結論から先に言おう。「竹島」と「尖閣諸島」の領有権を放棄することを提言したい。私自身は「竹
島」も「尖閣諸島」も法的には日本の領土であると確信してはいるが、日本政府が近隣諸国と長期間に
亘って摩擦を引きずってまでこれらの領土問題でいつまでも「自国領」を主張し続けることが賢明な選
択とは思えないとの理由による。但し、肝心なのは、「放棄する」とだけ宣言し、間違っても「00国
へ譲渡する」とか「XX国へ返還する」とは絶対に口にしないことである。後々に必ず出てくるであろ
う、「竹島」は「北朝鮮のもの」なのか、「韓国の領土」なのかや、「尖閣諸島」が「台湾に属するも
の」なのか、「中国の所有物」なのかと言ったややこしい論争が国際的に起きた際に「部外者」で居る
必要があるからだ。
ご記憶の読者も居るかもしれないが、この提言は6年前の2000年9月に出した私の「北方領土はいら
ない」の論文の中に既に盛り込んである。その論拠は今も変わらないばかりか、その後グローバライゼ
イションとボーダレスが急速に進化した国際情勢にある昨今、益々その意を強くしている。多くの論客
の方々から猛反発を食らうことを覚悟の上、これら二島を「放棄」すべき理由を詳述したい。執筆に先
だって10数名の親しい論客の方々に忌憚のないご意見を求めてみた。残念ながら私の「放棄論」に賛
同してくれた友人知人は一人もいない。孤立無援状態である。しかしながら彼等が私の考えに反対、或
いは容認出来ない理由を遠慮なく浴びせてくれたことにより、それらのいずれもが私の想定した範囲の
ものではあったが、彼等の反論を整理して、私の再反論を組み立てる作業には大いに役立った。以下は
彼等の主な「反論」と私の「再反論」である。
反論(1)法的に日本領である島々を「日本の領土」及び「日本の排他的経済水域」と主張して何が悪
い?
再反論… 1994年、「国連海洋法条約」が発効した。それ以前はどの国々も自国の領有する境界線
や経済水域を勝手に線引きして、主権の及ぶ範囲を宣言すること自体は国際的な慣習とされて来た。し
かし「国連海洋法条約」が発効されて以降はこの条約締約国に条約を遵守する義務が発生し、隣国又は
向かい合っている海岸を有する多国間で「主権の及ぶ範囲」等に疑義が生じた場合、当事国の一方的な
解釈でその範囲を主張することが許されなくなった。不幸にも論争が生じたばあいは、当事国間で話し
合い、「海洋は人類共同の遺産である」との概念に立ち、両者による平和的手段で、公正且つ衡平な境
界線を設定する義務を負う。当事者間の話し合いで解決出来ない場合は、国際司法裁判所を始めとする
この条約が指定する4つの国際機関のいずれかへ持ち込み、そこから出される裁定、仲裁、調停に従う
ことが義務づけられる。とりわけ日本が韓国や中国との間で長い間論争、場合によってはお互いに武力
を行使する事態に発展させることが許されない根拠は、この条約の前文に明記されている。それは:
(A) 主権範囲が確定していても、沿岸国はその主権的権利を濫用してはならない。
(B) 海岸線に恵まれた「海洋受益国」は海岸線を持たない「内陸国」や、僅かしか持たない「地理
的不利国」に対して、“禅譲の精神で配慮する”義務を負う。
(C) 先進国は率先して発展途上国(沿岸国であるか内陸国であるかを問わない)の経済的及び社会
的発展を促進する為に汗をかき、貢献する義務を負う。
とある。この条約を日本は1996年に批准している。海に恵まれた先進国の日本人は「竹島は日本の
漁場」だとか「尖閣付近の天然ガスを盗掘するな」等の発言は控えるべき立場にある。
