されている「増税」プログラムの連発だけは明らかに「弱者虐
待」だ。綱吉の時代なら小泉さんの罪は「市中引き回しの上獄門晒し首」ってとこだろう。
綱吉の「生類憐れみ」とは関係ないが、中野区が「老人福祉」において「日本一進んだ自治体」であ
るとの評価があり、多くの自治体から福祉担当者が中野へ視察に来ていた時代がある。中野生まれの私
にとっては胸を張れる「郷土の誇り」であった。二年前に特別養護老人ホームの運営に参画、私はすぐ
に中野区役所を訪問、資料の提供を求めたところ、区役所の職員から「日本一は15年以上も前の話で
す。区長が数代かわって、今では全国平均のレベルに落ち着いています」との説明を受け、愕然とした。
為政者も役所も、恵まれない人々を慮る気持ちと、制度の不備とを認めるなら、真に不幸な人々をよ
り手厚く保護すると同時に、たゆまぬ改善と綱吉並の厳しさで立法・行政にあたって欲しいものだ。
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