生活者主権の会生活者通信2006年04月号/08頁

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道州制で真の地方自治を!

東京都文京区 松井 孝司

 小泉チルドレンの誕生は日本の政治を大きく変える契機になるかも知れない。議員を辞めても失う
ものが少ないからである。利権に縛られない与野党の若手国会議員が理想を掲げて、まとまって行動
すれば、国民の賛同を得て憲法改正は意外に簡単に実現し、道州制も憲法改正を踏まえて議論すれば、
国民の関心を集める可能性が高い。
 憲法に地方自治(Local Autonomy)を「本旨」と定めている論拠としては、「補完性の原理」が有
力のようだ。「補完性」の英名はSubsidiarityだと言う。EU(欧州連合)統合の原理となったこの
言葉は補助、付属、従属性を意味する。政府と自治体は、従属の関係であってはならない。政府と自
治体の関係を定義する言葉には、対等且つ相互補完的な関係を意味する「相補性(Complimentarity)」
がより相応しいと思う。
 道州制導入と補助金返上を肯定する先見性のある知事も地方交付税の存続を希望している。これで
は税金を国家が徴収し、地方へ配分することを許すことになり、東京一極集中と中央集権制を容認す
ることになる。補助金の名目が交付金に変わるだけだ。
 真の地方自治を実現するためには行政権に加えて立法権も移譲して、地方が自立できる条件を完全
に満たし、同時に分立する各地域の連帯を可能にする制度改革が必要だ。部分の「自立」と全体の
「共生」を両立させる法整備が必要であり、その仕組みを国家レベルで実現するための具体策として
は「連邦制」が該当する。現代社会は「支配」から「連帯」へ、ピラミッド型からネットワーク型へ
と社会構造の変革を迫っている。「共生」が必要な地域は日本国内だけではなく、今やアジアから世
界へと広がっている。
 大前研一氏は近著「ロウアーミドルの衝撃」(講談社刊、248頁)で、日本社会のボーダレス化
と連邦化された地域国家の重要性を説き、「地方分権ではなく第2次廃藩置県を」と主張している。
「廃藩置県」の意義は地域のエゴを否定し、各藩と武士が持つ既得権を解体して権力を国家に集中さ
せ、開国政策をとったことにある。地域国家の発想は地方分権とは異なり、各道州があたかもひとつ
の国家のような権力を持ち、世界を相手に直接交易できるような地域を創ることを意味している。交
易のないところに繁栄はない。世界を相手にした交易が付加価値を生み、地域経済を活性化させるの
である。
 日本政府の累積債務は、700兆円を超えるのに、税収は年間40兆円台で低迷し、毎年約30兆
円の借金を積み増してきた。「その内、何とかなるだろう」と年々増大する債務を放置しているのは
衆愚政治そのもので、無責任な縦割り官僚機構の肥大化を黙認してきた議院内閣制の限界を露呈する
ものである。
 道州制は、中央集権制で肥大化した既得権を解体して「小さな政府」を実現し、大増税に対する国
民の不安を解消する絶好の手段になる。道州制の導入で、中央省庁は縮小再編して連邦政府とし、一
般会計の5倍の規模を持つ特別会計の事業予算と資産は州政府に移すか、または事業を民営化して課
税対象とし、地方交付税交付金約14兆円、中央省庁所属の天下り公益法人に対する 補助金 約5兆
5000億円を廃止すれば、国家財政のプライマリー・バランスは直ちに黒字化できる。行政のスリ
ム化と税制、公的年金制度などの合理化で国民の老後の不安を解消すれば、1400兆円の金融資産
を持つ国民の意識は、貯蓄から投資へ、貯蓄から消費へと変わり、質の高い付加価値を求める事業の
拡大で日本経済を再び4%以上の成長路線に戻すことも不可能ではない。
 税金納付と公的年金給付の窓口業務はすべて自治体で行い、地域の経済力に応じて税の一部を政府
に上納する仕組みこそ地方自治に相応しい制度だ。地方交付金で生き延びている自治体からの税の上
納は当面免除せざるを得ないが、都市部の余裕のある自治体は税の一部を上納するだけでなく、政府
から譲渡される資産の額に応じて政府の借金返済にも協力しなければならない。
 上納金を受け取る連邦政府は道州のまとめ役になり、道州でできない外交、防衛、通貨管理などの
業務を担当するが、政府が所有する巨額の外国債を活用すれば、年間の実質予算はGDPの1%(約
5兆円)もあれば足りるだろう。
 自治体(コミュニティー)の役割を暮らしやすい生活基盤(街づくり、公教育、ゴミ収集、医療介
護など)の整備とすれば、州政府の役割は産業基盤(大学、研究所、空港、港湾、道路など)の整備、
効率化と、海外との人的交流促進、国内外からの企業の誘致、防災、治安、環境対策が重要になる。
住民に直接関わりを持つ自治体は主に消費者を対象とするサービス事業を担当し、州政府は地域産業
の振興と広域行政を担当する事業体とみることができる。両者は非営利の公的セクターとして唯一地
域内での独占が許されるが地域間では競争原理が働き、いつまでも赤字を続ける事業体の経営者(首
長と議員)は無能という烙印が押されることになる。経営者を厳しく選別し、監視する仕組みも重要
だ。有能な民間人を公的セクターに迎えるため、一回の試験で生涯のキャリア資格を保障する公務員
試験は撤廃すべきだ。
 無視できないのは、生産性の低い公務員に支出される年間約30兆円の人件費である。地方税の殆
どが地元公務員の人件費に消える地域では、行政コストを大幅にカットする必要があり、郵政民営化
以上の公務員の「官から民へ」の移行が求められる。業務の省力化はIT化で達成できるが、不要と
なる公務員の官から民への転職は民間地域経済の活性化なくしては実現不可能の難題といえる。解雇
できない公務員の大量転職を可能にするために、天下りを容認しても弊害のない官民交流の制度をつ
くる必要がある。
 道州制は地域住民の生活と安全の保障に加えて、人材の有効活用を保障し、地域産業を発展させる
ための制度改革としなければならないのである。連邦政府のリーダーには、全国民の信託に応えられ
る有能で人望のある人材を選出する必要があり、首相公選制(または大統領制)の導入も併せて検討
する必要があるだろう。
 基礎自治体の規模を大きくするだけでは、少子高齢化で衰退に向かう国内経済の活性化は難しく、
政府の巨額債務の返済も不可能だ。連邦制にもとづく地域国家のような発想の大転換をともなう道州
制でなければ、過疎化し補助金漬けで疲弊した農山村の地域経済の立て直しはできないし、国家の財
政破綻を阻止することも難しいと思う。 

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