反論(2)日本の外交は弱腰過ぎる。特に中国と韓国に対しては万事遠慮が過ぎる。
再反論… 資源小国の日本は「貿易立国と科学技術立国」でなければやって行けない。科学技術で世界
に貢献し、資源の輸入と製品の輸出で生活を豊かにする以外に道はない。諸外国に嫌われてはならない
立場にある。「弱腰外交」で結構。それが屈辱的で気にいらなければ「資源小国の知恵」とでも表現す
ればよい。敵対する国々を軍事力で屈服させる意志も能力もなければ、「先進国」を自認し、「国際協
調主義」を掲げる日本に他の選択肢はない。「領土」と言うものは「金銭や損得ではない」とか「先人
から受け継いだ遺産は死守すべきもの」とのエモーショナルな考え方も理解は出来る。しかしながら
「妥協を潔しとせず」又は「溜飲をさげる」ことを主目的に「死を賭して突っ走った」場合、イスラエ
ルとパレスチナの紛争に似て、両者共々が「トラブルメーカー」の汚名を着せられ、当事国のみならず
世界中に及ぼす人的・物的損害は甚大である。武力の行使に至らずとも、紛争を長引かせる行為も同罪
である。諸外国は「無人の岩山」がどちらの国の領土なのかや、主張の異なる歴史的な背景を理解もし
ないし、興味もないだろう。
反論(3)「竹島」へ漁に行けないと島根県の漁民が困る。
再反論… 「竹島」は島根県松江市から220kmの彼方にある。島根の漁師が竹島まで往復出来るよ
うになったのは漁船にエンジンが取り付けられたほんの80年か90年ほど前からのことで、江戸時代
以前から出来ていた訳ではない。海は広いのだ。日本の排他的経済水域の面積は世界第6位、深海の海
水量までを計算した体積では第4位にあるらしい。魚種にさえ拘らなければ漁場はいくらでも選べる。
4面を海に囲まれた日本は魚の養殖業にも恵まれている。遠洋漁業は南氷洋やアフリカ沖大西洋、二ュ
ーヨークやハワイ沖にも足を伸ばしていると聞く。入漁料の支払いを伴う海域もあるだろうが、日本の
経済水域でも同じこと、入漁料の支払いを必要とする魚種は多い。島根の漁民がどうしても「竹島」に
拘るなら、入漁料を韓国へ支払って「竹島の魚」を漁ることが出来るように交渉したらどうだろう。我
々消費者としては食卓に出た魚の入漁料が韓国へ支払われた魚なのか、島根県の漁業組合へ支払われた
魚なのかに頓着しない。最近熱海や箱根・伊豆地方の旅館で必ず朝食に出てくる「あじの干物」の大半
は韓国産だ。味も国産品に遜色はない。韓国漁民の人件費は日本漁民の半分以下だから、日本で不漁だ
ろうと荒天が続こうと、輸入魚は四季を通じて安定価格で食べられる。西伊豆・土肥町で漁師をしてい
た私の古い友人は、収入の不安定な漁師を廃業、後継者に恵まれなかったこともあってとうとう干物卸
商に転業、もっぱら韓国産干物を輸入して旅館や土産物業者へ販売している。 他方「竹島近辺」で韓
国漁民が漁った魚も日本の漁港で水揚げされることがあり得る。美味で、安全、安価でさえありすれば、
どの国の漁師が漁った魚であろうと構わない。島根の漁民の為に日本政府が喧嘩腰で韓国から「竹島」
を取り戻さなければならない理由は薄い。
反論(4)竹島で譲歩すれば、次ぎは「対馬もよこせ」と言って来るに違いない。
再反論… その通りである。私はこれまでに韓国へ40回ほど行っている。友人知人は多い。奇縁があ
り、私は7年前から金大中前大統領の後援会メンバーでもある。行く度に彼等と夜を徹して激論を交わ
す。比較的日本に理解のある面々ではあるが、今のところ少数ではあっても「対馬も韓国領だ」と信じ
ている人が散見出来る。
韓国の首都ソウルは四面を山に囲まれ、すり鉢の底に町があるような天然の要害に恵まれている。に
