【プロローグ】
平成元年6月12日 「平成維新」発行
4年6月18日 「大前研一 "平成維新の会" 結成を宣言する」週間ポスト6月26日号
6月29日 「平成維新partU」発行
10月28日 「大前代表講演:国家主導から地域・生活者主導へ」日建設計都市経営フォーラム
11月8日 『平成維新の会地域リーダーミーティング・同懇親会』開催
11月20日 「特集: "平成維新の会" 旗揚げ宣言」プレジデント12月号
【平成維新の会】の時代
4年11月25日 『平成維新の会・旗揚げ宣言』記者会見〔テレビ各社放映、26日各有力紙掲載〕
11月29日 大前代表「報道2001」「サンデープロジェクト」で緊急提言
5年1月30日 平成維新の会『首都圏道キーステーション・ミーティング』開催
〔首都圏道=東京・神奈川・千葉・埼玉〕
2月15日 『維新伝信』創刊号発刊
◎当時、平成維新の会の会員組織は11の道州ごとに活動を展開し、各道州ごとに
「ステーションセンター」が設置されていたが、首都圏道のみ統一組織がなく、
東京は旧衆院選挙区を一つのブロックとして、神奈川、千葉、埼玉は県単位に、
計14の組織に分かれ、キーステーションを中心に活動していた。
○11道州=北海道、東北道、関東道、首都圏道、北陸道、中部道、関西道、
中国道、四国道、九州道、沖縄道。
○当時の首都圏道キーステーション
東京1・2区=原田憲、3区=戸丸廣安、4区=永野正史、5・9区=川内清隆、
7区=我妻義之、8区=岡戸知裕、10区=江頭清昌、11区=加藤武。
神奈川=日高慎介、千葉=浦典司、埼玉=南信行。
4月11日 『第1回全国大会』開催(東京ベイ・HKホール〔舞浜〕)
北海道から沖縄まで合計6000人が集い、『平成維新憲章』を採択。
国会議員本人出席28人、代理出席46人。
〔自民党、社会党は大会への "禁足令" を出したが、両党からも多数出席。〕
4月〜 衆院選挙に向け推薦作業〔地区での推薦をベースに推薦候補を決定〕
6月24日 94名の衆議院選推薦候補を発表(30日14名の追加推薦を発表)
7月〜 推薦議員支援活動・大前代表、推薦候補応援に全国縦断1万3千Km
会員有志はボランティアで推薦議員の支援活動を展開。
推薦議員の公設掲示板ポスターには『平成維新の会推薦』ステッカー貼り付け。
7月18日 衆議院選挙において、推薦候補108名の内、82名が当選⇒「平成クラブ」
8月10日 『83法案デッサン』を推薦議員に対し提案
9月8日 「平成クラブ:第1回会合」〔推薦議員45名出席〕
10月16日 『平成維新パワーステーション』発足
11月1日 『平成維新の会・会則』施行
◎この頃、首都圏道の情報交換、相互協力の場として『首都圏道ミーティング』が
月1回開催されていた。
6年3月12日 『首都圏道フォーラム・2005年維新へのシナリオ』開催(日本都市センターホール)
4月2日 『大前研一の平成談義 世の中どうなっているの』放送開始(テレビ東京)
4月9/10日『首都圏道・第1回市民運動フォーラム』開催(なかのZERO西館)
5月13日 『東京・エリアステーションミーティング』で東京を1つのエリアにすることに合意
東京は旧衆院選挙区を一つのエリアとして、エリアステーションを中心に11の
地域に分かれて活動していたが、道州組織準則の施行に向け、一つの組織になる
ことが合意された。
6月1日 『平成維新の会・道州組織準則』施行
都道府県をエリア(基本単位)とし、会員を所属会員(活動会員)と賛同会員に
分ける。活動会員は道州組織を通して会の運営に関与。
☆ ☆ ☆
6月6日 『第1回東京エリア・マネージャー会議』〔以降毎月1回開催〕
江頭清昌氏を東京エリアマネージャーに選出。これまでのエリアステーションは
サブマネージャーに就任し、補佐する体制になる(事務局長=菅井敏之)。
○各サブマネージャー
1区=坂田茂昭、2区=神村知行、3区=菅井敏之、4区=永野正史、
5区=中井川誠、6区=望月忠雄、7区=小俣一郎、8区=高岡清勝、
9区=三鍋謙作、10区=仲野忠之、11区=平井脩博・片岡将。
・・・・・・・・・・【東京としての活動の始まり】・・・・・・・・・・
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