も拘わらずこの町は過去2千年の間に985回も外敵に蹂躙されている。そのうち日本によるものが豊
臣秀吉の朝鮮征伐と明治政府による日韓併合の2回だけで、殆どが中国軍の侵略によるものである。朝
鮮半島に住む人々は同じ民族でありながら数千年前の大昔から、高句麗、百済、新羅の三国、正確に言
うと渤海と南端の伽耶を加えて五ヶ国に分かれ、今も尚就職、結婚、選挙等に出身地に拘る風土がある
為に、5つの部族が一丸となって強国を構築することがなされなかった。話は反れるが、近い将来北朝
鮮と韓国の統一が成っても、円満な運営を続けていくことは困難だろう。平均して2年に1回襲撃され、
外国の圧制を受け続けて来たことになり、人々が2千年の長いトンネルを抜けやっと大声で遠慮なく自
説を主張出来るようになったのは、太平洋戦争が終わった1945年以降のことである。1952年、
一方的に宣言して敷いた李承晩ラインがよい例だ。日本海で少々無理な「我」を張っても日本が武力を
行使してでも取り戻す意志と能力が無いと見るや味をしめ、次々と難題をふっかけて来る可能性がある。
日本以外の、アメリカ、中国に対してすら時々「不遜な態度」をとる場面が見られる。
ここは一歩引いて日本の度量を示し、国際社会から信頼を勝ち取る必要がある。海に恵まれた日本が
小国を相手に無人の岩山をめぐって紛争を長引かせている様は傲慢に映り、国際社会を味方に付けるの
は難しい。「竹島」は無人の岩山だから日本人に危害が及ぶ心配は無いが、「対馬」には日本人が3万
人も暮らしている。為政者は対馬の住民に安寧を与え、絶対に領土問題の渦中に巻き込まない固い決意
が必要だ。「竹島領有権放棄」の条件として韓国政府との間で「対馬は未来永劫日本領」である確認文
書を交わし、更にアメリカ、中国、ロシアの代表を調印式に臨席させ、彼等の立会い確認書を取り付け
ることが肝要だ。韓国滞在中にカラオケへ行くと、時々中年の酔っ払いが好む「竹島は韓国、対馬は日
本」と言う歌詞の歌が聞こえてくる。これを歌う人々が死んでからでは遅い。「対馬」のことが俎上に
乗ってからでも遅い。解決までには途方もない時間を要するであろうからだ。一重に「対馬を奪われな
い」為に「竹島放棄」が急がれる。
反論(5)尖閣諸島を失えば日中中間線の地下に眠る天然ガスを採れなくなる。
再反論… 私は2005年の一年間に中国に関する論文13編を本誌に出した。いずれもが「中国警戒
論」で、大陸へ進出した多くの日本企業へ注意を呼びかけている。控えめに表現したつもりであったが、
その中に幾つかの重要な要素を挙げている。それは:
(A) 約28000社にのぼる日本企業が中国へ進出している。
(B) 中国経済の40%は日本企業又は日本人が担っている。
(C) 中国は世界第二位の輸出国になったが、輸出の大半は日系企業又は日本人が担っている。
(D) 中国はヱネルギーのみならず、あらゆる原材料を世界中からなりふり構わずかきあつめて、経
済成長を維持しようとしている。
多くの日本企業が中国へ投資し、中国の経済成長に合わせて日本が潤ったのは確かだ。しかし日中の
経済構造の“図式”としては、日本が中国にヱネルギーと原材料を世界中からかきあつめさせ、中国の
労働力を使って「日本」の国名を使うことなく、「中国名」で商売をさせた、言わば日本人が「他人の
ふんどしで相撲をとった」、又は「貿易摩擦や通貨切り上げ圧力の矛先を中国へ振り向けさせた」と言
えなくもない。更に中国がなりふり構わずかきあつめたヱネルギーと原材料の少なくとも40%は、
「中国で仕事をしている日本人のところへ届けられた」とも言える。
中国の労働者をフルに活用したことにより日本は空洞化、多くの失業者を生み出したマイナス面はあ
るが、同時に日本が確保したヱネルギーや原材料を日本であまり消費せずに済む結果ともなっている。
ヱネルギーだけで見ても、日本はアメリカや中国ほど困ってはいない。ガソリンの価格を比べればよく
解る。イラク戦争以来アメリカのガソリンは過去3年の間に3倍、中国では2.5倍に跳ね上がってい
るが、日本では為替レートの変動にも拘わりなく30%の値上がりで済んでいる。代替ヱネルギーの開
発も急速に進んでいるようだ。今のところ化石燃料を使う方が割安だから代替ヱネルギーの量産には至
っていないが、石油がこれ以上急騰すれば短期間でクリーンヱネルギーへの切り替えが促進されるだろ
う。
石油業界には前科がある。1974年の第一次オイルショックは「作られた石油危機」であることが
2年後に判明した。消費者は二度とは騙されない。「尖閣諸島」は領土問題からヱネルギー問題へすり
かえられて、「石油製品の値上げ」を目的とした石油業界による「アドバルーン」に聞こえてしょうが
ない。天然ガスの埋蔵量もたいしたことはないらしい。2004年6月に中国は「春暁」ガス田で海底
パイプラインの敷設工事を開始した。その3ヶ月後の9月には欧米石油メジャーはこの開発からの離脱
を表明した事実からも価値の低さが推察出来る。
無人島である「尖閣諸島」の帰属よりも、「対馬」と同様に私は沖縄と南西諸島に住む日本人同胞を
心配している。排他的経済水域の線引きは日中で大きく食い違う。日本の線引きは日本人が住む陸の海
岸を基点に200カイリだが、中国では「大陸棚」を根拠にしているから、平行線は永遠に続く。「国
連海洋法条約」はそれらの両方を線引きの方法として認めているから始末が悪い。「竹島問題」では日
本は国際司法裁判所へ持ち込む意志を表明しているが、何故か「尖閣問題」では国際機関の判断を仰ぐ
ことをしようとしない。国連海洋法条約の“精神”に照らすと、海に恵まれた先進国の日本は「分が悪
い」せいであろう。
「国連海洋法条約」に関する「国際機関」の判断はカリフォル二ア州における離婚裁判に似ている。
ニューヨーク州の離婚裁判なら男と女の言い分が五分五分である場合、大抵女が勝ち、男の言い分が通
る可能性は低い。カリフォル二ア州ではもっと極端で、たとえ離婚沙汰が「女にボーイフレンドが出来
た」ことから発生したとしても、裁判が始まる前から女の「勝ち」は決まっていて、男は慰謝料の支払
いを余儀なくされる。理不尽に聞こえるが、男は常に不利な立場に立たされる。「国連海洋法条約」の
紛争解決判断においても、裁判が始まる以前から、もめごとは常に「発展途上国」と「海洋不利国」に
有利な裁定が下される。「国連海洋法条約」を批准してしまった以上、日本がこれに抵抗するには、ア
メリカのように「国連決議を軽視する」とか「国連分担金の支払いを差し止める」等の「無駄な抵抗」
も考えられるが、せいぜい「世界の笑い者」になるのがオチだ。
尖閣を放棄する条件として、沖縄や南西諸島に住む日本人の生活に何ら不都合のないような固い約束、
そして複数の第三国立会いのもとで調印することが必要なことは言うまでもない。
終戦から60年も経っているのに、我々末代は戦争の後遺症を未だに背負わされている。戦争さえな
かったら「北方四島」も、「樺太」だって取られずに済んだものを。日本の「強気な外交」が国際社会
の反感を買い、国際連盟脱退、そして戦争へ突入した。「取り返しのつかないこと」とは正にこのこと
を言うのだ。
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